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June 13, 2013

「文芸春秋」最新号、父への手紙、母への手紙、

「文芸春秋」7月・最新号の父への手紙、母への手紙は、書いた人の人生が垣間見えて、人生を愛おしく想った。

遠藤周作さんが息子さんへ云っていた言葉、「会社勤めは舗装道路を歩くようなものだ。舗装道路は歩くのは楽だが、足跡が残らない。俺は足跡の残る砂浜を歩いて来た」。遠藤周作さんが苦しんで歩いて来た道を想う。

森進一さんのお母さんの言葉、集団就職した息子への手紙に「土を掘っても最初は泥、もっと掘れば泥水になり、堀り続ければ、やがて綺麗な水が泉のように湧いて来る」とあったと云う。集団就職で鹿児島から上京する汽車に、線路脇で営業するラーメン屋さんで働いていたお母さんが、汽車が店の前を通る時間を覚えていて、白い前掛けを外して、その前掛けを振りながら汽車を追いかけるように見送ってくれたこと、、、、、。

コシノヒロコさんから、NHKのカーネーションで有名になった母親・小篠綾子さんへ、「お母ちゃんが買ってくれたクレパス嬉しかったで、ヒロコ、よう頑張ったなあと云うてや」との手紙。

安藤美姫さんは8歳の時、お父さんを交通事故でなくしている。パパがソファーに横になって金曜ロードショーを見る時はいつもそばにくっついていたと云う美姫さん。「辛いことがあったら、美姫はいつも空を見上げます。大事な人がそこにはいるから」と綴っている。

佐藤優さんは久米島出身、お母さんが亡くなる一週間前、「私の骨の一部は、久米島の丘の上に埋めてくれ。大原・北原の海がよく見えるところが好い。青い海をクジラの親子が泳いで行く様子を見たい。夕陽が沈むのが見える場所がいい。朝陽の昇る場所じゃないからね」と云ったとのこと。 お母さんが云った条件に合致するのは、実家があった西銘とその周辺しかなかったとのこと。

全てが、私の母、父との会話のようで、私も、心の中で、いつしか両親と会話していた。


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