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July 31, 2013

飛行機通勤、福岡・東京

一昨日、朝7時の福岡発東京行きの便は、8時30分に、羽田へ着いた。羽田から京急線で品川を越え三田へ、そこで地下鉄三田線乗換で御成門下車。 オフィスには、10時の出社時間前(9時55分)に無事到着。

こんな芸当、初めてだった。 福岡から飛行機通勤に成功。

妙に達成感があり、色々な可能性への新たな刺激となった。

福岡・大牟田の実家に住む弟は、東京に単身赴任中だが、毎週末東京から福岡に飛行機で帰る生活をしている。月曜日の朝、やはり7時の一番機で、出勤している。

一昨日は、兄弟二人が、同じ飛行機で、福岡から東京へ出勤した。

兄弟で、そんな体験、想い出すだけでも楽しい。


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July 30, 2013

九州・早朝5時からでもクマ蝉の大合唱、お経の響きにも似て、

真夏、九州・大牟田の街は、早朝、5時くらいからでも、クマ蝉が、ワシワシワシと、割れんばかりの大声で鳴いていた。 それは、子供時代から慣れ親しんで来た夏の音だから、私には、心地好かった。 それは、何としたことか、仏教の大本山の伽藍に響く読経の音ににも似て、心休まる想いだった。

クマ蝉は、羽が透明で、腹がオレンジ色、木の高い場所を好み、素早くて、身体全体を力強く震わせて鳴く。昔、竹竿を持った蝉取り名人の私が、一番、取りたくて狙っていた蝉だった。

今でも、私は、クマ蝉の声に、すぐ反応して、クマ蝉が鳴くと、その鳴いてる木の上の方の枝を見上げる。

今回の大牟田帰省の時、偶然弱ったクマ蝉が実家の駐車場付近に落ちていて、すぐ拾い上げた。まだ生きていて、手でクマ蝉を触ると、何か、勝利感の様な高揚した気持ちが蘇った。 腹のエラの部分のオレンジ色が、エルメス色で、何か品位がある。

もうすぐ死んでしまうだろうから、そのクマ蝉を横浜まで持ちかえり、家の庭に埋葬ししようかとか想い、ペーパーバックの中に仕舞って一夜を明かした。

すると、翌朝、ペーパーバックからごそごそと力強い音がし、見ると、クマ蝉が動いていた。 もしや、元気を取り戻したのではと思い、外ヘ出て、飛ばせてみたら、弱々しいながら低く飛べたので、又自然に返してやろうと思い、そーっと木の枝に、留まらせてあげた。

父の23回忌の法事で帰省した大牟田、そんなクマ蝉との出会いがあった2013年盛夏。

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July 29, 2013

八木重吉の詩から、旅の車窓の畑の中へ、

図書館から借りてきた八木重吉の詩集をパラパラとめくる。

「母を連れて歩きたくなった。てくてく歩きたくなった。母はきっと、重吉よ、重吉よ、と幾度でも話かけるだろう。」

私は、いつも旅の列車の車窓から田舎の畑の光景を見ると、そのあぜ道を、母と、てくてくと、てくてく・・・・と、歩けたら好いなーと云う気分になる。 母と二人で歩くあぜ道。

そんな重吉の「虫」の詩。 「虫が鳴いている、今 鳴いておかなければ もう駄目だと云うふうに鳴いている」

「素朴な琴」もいい。「この明るさの中へ 一つの素朴な琴を置けば 秋の美しさに耐えかね 琴はしずかに鳴り出すだろう」

八木重吉の記念館は、相模原にあると云う。

相模原の田園風景を、いつか、てくてくと、てきてくと、・・・歩く私を想像する。

(2013年7月25日の記)

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July 28, 2013

鼻歌の効用、

鼻歌は、気分が好い時でないと、なかなか出てこないものである。

それを、逆手に取って、先ず、内心、鼻歌をなるべく歌う習慣をつけたら、さぞかし、人生の情景は、日々、新たな色合いも出て来て、また新たな展開をすることだろうと思う。

鼻歌と云っても、それに相応しい歌も選ばないと、いけないと思う。

いろんな歌を試してみると、思わず笑ってしまう。

鼻歌まじりで、街を歩く。 人生って結構素晴らしいじゃん、と想う。

(2013年7月25日の記)

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July 27, 2013

「矢向・川崎、登戸・立川方面はお乗換です」、武蔵小杉の想い出

大学時代、川崎の"焼肉・大将軍"で約1カ月くらいアルバイトをしたことがある。 時間いっぱい、ビッシリ働かされ、調理場で皿洗いや、炭の世話などして、これが、まさにプロレタリアート体験かと思った。

川崎チネチッタに映画を見に行くと、近くに、今でも、焼肉・大将軍はあり、先日、繁々と表から店を眺めた。

日吉から、東横線で、武蔵小杉に来て、小杉から南武線で、川崎へ通った。

何故か、当時の駅のアナウンスを、今でも、懐かしく覚えている。

武蔵小杉を通ると、今でも、内心、小声で、「矢向・川崎、登戸・立川方面はお乗換です。」と云ってみて愉しむ。

意味のない、何気ない日常だった音。 それでも、人生のかけがえのないシーンだったことを想う。

(2013年7月25日の記)


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July 26, 2013

「メール便」の響き、ギャグ脳を刺激される、

先日、コンビニで、「メール便、やってますか?」と尋ねたら、中年の叔母さん店員さんが「ビール?」と問い直して来た。

また、「メール便」と、リピートすると、「ビール瓶(びん)?」と云うので、"まみむめも"の"メ"の「メール便」で、やっとわかって貰った。そして、結局、うちでは扱っていませんとの回答だった。

憮然として、コンビニを出て、後から、コンビニを振り返りながら、ビール瓶とメール便のどこが似てるんだと思うと、可笑しさが込み上げて来た。

あの叔母さん店員さんが、もう一度、手を耳にでも当てて、「何??」とか、大声で云われたら、もっと可笑しかったかも知れない。

そう云えば、アラブ首長国連邦の石油大臣の名前が、かつて、オメール・ビン・ヨセフ氏だった。この名前も、「メール・ビン」とそっくりじゃないかと思って、メール便の響きは、ギャグだらけ。

いまだに、可笑しさが込み上げる。

(2013年7月25日の記)


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July 25, 2013

夏の命日、

母の命日は7月24日だった、父の命日8月2日が近づく。

人は、自然には、生まれた日の反対の季節に死ぬと云う。

私も、12月末の生まれだから、たぶんその時は、父母と同じ夏の頃になるだろうと想っている。

自分の命日が、カレンダーのどこかの日になることを想像すれば、不思議な気持ちになる。

何年になるかは不明でも、自分の命日を想像して、カレンダーに密かな印をつけておくことは、自分への悪戯が、結構楽しめるものである。

今夜から法事で、九州へ帰省の旅へ出る。

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July 24, 2013

子供の頃に無常を知ることとは、

人は、いつか無常を知る。

それが、青年期なのか、熟年期なのか、人生のどの時期なのかは、それぞれの人の縁。 人は、無常を知るからこそ、苦しみ、救いを求める。

私は、無常感に刺激され、前の会社を50才を過ぎてすぐの頃に辞めた。

そして、住職に出会った。 住職は、子供の頃の母との別れの、強い無常感から、高校卒業後すぐ出家されたと云う。

住職は、その後、高僧の方々や、教えに出逢い、今の安らぎの境地に達しておられる。 その住職が、何気なく冗談っぽく、"よくぞ母さん私を捨てた"とおっしゃった時、私は、絶句する想いだった。

住職は云う。 無常は無我と一体、無常だけ語っては間違い。

無常は無我と一体でこそ安らぎ。

無常の体験は、苦しいが、人を光(無我)へと導く。

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薬の危ない飲み方、(2013年7月レポート)

今月は、薬と食物の組み合わせの危険について、調べて試ました。ちょっとした知識が命を救う。―「薬の危ない飲み方」、実業之日本社、加藤哲太著、から抜粋 ―

(1).ブロッコリーと抗血栓薬.
ビタミンK(血液を固める作用)を多く含む食品と抗血栓薬は、血管が詰まり易くなる。あしたば、春菊、小松菜、ほうれん草、ブロッコリー、パセリ、ニラなど。

(2).まいたけ、マンゴーと抗血栓薬、
ビタミンA(血液をサラサラにする作用)を多く含む食品と抗血栓薬は、出血が止まらない。レバー、鮟肝、モロヘイヤ、ウナギ、銀だら、ホタルイカ、キノコ、マンゴーなど。

(3).納豆・サラダ油と、抗血栓薬、
納豆は、特にビタミンK(血液を固める)が豊富、また体内でビタミンKを作る働きも。

(4).酢・梅と胃腸薬・解熱鎮痛薬、
薬に含まれるアルミニウムと、酸が反応、アルミニウム脳症や認知症も。クエン酸が多い食品: 梅干し、スポーツドリンク、果物、

(5).グレープフルーツと薬、
グレープフルーツの成分(フラノクマリン)が、薬の濃度高め、副作用強める。要注意: 高血圧の薬、心臓病の薬、脂質異常の薬、抗生物質、抗血栓薬、抗不安薬等。

(6). 高血圧の薬と、風邪薬・解熱鎮痛剤、
水やナトリウムが身体に溜り、血圧が下がらなくなる。

(7.) 抗鬱剤と栄養剤、
栄養剤には、セロトニンを増やす作用があり、興奮・震え、錯乱(セロトニン症候群)の危険。

(8).牛乳と薬、
牛乳と薬は、2時間以上空けて飲む。 牛乳のカルシウムと反応して薬の効果失う。

(9).薬は水道水か軟水で飲む、
ミナラルオーターは、ミネラルと結合して、薬の効き目が落ちる。 以上

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July 23, 2013

食べること、即ち、「入れ替わること」、鎌倉・円覚寺にて、

料理研究家の辰巳芳子さんの講演を、先日、鎌倉・円覚寺の夏季講座で聴いた。

「食べること」、即ち「入れ替わること」。 この表現には、感服した。

人間の60兆の細胞は、毎日食べるもので、入れ替わっている。

「行く川の流れは絶えずして・・・・」のように、生物の身体も、一時たりとも、留まりたることは無い。

生命は、「動的平衡」である。 そんな表現まで、彼女はしていた。

何を食するか、それは人生。 ほどほどに食するか否か、それは人格にも似ている。

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July 22, 2013

病葉(わくらば)の句、宮崎駿「風立ちぬ」を見た日、

昨日、早朝の俳句の番組で、病葉(わくらば)の題の句に感動し、メモをした。

「病葉や 母に未完の 歌集あり」
「病葉や ふはりと土に 接吻す」
「病葉を 蹴散らして行く ランドセル」

そんな日に、昨日は、宮崎駿の「風立ちぬ」を見た。何か、病葉の句をメモした日にピッタリの映画だった。

今朝、選挙で行った、小学校の体育館のそばの木に、蝉の抜け殻を見付けた。昔、娘が通った小学校の校庭の散歩も、新鮮だった。


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July 21, 2013

日本史裏話、細川家26代当主談、円覚寺夏季講座2013年、

今年の鎌倉円覚寺・夏季講座(7月19日ー22日)初日、細川護煕氏(細川家26代当主)の講演を聴き、700年の様々な資料を持つ細川家が見て来た日本史の裏話に、大きな刺激を受けた。

宮本武蔵と佐々木小次郎の対決で、小次郎は脳震盪を起して倒れたが、また息を吹き返したと云う説、記録もある。小次郎の家来も60人くらい来ていて、わずかの武蔵の家来も、離れた場所で待機していたが、小次郎が息を吹き返したのを見て、反撃を恐れ、とどめを刺したと。

赤穂浪士討ち入りの日は、細川家江戸屋敷の日記では、雪は降っていなかったとか。

フランス革命で処刑されたマリーアントワネットは、細川ガラシャの潔い死に方のオペラを見て感動したと、生前の日記に書いているとか。

室町時代、細川家、斯波家、畠山家が、有力管領として、日本を分断・支配していた時代のことなど、まさに応仁の乱の時に出て来る名前だった。

細川家がこれだけ長く続いて来られた所以は、細川家は、決してナンバーワンを目指さず、ほどほどの場所に留まって生きぬいて来たとの考えであった。


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July 20, 2013

祝詞野菜なる野菜、

先日、ビジネス交流会(カリスマ会)で、社会勉強として、"日月神示(ひつきしんじ)"と云う、神道系の神のお告げ的なものに就いて、話を聴いた。

その中で、"祝詞(のりと)野菜"と云う、祝詞のCDをいつも聴かせて育てた野菜が、通信販売で売られていることも関連で聴き、咄嗟に笑ってしまった。祝詞が野菜の成長に好い影響があり、結構美味しいのだそうだ。

全く異質の世界の話に、人はそれぞれの脳の活動の世界の中で生きていることを、つくづく思った。

"祝詞野菜"、想い出す度に、驚きがよみがえる。

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July 19, 2013

アバウトの安らぎ、会社OB懇親会にて、

一昨日夕方、新横浜で、元の会社の先輩達との10人くらいの定期的な懇親会を開いた。 私が、幹事で、新横浜駅近くの"海鮮水産"と云う店をメールで案内し、私は、終業後、品川から新幹線で新横浜に向かい、ちょっと遅れて参加した。

ところが、店の前に行ってみると、店の名前が、幹事の私の勘違いで、魚と云う字が先で、"魚鮮水産"と云う店の名前が正解だった。

しまったと慌てて、店に入ると、先輩達はお揃いで、もう機嫌よく飲んでいて、ほっと胸を撫でおろした。

技術系のうるさい先輩なら、これは、クレームものだったかも知れないが、みんなアバウトの人達で、大体合ってりゃ、わかるよと云ってくれた。 それで、私も、一緒に、笑って済まさせて貰った。

店の名前も違っても、問題なく、懇親会成功で、救われた。それでも、内心、反省はした。

アバウトは好い、余裕があって、大らかで、ギスギスしてなくて、そんな生き方も好い。

他人のアバウトに、救われた私。 私も、他人に対してアバウトでありたいと想った。


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July 18, 2013

幼児が仏様に見える所以、

幼児を見てると、何故、心が和み、安らぐのだろうと思う。

よちよち、転びそうになって走る姿。 頬や、両手に食物をつけて、食事してる姿。

間違って、梅干しを食べた時の顔。

幼児が、仏様に見えるのは、「今ここに、生きている」からなのだろうと思う。

幼児にとって、過去も未来も意識しない、ただ「今ここ」しかない。

たぶんそうではないかと想い、新発見の気分。

幼児は、成人するに連れ、雑念・妄想にかき乱され、苦しみの果てに、また、晩年、「今ここ」に生きる世界に戻って行く。

仏でない(状態の)大人が、仏である幼児を見るから、合掌したくなるのだと想う。

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July 17, 2013

他に役立つ喜び、

昨日、昼頃、思いがけない友人からメールで、急な人助けの相談の話が来て、終業後、急遽予定を変更して、その話を聴いた。

私が、以前、家裁調停委員をしていたことを想い出して、離婚しようとしている人への離婚手続きに絡む相談であった。

離婚せざるを得ない事情を聴き、また、今後進めるべき現実的な手続き、子供の養育関係など、色々話をして、その人の、切羽詰った現状に、何らかの現実的な道の選択に、お役に立てればと思った。

衆生皆ほとけであっても、現実世界においては、離婚の悲しみも経なければならないこともある。

世の中には、切羽詰った人達、深刻な問題に飲みこまれ途方に暮れている人達も多い。

そのような人と縁があったことは、私の修行を試す縁だと想う。

自他一如。他の苦しみは我が苦しみ。他者が救済されることは、即ち自己の救済と同じ。


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July 16, 2013

水風呂で涼をとる、

この猛暑の中、私の部屋の冷房機が不調で利かなくなった。そこで、思いついたのは、水の風呂に入り、身体を冷やして、その後、部屋で扇風機に当たれば、かなりの効果、冷房機がなくても乗越えられることがわかった。

昨日は、2階の部屋から、ヴェランダに出て見ると、涼しい風も吹いていて、横浜の夜景も綺麗だった。東に、ベイブリッジの灯りも見え、ランドマークタワーも。暫く、ヴェランダに坐りこんで、自然の心地よい風に当たって、寧ろ、冷房が壊れて、これなら、素晴らしい対応だと、我ながら関心した。

「与えられた環境で生きる」なんて、大げさな、思考の飛躍なども楽しめた。

暑い国、インドの大勢の人達も、冷房はなく、水浴びで涼をとり、蚊帳(かや)を吊って寝るのだそうだ。

そういえば、遠い日の想い出、蚊帳のことも想い出した。夏の日、蚊帳を吊るのを手伝った想い出、緑色の鮮やかな蚊帳の色、匂い。蚊帳の中への出入りの慎重さ。蚊帳の中に、入りこむ自然の風の心地よさ。

冷房が壊れて、こんな、心の旅。

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July 15, 2013

祭りと災害の奇妙な共通点、

祭りは、心騒ぎ、何故か人々の心を惹きつけるものがある。そこには、日常を忘れ、自然の恵みに感謝し、人々の笑顔の一体感がある。

その反対に、災害の時は、打ちひしがれ、悲しみにくれる。誰のせいでもない自然の災害の時、人々は静かにその悲しみの一体感の中にいる。

共に、一体感の中にある、奇妙な安らぎ。

個が、消えた時、薄まった時、それは、無我の安らぎなのだろうと想う。

日々の生活は、個が前面に出る競争の社会。

時折、見掛ける、祭りには、そんな、個が消える安らぎがある。


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July 14, 2013

弁慶ガニの赤い色、神戸・明石への旅と重なって、

去年、娘のいる神戸を初めて訪ねた。九州の弟の娘も今、大学で明石にいて、二人を訪ねた。

淡路島へのフェリーは明石からほんの15分くらいだった。

今朝、早朝、"爽やか自然百景"と云う番組で、淡路島のすぐそばの無人島、"鳴ケ島"の自然を特集していた。

娘や姪の住む神戸・芦屋・明石への旅を想い出した。

碧い海、黄色の鮮やかなハクヨーの花、赤い小さな弁慶ガニ、干潟にオオシオマネキ。ここは、大阪湾に残る、自然の生きもの達の宝庫なのだと云う。

赤い小さな弁慶ガニを見ると、子供時代、九州の田舎の三池山に登った時、よく見付けた赤い色の沢ガニの色を想い出した。

娘も、姪も、そんな、小さな生きもの達のように、愛しく想いながら、鳴ケ島の情景を眺めた。

大阪湾に浮かぶ、無人島"鳴ケ島"、娘や姪を想い出すには、ぴったりの、小さな大自然の光景だった。

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July 13, 2013

終わっていなかった石炭の時代、

今年の世界エネルギー統計(BP統計)を見ると、2012年の世界の一次(基本的)エネルギーの33.1%が石油、石炭が29.9%、天然ガスが23.9%であった。

石炭の消費の伸び率は2.5%、天然ガスは2.2%、石油は0.9%であった。石炭が世界で一番伸びてるエネルギー。

再生可能エネルギーは話題にはなるが、補助金漬けで伸ばし続けていても、2012年のシェアは、2.4%に過ぎなかった。

石炭を公害を無くして使う技術が、益々求められる。

私の故郷、福岡県・大牟田市は三池炭鉱の街だった。1960年代の石炭から石油の時代との変化で、合理化・閉山への道を辿った。それが私の育った街。

世界も日本も、実は、石炭の時代は終わっていなかったことに、「あれっ」、「ヘー」、「そうだったっけ」、と驚かされる。

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July 12, 2013

サングラス出勤、

昨日、出勤前のTVで、紫外線を目に受けると、肌をいくら覆っていても、脳がメラニンを作る指令を出して、肌が黒くなるとの研究結果を報道していた。

紫外線の害は、女性が特に、意識しているが、健康のためには、男性も考えなくてはならないことだと思った。

そこで、早速、しまい込んでいた、サングラスを持ち出し、夏の強い陽射しの通勤途上、サングラスを着用した。

知ることは、行動に繋がる。

サングラスに慣れていない私だが、サングラスを通して見る風景も好い。

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July 11, 2013

1日、5回の祈りの時間の意味、荘厳な精神世界への誘い

昨日からイスラムの方々のラマダン(断食月)が始まった。私も、Ramadhan Mubarak (ラマダン、おめでとう)とメッセージを友人数人に送った。 東京の日の出は、4時半頃、日没は7時頃。

イスラムの祈りは、日の出前に始まり、1日に5回。 私は、この機会に1日5回のお祈りの意味・背景を調べてみて、驚いた。

1. 早朝の日の出前、3時半頃、 → 春の始まり、母の胎内での受胎の時期。
2. 正午過ぎ → 真夏、若さの素晴らしさ。
3. 午後 、3時頃 → 秋のようであり、至福の時。
4. 日没頃、 → 復活の始まり。
5. 夜8時頃 → 闇、冬、墓 → 光を求める。

まさに、復活の朝が、復活の春が、毎日、毎日、訪れている。

1日5回のお祈りは、そんな、荘厳な、精神世界を演出している。

禅を学ぶ私にとっても、素晴らしい気づきを頂いた。


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July 10, 2013

問題点、困難からのメッセージ、人生の中間テスト、

日常、穏やかな、ぼんやりした日常もあれば、機械的に追いまくられる日常もある。

そこに、波風が立ち、問題点や困難が生まれ、対処しながら、成長・熟練して行く。

波風は、人生のアクセント。自分の成熟度を試す中間テストのようなもの。

予期せぬところに問題が生じ、予期せぬところに困難が待ち構えていて、時折、人生を悩ます。

問題や困難は矛盾。矛盾は統一を目指す。全ては、作用と反作用のバランスの力が動かしている。シーソーのように。何かが極端に振れたので、極端に反応する。自然界は凄いと想う。

私の、現在の、思い通りにならぬことは、何かのメッセージを伝えている。そこから、私が学べと云う、神様からのメッセージだと想う。そんなことを思いながら、今の私の、思い通りにならぬことを、眺める。

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July 09, 2013

子を谷底に突き落として見守る親の境地、海外ホームステイ

ヒッポファミリークラブでは、高校生の海外留学ホームステイ体験の帰国報告会など、時々出席することがある。

先日、米国・ユタ州にホームステイした男子高校生と、ご両親の体験発表を聴いた。

ハラハラしながらも、子供を海外のホームステイに出すのを、子供を谷底に突き落として、見守る境地であったことを、お母さんが感動的に話してくれた。

米国の体験を経て帰国した我が子の成長振りに、涙ぐむ境地がわかる。

海外のホームステイに出す家族、受けいれる家族、共に成長して、生涯の想い出になる。

写真や、話を聴くことだけでも、どれだけ、新鮮な体験の連続かわかる。

お別れの時の悲しさ、受けいれた家族の女の子が、描いた似顔絵に、I miss you と書いてあって、 それは、拙い絵でも、一生の宝にもなる絵だと想う。

夏休みの、早朝の夏の空気は、何故か、新鮮な人生のそよ風が吹いているように感じる。

私も、人生を、ホームステイのように感じれたら、いいなーと想う。

谷底に突き落とされたような孤独や苦しみを感じることがあっても、空で神様が見守っていると思えば、乗越えて成長して行ける気がする。

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July 08, 2013

アメーバから今日までの私、

スワミ・ヴィヴェーカナンダのメッセージの小冊子を、一昨日、住職から、法話の時に、各自頂いた。

そこに書かれていたメッセージは、「アメーバの状態から人間に至るまでの、自分自身の歴史を振りかえって見よ」と書き出されていた。

誰が、そのアメーバーから人間に至る道を成し遂げて来たのかと云う問いが続き、

それは、貴方自身であり、貴方自身の意思であると説く。

それなら、どうして、貴方自身の意思が万能であることを否定できようか?

貴方達を、これほどの高みまで昇らせることの出来たものは、更にもっと、高いところまで行かせることが出来るのだ。貴方に必要なのは、その意思を強固にすることだ。

「立ち上がれ、目覚めよ。ゴールに達するまで、立ち止まるな。」

そして、住職は、この小冊子のこの文章の凄さを紹介するために、この本を取り寄せられ、皆に配られた。

精進とは、「混ざらず、退かず」の意であることを想う。


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July 07, 2013

悟りの真髄の意外性、死を受け入れる覚悟の中に、

「死」を、我が物にした時、一変に悟りが開ける。

病気を、ガンを、「敵」と思って戦うと辛い。

放棄すること、受け入れることと、悟りは同じ。

戦うと周囲は悲しむ。

「生きている間に手離すこと」、それが「大死一番」、それが「悟り」。

久しぶりに聴く住職の法話。

住職の言葉そのままのメモを見る。

病気や災害で死ぬ時がくれば、「待ってましたと、死に赴く境地」は、晴れ晴れと、晴れ晴れと、・・・・、そんな境地がわかるのが、「悟り」だと、私は、直感した。

「私」と「私のもの」を捨てる時、波は大海に気づく。

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July 06, 2013

新聞が子供新聞に思えて、

不図、社会を見渡せば、自分より年下の人が増えて来て、社会を動かしている。

昔は、エライ人達と思えた地位の人達も、実は未熟で大したことないと見えて来るようになったものだと驚く。

社会で起こる色々な問題や出来事も、新聞を見ると、何か子供新聞を見てるような気分にもなる。

未熟だと思えば、余り怒りも湧いて来ない。愛おしさが先になる。

昆虫や動物の社会を見るように、人間の社会を覗き見る。そして、人間の業(ごう)も想う。

新聞が、子供新聞のように思えて来る日々。それは、問題を一杯抱えながらも、安らぎの境地かも知れない。

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July 05, 2013

真田幸村的生き方、

真田幸村の戦いの凄さは、劣勢の戦いに、堂々と挑む強さ。権力や大勢力を、せせら笑う程の度胸と実力。

真田親子は、上田城で、二度に亘る、圧倒的勢力の徳川勢を破っている。

また、大阪冬の陣では、真田丸と云う大阪城外に築いた出城で、徳川勢を引き付け、惨々たる大打撃を与えている。

夏の陣では、堅い守りの家康の本陣を突破して、後一歩で家康の首をとるところまで追い込んでいる。

幸村が倒れる時、幸村は、亡き父に云う、「家康は誠に運の好い男にございまする。父上、これでよろしゅうございまするか」。

六文銭の旗印は三途の川の渡し賃とも云われる。戦場の、赤い真田の装束は、無敵だと思う。

私は、そんな生き方、そんな男でありたいと、心からそう憧れる。


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July 04, 2013

温もりたなびいて、NHK小さな旅、茨城県・太子町・蛇穴村、

日曜日の早朝、NHKの "小さな旅"は、私の大好きな、心休まる番組である。

先日、茨城県・奥久慈・太子町・蛇穴村と云う山の谷間の、過疎の村(住民34軒くらい)の風景や人々を紹介する番組を見た。店は一軒もない。山を切り拓いて、食べるだけの食物を育てて生活している。

久枝さんと云う一人暮らしのお婆さんの家の倉庫には、15000本の薪(マキ)が積みあげられていた。お爺さんが、亡くなる前から、久枝さんが何年も、困らないようにと、毎日毎日、山から、薪を背負って集めて来てくれていたものだと云う。

久枝さんは、薪を毎日焚いて、生活しているが、お爺さんに貰った薪が減って行くのが寂しくて、自分もお爺さんの真似をして、僅かだが、山から薪を背負って持ち帰り、その薪の山を補充していた。

そんな久枝さんと、同じ集落の仲良しの住民の人たちの語らい。八溝山を眺望する斜面の畑の光景。

集落から、煙がたなびく。人の温もりが、空にたなびいていた。


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July 03, 2013

踏まれて喜ぶ植物、雑草オオバコ、

先日、森林インストラクターの方々主催の溝の口界隈散策の時、道路脇の雑草について説明を聴いて驚いた。

「これは、踏まれて喜ぶ植物です」、"オオバコ"と云って、踏まれた靴の底などにくっついて、移動して、子孫を増やして行くとのことだった。

子供の頃から、よく道路脇でも見掛け、その茎を絡めて、綱引きのような遊びもしていた雑草・オオバコ。

道ゆく人々に踏まれて、喜ぶ植物がいることに、大変驚いた。

自然はスゴイ、自然は凄い。全てを前提にしているようで、そして大きな調和を感じざるを得なかった。

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July 02, 2013

病室での静かな語らい、

一昨日、日曜日に、ガン療養中の大学時代の同級生を、介護施設に訪ねた。

大学時代は、同じクラスで、よく見掛けていたが、ゆっくり話したことは無かったが、一昨日は、病室で、約2時間くらい話をした。今年3月、同窓会で飲んだ後、ガンが発見され、その後すぐ、入院となった。

病室での、人生の語らいは、何か、母を病院に見舞った時の語らいのような、静かなひとときであった。

結婚が、極めて遅く、最近、タイの女性を入籍して、今年の1月にタイで女の子の赤ちゃんが生まれたばかりだと云う。家族の写真が病室にあり、アルバムも見せて貰った。奥さんが最近来日して、帰ったばかりで、また赤ちゃんを連れて、再度来日の準備中とのことであった。

彼の淡々と語る人生観を聴きながら、私は、いつとはなしに禅の話もしていた。白隠禅師の"片手の音"の話、父母未生以前の虚空世界の話なども。

不思議な縁が結びつけ、日曜日の午後、大学時代の同級生どうし、荒川の河川敷のそばにある施設で、静かな時が流れた。

施設のある扇大橋から、舎人ライナーで帰る時、日暮里で乗り換えだったので、大好きな、谷中の"夕焼けだんだん"に、立ち寄った。子供達が、コマを回して遊んでいて、コロッケ屋さんの前には、お客さんが列をなしていた。


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July 01, 2013

国木田独歩、"忘れ得ぬ人々"、

国木田独歩の「武蔵野」の中の、"忘れ得ぬ人々"と云う短編に興味を持ったのは、一昨日、訪れた溝の口の国木田独歩の碑をみてから。

溝の口(高津)には、国木田が訪れた旅館・亀屋があり、亀屋の主人も、国木田が云う、忘れ得ぬ人々の中の一人であったと云う。その亀屋の跡に、島崎藤村が書いたと云う、国木田の碑が立っている。

国木田にとって、忘れ得ぬ人々とは、恩師や友人など忘れてはいけない人の事ではなく、相手とは何の義理も人情もなくて忘れてしまっても誰も咎めないのに、なぜか忘れられない人のこと。

そして小説の中で、国木田は、忘れえぬ人々を一人一人語っていく。一人目は、帰郷する船の上から見た、人気のない海岸でたった一人で何かを拾う男。二人目は、九州阿蘇山へ登った時に見た、悲しげに民謡を歌う牛引きの男。三人目は、四国の町を散策した時にみた、雑踏の中で誰からも省みられずに琵琶を弾く老僧。そして、彼は、亀屋の主人を付け加えている。

国木田は、主人公を通して云う。「僕は人生の問題に苦しんでいる。苦しみのあまり、時に主我の角が折れて、人を懐かしく感じるようになる。そのとき、これらの人々を思い出すのだ」、と。

国木田の文学が大好きだった母、こんなところにも、惹かれていたのではないかと、一昨日気づいた。

たまたま、森林インストラクター主催の自然散策の会で訪れた溝の口での、小さな驚きであった。


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