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April 22, 2013

病気の愛おしさ、涙したコメント、気づき、

一昨日、住職も講演される"禅と医療"というテーマの講演会が東京・本郷であり、私は何人かの友人を誘った。

昨日の朝、コメントのメールが届いて、私は心の琴線を刺激されて涙した。

「隣に座っていた友人と、病気に対する医者の治療で、最高のものは無治療観察であるというところで二人とも納得しました。治療しないで見守っていてくれる、"医者でなく親"のような診かたがいいねえ。病いというプロセスは進行しひとつひとつの症状にこだわることなく進行させればぬけていって人を成長させる。その人その人の成長として総合的に見てくれる医療を自分で選択していける時代の到来も近いことを感じさせるものでした。ご縁は人を救うし救われる、実感しました。」

私は、子供の頃、病気になりたかったことを、バーッと想い出した。母親に優しくして貰えるから。母親との二人っきりの時間を貰えたから。

病気で入院している時は、病室に入って来る人の一瞬の空気で心が安らぐ。「親のように見守ってくれる医療」という響きに安らぎを感じた。

「入り口はどこからでも好い。全ては繋がっている」、講演された統合医療の先生の言葉であった。入り口は、病気からでも好い、光に導かれて真理に向うならば、病気も恐くはない。病気に合掌さえ出来る。


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