私を眺める、私の一日を眺める、私の写しだしているもの、
見るものがあるから目がある。聴くものがあるから耳がある。外の条件で私が作られている。
外の条件の変化で、身体も、いずれ消えねばならぬ。
そして、それを、見ている私がいる。じっと、私の変化を見ている、変化しない私を感じる。
久しぶりに、昨日、住職の講話(スワミ・ヴィヴェーカナンダのバクテイーヨーガ)を聴いた。
今日は、インド大使館では、スワミ・ヴィヴェーカナンダ生誕150周年祝賀会の日。
今日の午前中は、私の友人の二人の告別式が磯子と浦和で同時に行われる日。
そして、私は、今日、午後、埼玉の平林寺を初めて訪ねる。
私は、私の人生で、何を写し出しているのだろうと不図思う。
Comments