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April 02, 2013

究極の絶望がもたらす静寂、

本当の絶望、究極の絶望の時、人は諦める。

そこには、怒り、愚痴はもう、存在する隙間も無い。

絶望の果て、怒りも、愚痴も、無くなってしまった時に、何とその瞬間、安らぐ。 抵抗するから苦しかったのだ。

先日の住職の言葉が、耳に残る。

絶望の果てに、突然、訪れる静けさに驚く。

全てが、懐かしく、愛おしくなる。

絶望の果てに訪れる静寂は、それは、エゴの放棄という大事業を成し遂げた瞬間。

究極の絶望は、無我への道でもあったことに気づく。絶望でさえも、仏性への道に繋がっていたことに気づく喜び。

「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりにも碧いのです」、不図、母の実家・長崎の外海町の大海原を見下ろす丘にある遠藤周作記念館の碑に刻まれた言葉を想い出す。そこは、隠れキリシタンの悲劇の地でもあった。

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