執着してもよい、執着出来るものならば、
「なぜ 、執着してはいけないのか?」
人は、安らぎや、完全なる自由が欲しいために、お金、名誉、権力、家族・・・・などに執着する。
住職は説く、「大いに執着してもよろしい、執着出来るものならば・・・・」。 水をつかもうとしてもつかめないように、執着不可能なものに執着しても、無理なこと。
まして、安らぎ、完全なる自由は、お金、名誉、権力、家族などでも、得らるものではないことは、いずれ誰しも人生経験を重ねれば、気づくこと。
「私が」、「私の物」、と云う意識をなくして行けば、安らぎと完全なる自由が近づいて来る。
無我になれば、無常は、何も悲しくもない。全てが愛おしくなる。無常が愛おしくさえもなる。
執着出来るものは、たった一つある。それは、無我(真理・神・仏性)。それなら好し。それは、安心して執着出来るもの。
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