NHK新潟ESS、田辺光宏アナウンサー講演、横須賀にて、
私が、最初に赴任した新潟で、1974年、NHK英会話のテキストの中の交流欄で、視聴者のESS(英語会)を呼びかけて発足した会がNHK新潟ESS。NHKの田辺アナウンサーもメンバーに加わり、NHKのスタジオで英会話をする社会人サークルだった。当時、20名くらいのメンバーがいて、週2回くらいの例会には、会社帰りに、常時5~10名くらい出席して、日本人どうしで英会話を楽しんでいた。
その田辺アナウンサーが、昨日、横須賀の国際交流の会で、江戸時代の支倉常長使節団を中心に、スペインと日本の交流の歴史に関する研究の講演をされると云うので、東京・横浜・新潟在住の懐かしい、元NHK新潟ESSのメンバー有志5人が、横須賀に集まった。
田辺アナウンサーの話は、NHK時代からの取材の経験からも、面白い視点で、国際交流を語ってくれて、私にとって、新たな歴史観への刺激にもなった。今でもスペインに残る沢山のハポン姓のスペイン人が、その支倉使節団の中で現地の人と結婚しスペインに残った人達の末裔であることも知った。何故伊達藩が遣欧使節団(1613年)を出したかは、謎であるが、当時地震・津波に見舞われた東北地方(慶長三陸地震1611年など)の経済復興に、南蛮との貿易を試みた伊達藩の目論見もあったのではないかと云う説も初めて耳にした。
また、1841年、土佐の漁師ジョン万次郎(1827年ー1898年)が遭難し米国で、学問をして、1852年土佐へ帰り、塾を開き、海外での見聞を語ったことが、土佐の坂本竜馬に多大の影響を与えたこと。15歳くらいの土佐の若い貧しい漁師が遭難したことが、日本の運命を変えたとも云える。
講演(2時~4時)のあと、皆(6人)で、日露戦争で活躍した戦艦"三笠"を展示する三笠公園を歩いて、その後、昔話をしながら、会食をした。当時、日本人どうしで、恥ずかしくもなく、よく英語で話し合ったものだと、笑った。
私が、1974年、何となく新潟で呼びかけたNHK新潟ESS、2013年に、横須賀の地で再会す。
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