仏からのスタートか? 罪人からのスタートか? どちらでも好い、
人間に本来備わっている仏性に気づいて、全てを神と見て修行して行く道がある。一元論的修行。
人間を罪人と見て、一つ一つ、その罪を消して行くのを修行とする道がある。二元論的修行。
人それぞれに、合った修行の仕方がある。
人間を完成されたものと見ても、罪人と見ても、修行が必要なことには変わりない。修行の必要性に就いての論争は不要。
行きつくところは同じ。それが、昨日の住職の言葉。
時に、私は、両方の道を、歩いているような感覚がある。ある時は二元に、ある時は一元に、TVチャンネルを切り替えるように、生きているような感覚がある。
Comments