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May 01, 2013

家族への想い、それは修羅の道にも通じて、

誰しも、家族の幸せを願うのは当たり前のこと。

それが、修羅の道にも通じていることに、住職の法話から、気付かされ戸惑った。

家族の繁栄を願う時、家族を守る時、家族以外が区別され、排除される時の後ろめたさにも気づく。

インドネシア津波の20万人の犠牲者、四川大地震の8万人の犠牲者と、東日本震災2万人の犠牲者への想いを隔てるものは何か?

自分と自分の周りが好ければ、その他の苦しみに対しては鈍感であって好いのなら、修羅になって自分の周りを守れば好い。そこには、修羅の苦しみこそあれ、永遠の安らぎなど在り得ない。

家族への想いが、全てへの人への想いと同一化することの難しさ、それが、修行の意味するところであるとも想う。

家族への特別な想いが、修羅の道にも通じていたことへの気づき。哀しい気づきだが、本気で"修行"するならば、何れ問われるなければならない、命がけの命題でもあることを感じる。

五感六識があれば修羅なら誰でもなれる。家族が全存在・全生命・全宇宙に感じられた時、修羅を越えられると想う。

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