安らぎと自由を求めながら、善悪の道が分かれる、
人は、お腹がすいた時、空腹を満たすと云う自由と安らぎを得るために、パンを食べる。
働いて稼いでパンを購入する者。盗んでパンを食べる者もいる。 パンを食べて安らぎたいと云う動機は同じ。 ただ、手段に於いて善悪が分かれる。 それは、先日、住職に気づかされたこと。
盗んだ者は、罰しなければ、社会は成り立たない。 ただ、その時、その盗まれたコンビニが、盗んだ子供の、自分の家の店だったら、善悪の気持は薄れる。盗んだ子供が、自分の息子だったら、、、、 親は、その息子の行動を哀れみ、涙するだろう。
自分が全てだと感じた時、自分が神であったなら、善悪の糾弾より、哀れみ、愛おしさの方が勝る。
悪に対しても、哀れみと愛おしさを感じられたら、それは宇宙に近付いていること、それは永遠なる安らぎに近付いていることだと想う。
それは、一元論への入り口。
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