"名前と形"の恐さ、執着の正体
五感六識は、常に、"名前と形"で周りをとらえて生きている。
昨日、住職は云う。 「"名前と形"が消えたら、現象世界は消える。」
"執着"とは、"名前と形"のこと。
"名前と形"が消えた時、それが"解脱"。
今朝、日経新聞の特集に西行の記事と、"山にかかる月"の写真が載っていた。
その幽玄な写真を眺めながら、月も山も空気も区別の無い世界、月が山、月が空気、空気が月、空気が山、ただ一個の有機体を見る世界かとも想った。
大都会の光景も、大自然の光景も、区別の正体を考えてみる。微かに、区別無き世界の光が差し込む。区別無き世界の安らぎ。
"名称と形態が消えて行く過程"を修行と云う。 昨日の住職の言葉は結んだ。
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