偶像崇拝の入り口、魂(霊性)の向上へ、
ここに机があると認める人は全て偶像崇拝者である。物質的現象を認める者は全て偶像崇拝者である。
だが、象徴、儀式を否定してはいけない。象徴・儀式は、その背後にある想念を現すためにあるのなら正しい。
ただ、その象徴・儀式は、有用であるが、それ以上のものでも、以下のものでもない。
玄関から入って、玄関を持って行くだろうか? 筏(いかだ)で川を渡った後、筏を持って旅するだろうか?
宗教は何宗でも好い。神に導かれ、神を越えて行く道のりを想う。
魂(霊性)の向上とは、知識・知的発達ではない、勉強して得られるものではない。魂(霊性)の向上は、"エゴ性の放棄"によってもたらされる。
スワミ・ヴィヴェーカナンダ師の「バクテー・ヨーガ(祈りの道)"」について、住職の講義が、今月から始まった。
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