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February 28, 2013

初めて聴く相撲甚句、両国"華の舞"、アラブ人を案内、

今日から始まる東京国際LPガスセミナー参加のために数日前から来日していた若いアラブ人が、昨日オフィスで終業後、暇そうにしていたので、どこか観光でもしたいか、声をかけたら、是非と云うので、急遽、両国へ案内することにした。

外人には、相撲関係が人気あるので、両国を選んでみた。新橋、秋葉原を経て、総武線・両国駅へ電車で案内。新橋駅では、駅前の烏森神社も案内、駅前のサラリーマンのSL前広場での待ち合わせの様子も見せた。

両国では、国技館の建物を外から案内。その後、相撲の土俵が店の中にある"華の舞"で、土俵の前の席で夕食。店では、4人の相撲関係者の相撲甚句♪も初めて聴けて、案内する私も大変楽しんだ。

初めての日本訪問の彼は、私の案内を、とても喜んでくれた。

彼と、色々話していたら、何と、赤穂浪士、四十七士のことをその若いアラブが云い出すので、何故そんな話を云い出すのか、私は耳を疑った。日本の武士のストリーが、アラブ人の彼にも何か感銘を与えているらしい。私は、その両国に吉良邸があったこと、切腹した四十七士の墓が、三田のクウェート大使館そばの泉岳寺にあることを教えた。まさか、外人に、またアラブ人に赤穂浪士の話が興味あったとは、まったく、驚きだった。

そして、私は、昨日、思いがけず、初来日の若いアラブ人の日本の想い出に関われたことで、ちょっとした満足感を感じた。

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February 27, 2013

江戸一目図屏風、1809年作、津山藩・鍬形恵斎、東京スカイツリー、

私は、まだ、東京スカイツリーは登ったこともなく、まだ行くつもりもなかった。最近、5月中旬東京で開催予定の満洲の会の同窓会(約20名)に全国から集まる方々がスカイツリーを見学希望されてることを知り、今年初めて幹事を務める私は、その下見に行かねばと思っていた。

昨日、アラブの特別休暇を利用して、初めて東京スカイツリーを朝一番で見学した。ウィークデイの朝8時からでないと、その他の時間帯は、混んで並ばなくてはならず、昨日横浜の家を6時半に出発し、スカイツリーへ向った。

料金2000円を払って地上350メートルの展望フロアへ登ると、富士山も南アルプスも、筑波山もよく見えた。展望フロアには、大きな「江戸一目図屏風」(津山藩・鍬形恵斎作、1809年)も展示されていて、「富士山を背景に、眼下に賑わう江戸の町並みや隅田川を俯瞰する構図は、奇しくも、このスカイツリーからの構図と重なります。」と解説されていた。

富士山の右手には新宿や東京ドームが見えるが、1809年の江戸では、新宿は山里と云うよりも、森の中と云った"ど田舎振り"に唖然。江戸とは、江戸城の周りの武家屋敷を除けば、中心が両国、浅草、日本橋界隈のことを江戸と呼んでいたことがわかる。世界で有数の100万都市だった江戸の、"ど田舎振り"の屏風を見ながら、200年後の現代の東京を見比べるのがとても刺激だった。たった200年でこんなにも変わるものかと、不思議に思う。

満洲の会の方々は、80歳内外の世代の方々が多い。去年できた東京スカイツリーを、見てみたいと云う想いは、何か、特別なものがあるものだろうと想った。今年は、私の妹に加え、九州から東京へ単身赴任中の弟も、初めてこの満洲の会に出ることになった。兄弟姉妹3人で、両親の住んだ満洲の雰囲気を味わえる貴重な機会となる。

誰より、喜んでいるのは、こんな行動をしている子供達を見て驚いている両親だろうとかとも想う。

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February 26, 2013

領土問題、両論併記はメデイアの役割、

領土問題は存在しないと云う対応は、私には、とても違和感があり、強硬な発言に響く。

頭ごなしに突っぱねる態度は、寧ろ紛争をエスカレートしないか心配である。

中国の主張、韓国の主張、ロシアの主張、日本の主張を、交渉上、政府が云いにくいならば、メデイアが、両論併記で報道すればよい。両国の国民に、問題のポイントを、認識して貰った方がよい。教育が進んだ現代の国民には、両論を知らせないで、紛争に突入されては困る。

メデイアは、政府と同じことを云う必要はないのだから、メデイアこそ、両論併記をすべき役割があると思う。判断は、国民に任せればよい。それは、何も経緯を知らせないで、紛争が深刻化して行くよりは、よっぽどよいと思う。

(2013年2月23日)

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February 25, 2013

"人間まくら、買うても無い無い"

子供時代、6人兄弟(姉妹)だった私は、妹、弟、母などとよく、じゃれついていた。

妹、弟、母が寝ていると、その手、腹などを枕にして、「人間まくらは、買うても無い無い」と、気持ちよく、寝てみたりしていた。 自分も反対にやられたりして、覚えた楽しい遊びだった。

私の娘が子供の時、同じ様にして遊んだ。

子供が小さい時は、子供に、私の背中や足に乗って、踏みつけて貰うと、ちょうど好い体重で、気持ちが好かった。そのことを、「背中のんの」と呼んでいた。

「人間まくら」、」「背中のんの」は、楽しかったなー。

まるで、動物園の動物みたいだったなー。

(2013年2月23日)

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February 24, 2013

人生の遠近感、そしていつか月へ帰る、

過ぎた日は、余りにも小さくて、今日と云う日は、余りにも大きくて、そして、今日と云う日の自由自在に驚嘆する。

いつの日にか、また、もと来た所に帰れる安心感。 そんな安心感があれば、色々な役割を十分に果たせると想う。

かぐや姫のように、また、いつの日にか月へ帰る。

寂しさを超えて、見守る様に去って行くことで、また優しい静寂が訪れる。

人生の詩 (2013年2月23日)

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February 23, 2013

1945年、北海道・東北占領を救った、占守島(しゅむしゅとう)の戦い

一昨日の夜、勉強会で、「8月17日、ソ連軍上陸す(新潮文庫)」の、ノンフイクション作家・大野芳氏の講演を聴いた。

昭和20年(1945年)8月17日、日本が無条件降伏をした終戦の日の2日後、千島列島の最北の島、占守島に、ソ連軍の大部隊が来襲。日本軍の白旗を無視して、大攻撃を加えて来た。ソ連軍は、北海道・東北も占領を目論んでいた。

敵の降伏後の領土拡張は認められず、戦争継続中ならば得た領土は正当性を主張出来る原則から、ソ連軍は、降伏した日本軍の白旗を無視して戦争を継続、一気に樺太、千島を占領に着手した。そこに、敢然と挑んだ日本軍がいた。カムチャッカ半島から雪崩れ込むソ連軍に徹底抗戦した日本軍がいた。

池田戦車隊長は、残った20輌の戦車隊を前に、「諸氏は今、赤穂浪士となりて将来に仇を報ぜんとするか、白虎隊となり、玉砕をもって民族の防波堤となり、後世の歴史に問わんとするか」「赤穂浪士たらんとする者、白虎隊たらんとする者は手をあげよ」と訓示したと云う 。全員がオーと喚声をあげたと云う。「これより全軍をあげて、敵を水際に於いて撃滅せんとす」。戸惑う中央指令部を押し切って、池田は全軍に命令を下した。

こうして、ソ連軍は進軍を阻まれ、北海道・東北占領計画は頓挫して、9月2日、ミズーリ艦上での降伏文書調印が終わった。

これは、歴史の勉強などではない。私の命、人生で、知っていなければ、私の命を、十分生きたことにはならないと思った。 私は、今も、白虎隊の少年達に守られて生きていることを想った。

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February 22, 2013

電車の席に百人一首の句のカード、

昨日、終業後、目黒の不動前に、勉強会(通称:カリスマ会)に行く途中、三田線の急行を白金高輪で、普通・南北線・日吉行きに乗り換えた時、空席が一つ。

空席の上には、何かカードがあったので、取り除いて座って、そのカードを見ると、それは、百人一首のカードだった。

片面に、「瀬をはやみ 岩にせかるる たき川の」とあり、もう片面に、「われても末に遭わんとぞ想う」と書いてあった。

子供時代に母から、何度も聴いた百人一首。聴きなれた響きに、母との時間を想い出した。

"今は、川の流れが急になり、岩に流れを分けられているが、いずれまた落ち合いましょう"と云う歌。

"崇徳院"と云う人の歌だと、帰宅後、調べてわかった。

偶然に乗り合わせた電車で、"崇徳院"の歌。 「われても末に遭わんとぞ想う」、それは、母からの手紙のように想えて、ジーンときた。私は、そのカードを、大切にとって置こうと想う。

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February 21, 2013

80歳で、「メキシコに住もう」の夢実現、出発進行、

語学研修クラブのヒッポ・ファミリー・クラブで、80歳の方が、近々メキシコに1年間の語学交流に行かれる話を聞き、昨日、会社帰りに、横浜に、その講演を聴きに行った。

ご夫婦共にヒッポクラブで、ご主人81歳、奥さん70代後半、二人の話は、大変な驚きだった。二人とも、とても好奇心が旺盛で、見るもの聴くものに、赤ちゃんのように驚いて生きているような方だった。ご主人は、54歳の時に入ったヒッポクラブ、自己紹介はスペイン語だった。

参加者は会場に一杯の100人くらいの講演会だったが、たまたま前の方に座っていた私は、講演の後、その81歳の男性、イサムちゃん(ヒッポでの愛称)が、隣の席に座って、親しく話をすることができた。

私も、ヒッポに最近入ったことや、以前、出張したメキシコで見たピラミッドのことなど話した。彼は、私の名刺をしげしげと見て、アラブへの関心の質問がドンドンと、やはり好奇心の塊り振り。

昨日は、80歳近くで、「メキシコに住もう」と云う夢を実現される、素晴らしいご夫婦に、お会いする不思議な出会いだった。

今まで、私の人生では、遭遇しなかった、人間のエネルギーや、人間の縁のことを想った。

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February 20, 2013

"執着"と云う筏(いかだ)

喜こびも悲しみも"執着"が作る。

傲慢な喜びにブレーキをかけてくれるのも"無執着"、悲惨な悲しみに癒しを与えてくれるのも"無執着"。

赤ん坊は執着のかたまり。

執着があるから愛が生まれ、愛があるから無執着にも辿りつける。愛があるからこそ、自分を捨てられる。

執着に始まり、無執着に終わる。それが人生なら素晴らしい。

それを、成長と云うのだと思う。

執着は人間らしいが、越えなければ、赤ん坊もまま。益々苦しみを増して行く。

執着は筏(いかだ)。筏(いかだ)が渡らせてくれる、安らぎの世界へ。そして、もう筏(いかだ)の役割は終わる。

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February 19, 2013

縁側の日差し、梅一輪、2月、

図書館で借りてきた季語の本で見付けた、2月の季語に、何か新鮮な、季節の趣きを感じる。

公魚(わかさぎ)、細魚(さより)、片栗の花、水菜、海苔、鶯、若布(わかめ)。

"縁側の日差し"も、"梅一輪"も、2月の情景。

千の風になったような安らぎ。


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February 18, 2013

尖閣なくなればいい、謝罪すべき発言だろうか、

今朝、インターネットのニュースで、中国出身の経営コンサルタント、宋文洲氏(49)が「(隕石は)尖閣諸島に落ちてくれないかと思った。なくなればトラブルもなくなるから」などと発言し、アナウンサーが謝罪する一幕があったと伝えていた。

バンキシャと云う番組内でのことだったと云う。宋氏は、隕石落下の影響を伝える現地リポートに続いて意見を求められると、「地球って言うのは脆弱ですよね。巨大な地震もあれば、なんと予測もできない巨大な隕石も来て、人類は細かいことでもめている場合ではないんですね」と切り出し、「今日思ったのはですね、尖閣諸島に落ちてくれないかと思ったんですね。なくなればトラブルもなくなるから」など語った。宋氏の発言に、メーンキャスターの福沢朗氏は「ずいぶんと思い切ったご意見をいただきましたね」などと取りなしたが、約20分後に鈴江奈々アナウンサーが「スタジオで一部不適切な発言がありました。失礼いたしました」と謝罪したとのこと。

私も、尖閣は誰も住んでいないのに、日中間の戦争の種になりそうだから、地震か何かで、海中に沈めば、争わなくていいと思った。以前、このブログにも、そう書いたこともある。

どんな争いも、辛い。宗氏にとって、まして祖国と、住んでいる国の争いは見たくない。私も、日本と、満洲で両親がお世話になった国との争いは見たくない。

島が単なる経済的価値、財産なら、なくていい。貧乏でも、争わない安らぎが欲しい。分かち合う安らぎが欲しい。

深刻な夫婦ゲンカを見ている時の子供の気持のようなものかとも想う。ケンカの種が、無くなればいいと云う気持は、私には、痛い程わかる。

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February 17, 2013

偶像崇拝の入り口、魂(霊性)の向上へ、

ここに机があると認める人は全て偶像崇拝者である。物質的現象を認める者は全て偶像崇拝者である。

だが、象徴、儀式を否定してはいけない。象徴・儀式は、その背後にある想念を現すためにあるのなら正しい。

ただ、その象徴・儀式は、有用であるが、それ以上のものでも、以下のものでもない。

玄関から入って、玄関を持って行くだろうか? 筏(いかだ)で川を渡った後、筏を持って旅するだろうか?

宗教は何宗でも好い。神に導かれ、神を越えて行く道のりを想う。

魂(霊性)の向上とは、知識・知的発達ではない、勉強して得られるものではない。魂(霊性)の向上は、"エゴ性の放棄"によってもたらされる。

スワミ・ヴィヴェーカナンダ師の「バクテー・ヨーガ(祈りの道)"」について、住職の講義が、今月から始まった。

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February 16, 2013

免疫力について、今月の健康レポート、

今月の健康レポートは免疫力について。「免疫力を高める生活」西原克成著(‘サンマーク出版)などから抜粋
1.免疫力を高めるための生活習慣(ミトコンドリアの働きを助ける)、
(1)鼻呼吸で、清潔な酸素で新陳代謝。
(2)肌、肺、腸を冷やさない。
(3)バランスのよい食べ物を、よく噛んで食べる。
(4)上向きで寝る(骨を休める)
(5)軽い運動とリラックス。
(6)太陽の光を浴びる。
(7)精神や心の、生命のエネルギーを感じる生きかた。

2.ミトコンドリアが免疫力の鍵を握る、
ヒトや動物の細胞の中で、エネルギーを作り出しているのがミトコンドリアという細胞内小器官です。細胞内の発電所にたとえることができます。
(1)ミトコンドリアは、食物、酸素、など摂りいれて、全身の細胞がそれぞれに必要とする物質(ATP: アデノシン三リン酸)を作り出している。
(2)ミトコンドリアは、新陳代謝の主役の体温維持など、細胞の全ての働きをコントロールし、老化を予防している。

3.現代人の病気について、
(1)いびきを見くびっていると、身体がばい菌だらけになる(口呼吸の構造的欠陥)
(2)直立二足歩行は、身体に大きな負担。 十分に寝ることで、骨休め必要。 動き回ってる間は、新陳代謝進まない。
(3)冷たいアイスクリームを食べ過ぎると失明もありうる。
体温が下がると、白血球の動きも下がり、ミトコンドリアの働きも下がり、身体中が細菌で侵される。 腸を冷やす と脳にも、障害が起こる。
(4)離乳食を2歳半前に与えるのは大問題。 母乳育児なら腸内細菌の99%がビフィズス菌なのに、離乳食にすると、ビフィズス菌は10%。
(5)赤ちゃんの歩かせ過ぎはダメージのもと。 骨休めが重要。
(6)抗生物質は、免疫力を弱めてしまう。 抗生物質が、ミトコンドリアの遺伝子の機能を止める。
(7)ステロイド 療法は、再発を繰り返すだけ。
(8)電磁波も、心身に悪影響を及ぼす。 以上

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February 15, 2013

子供に覆い被さって守り抜いた母親、グアム島通り魔事件、

12日に起きたグアム島の通り魔事件で、亡くなった日本人の中に、28歳の母親が3歳の子供をかばって、刺されて絶命されたことを知った。

咄嗟にナイフを振りかざした通り魔に遭遇して、3歳の長女に覆い被さりうずくまり、何度も刺されて、亡くなったという。母親に覆い被さって貰った女の子は、無事だったと云う。

執拗に続く犯人の攻撃にも、子供に触れさせまいと、隙間さえ作らないように覆い被さって、子供を守った母親の姿を想う。

絶命する時、子供を守り切って死ぬ覚悟と、守り切った喜びさえあったかも知れない。28歳のお母さん、私の娘と同じくらいの年、凄い仏性を見せて頂いた。

そして、私は、何故か、戦艦大和の最期を想った。日本を守る盾になって、将来の日本への深い教訓のために死のうと誓った乗り組み員の覚悟を想った。

何かを守り切って死ぬ行為、これが、宇宙の本質、仏性なのだと想う。

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February 14, 2013

両国の旅の提案、

旧満洲・鳳城の同窓会の方々の今年5月中旬の東京大会(約20名)のための準備・下見を私は、幹事として、最近、着々と進めている。 それは私の使命感にも似たものがつき動かしている。大先輩の方々の大切な年に一度の、名残惜しい旅のお手伝い。そして、それは、今さらながら私の亡き両親への親孝行だとも思っている。

午後、両国駅前のホテル集合、チェックイン、江戸東京博物館見学(約1時間)、両国駅前の、店の中に相撲の土俵のある料理屋で、相撲甚句♪を聴きながら懇親の宴、

翌朝は8時タクシーで、東京スカイツリー展望台へ、一旦ホテルに帰りチェックアウトをして、今度は、隅田川の水上バスで両国から浅草へ、そして雷門前で解散。凡そそんなアイデアを企画してみた。

両国は、相撲の街とともに、葛飾北斎の街、北斎の絵が至るところに趣を添える。近くには、赤穂浪士討ち入りの吉良邸もある。両国は江戸情緒いっぱいの街。足が丈夫な人には、早朝、散歩する人もいる。

満洲の話を、生前、両親から余り真面目に聴いていこなかった私にとって、この会の方々との交流は、残された数少ない機会になるかも知れない。

満洲の会は、私の両親との、再会の旅。 愛おしい旅。

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February 13, 2013

お年寄りの自然保護区、東横線・綱島温泉

東横線・綱島は、私が坐禅の会で、よく乗り降りする駅。その駅前すぐに、綱島街道に面して、40年以上続く、綱島温泉がある。

先日、ちょっと時間があったので、興味本位で、初めて綱島温泉を見学。

全く驚いた。宮崎駿のアニメの世界の様な、私が九州の田舎で見た様な、大昔の温泉センターの光景が拡がっていた。全体は、古い建物で老朽化していたが、何か何十年も前の懐かしさに圧倒される。

大きな中庭を囲む様に、建物があり、浴場、売店、休憩所、広間などがあった。そこは、まるで、お年寄りの隠れた社交場。将棋、カラオケ、広間の休憩所など。 ヨロヨロしながら歩く、お年寄りがいっぱい。傾きながら、おぼつかない足取りで歩いていても、何か楽しそう。そこは、世間の喧騒から隔絶された、お年寄りのガラパゴス島。

大きなスクリーンに映像を映しながら、ど演歌の大会。カラオケに合せて、おじいちゃん・おばあちゃんの社交ダンスまでも・・・・。 テーブルには、おにぎり、ビールなど。

「ワー、すごい、この光景は何だ」と驚いた。 まるで映画のロケにでも来たような別世界だった。

日頃、見なれた綱島に、こんな、お年寄りの自然保護区があったとは・・・・、小さな驚き。

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February 12, 2013

仏からのスタートか? 罪人からのスタートか? どちらでも好い、

人間に本来備わっている仏性に気づいて、全てを神と見て修行して行く道がある。一元論的修行。

人間を罪人と見て、一つ一つ、その罪を消して行くのを修行とする道がある。二元論的修行。

人それぞれに、合った修行の仕方がある。

人間を完成されたものと見ても、罪人と見ても、修行が必要なことには変わりない。修行の必要性に就いての論争は不要。

行きつくところは同じ。それが、昨日の住職の言葉。

時に、私は、両方の道を、歩いているような感覚がある。ある時は二元に、ある時は一元に、TVチャンネルを切り替えるように、生きているような感覚がある。


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February 11, 2013

湯島の白梅、

人生には、何となく漠然と知っていて、余り気にはならなかったことが、ちょっとしたきっかけで、もっと知りたくなることもある。

昨日、満洲・鳳城会の東京の会の下見に、両国を訪れたついでに、梅祭りの最中の湯島天神を初めて訪れた。

お蔦・主税 (おつた・ちから)で有名な神社、そこは、不忍池のそばにあった。JR御徒町(おかちまち)から歩いて数分。 御徒町は、駅を降りると、もう上野アメ横の端っこで、上野がすぐ近くの場所だった。

お蔦・主税 (おつた・ちから)は、泉鏡花の小説「婦系図(おんなけいず)」の主人公。少年掏摸(すり)だった早瀬主税は,ドイツ語学者の酒井俊蔵にひろわれ新進の学者となる。のちに柳橋の芸者蔦吉(お蔦)と所帯をもつが,師の反対でふたりはわかれ,お蔦は病死,主税も彼女の黒髪をだき自殺する。作品は明治40年(1907年)「やまと新聞」に連載。翌年新派が上演し「湯島境内の場」が評判をよぶ。「湯島境内の石段に悲しみ深しふたりずれ・・・」

石段を登って境内に入ると、純白の白梅が青空に映えていた。私は、甘酒と熱燗を飲みつつ、流れる琴の音を味わった。

湯島天神が、学問の神様・菅原道真公(845年~903年)を奉ることも、私は初めて知った。天満宮とは、菅原道真公を祭神とする神社のことと云う。九州の大宰府・天満宮は、私の故郷の福岡にある。湯島天神は458年雄略天皇の時代に創建され、その後菅原道真公を合祀したと云う。

「湯島の白梅か」、そう感嘆しながら、昨日の散策を振り返る。

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February 10, 2013

お笑い系の神様登場、

昨日、横浜駅の東横線ホームへのエスカレーターを下っていたら、下で立ち止まって、降りる人達を待ち構えて待っているような、痩せ型の、仙人風のお爺さんがいた。

ちょっと痴呆症か何かで、道に迷ってらっしゃるのかと心配したら、私にめがけて近付いて来て、「頼みつらいことですが、仏心(ほとけこころ)をお願いします」と云う。

私に近付いて来て、"ほとけこころを"と云われて、放って立ち去る訳にも行かず、財布から1000円札を1枚取りだして、手渡した。お爺さんは、安堵した表情で、1000円札を受け取った。

そして、私は、「頑張って下さい」と云って、その場を立ち去ろうとすると、「ちょっと待って下さい」と云う。

何かと思うと、「もう1000円、くれませんか?」と云う。?????

一瞬、私は、ガクッと来て、吉本興行のギャグみたいだと思った。それは、ないですよと思い、もう一度、「頑張って下さい」と云って、立ち去った。

お爺さんの方を振り帰りながら、東横線の地下のホームへ向った。チャップリンのような気持になって。今でも思い返すと、笑いがこみあげて来る。

あのお爺さんは、やはり神様であったと思う。それでも、お笑い系の神様まで、出て来るとは驚いた。それは、人生を楽しませてくれる吉本系の神様だった。

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February 09, 2013

フラメンコ・ギタリスト、カニサレスの衝撃、

坐禅の会に見えてる女性の娘さんのご主人が、スペインの有名なフラメンコ・ギタリスト、カニサレスであることは、以前から聞いていた。

最近、フラメンコの月刊誌の中での、カニサレスの記事に、釘付けになった。

彼は、2011年5月、世界最高峰のオーケストラと云われるベルリンフィルとフラメンコ・ギターの初めての共演をする程の腕前。ベルリンフィル130年の歴史の中で、フラメンコ・ギタリストとの共演は初めてであったと云う。スペインでは、20年前の、スペインを代表するテノール歌手・ドミンゴ以来の共演であったと云う。

彼は云う。「フラメンコは言語」、「フラメンコ音楽は、演奏すると同時に楽譜を描いているようなもの」、「踊り手に表れている全ての情報を、全ての感覚を駆使して掻き集め、踊り手の発するリズムを一音漏らさず捕らえます」と云う。

「芸術は、一方的に発信されるものではなく、受け止める側も、発信側に語りかけると云うダイアログ(対話)の中で、更に、完成度の高いものになって行く」、「例えば絵画とか、物質が芸術となるには、それを見るものが、感情を湧き起こらせて、その感情がその絵と循環することが不可欠です」。

今の彼は、「辿り着くことのない地平線に向って、果てしなく続く道を、巡礼のように歩くことです」と云う。

この出遭いも、禅の導きであったのではないかと想う。彼の5月の来日公演の時には、是非、行きたいと想う。

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February 08, 2013

アブダビからの避難、1990年夏、

今月2月25日は、クウェート大使館主催のNational Day Reception が帝国ホテルであります。 1991年クウェートがイラクから解放された記念日を祝う会です。

私は、1990年8月、イラクのクウェート侵攻時、アブダビから約1カ月間、国外避難をしました。クウェートの解放は、私の中東への復帰の想い出です。

当時、前年に開設したアブダビの事務所を、一時退去せざるを得ない時は辛かった。

レバノン人の秘書に云われたことを想い出す。 これで、日本人にも、レバノンの内戦の辛さをわかって貰えると。

アブダビを、申し訳ない気持ちで退去する私に、アブダビ国営石油の友人が、申し訳ないのは、アラブ人どうしで戦争する我々だ。 貴方は堂々と逃げなさいと云った。

戦争の緊迫した状況の中で、数々のドラマを思い出す。

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February 07, 2013

中国の恩人のこと、

数日前、上海に単身赴任中の友人から旧正月のお祝いのカードが送られて来て、「日中関係は色々報道されてますが、上海は平穏です。楽しく元気にやってます。」と書いてあった。

昨日の朝、雑誌社で働く知人から来たメールは、中国の一般の人達の間で、日中軍事衝突への準備の話だった。日本にいる中国人も実家から、近く紛争を懸念して、何度も早く帰って来いと言われて辟易している話などであった。

1990年8月2日、イラクのクウェート侵攻の時、アブダビにいた私は耳を疑った。現代で、私の身近に、野蛮な戦争などあり得ないと信じていた。ロイターの報道に愕然とした。私は、戦争は学校で習っただけで、身近なことと思ったことは無かった。その時、現実の戦争を身近に感じて、私は学校で習ったような平和で穏かな現代には、生きてはいないと思った。そんな現代もないことを初めて知った。

人間のエゴ心が渦巻く社会や、国際社会に於いて、野蛮な争いは、油断すると火の手のように拡大する。それを防ぐ勇気ある智恵が要る。今はそんな時に差し掛かりつつあることを思う。

中国にも、日本にも好戦的な人は当然いる。敵対する感情を吐き出して溜飲を下げる人もいる。世論もそれに喝采する人もいる。それを憂う人もいる。

私は、満洲から両親が無事に引き揚げて来ることができた時、助けてくれた中国人の方のことをいつも思う。日本の侵略に対する復讐に荒れ狂う中国の状況の中で、引き揚げる日本人をかくまってくれたり、手助けしてくれた人がいる。父の手記に出て来る、袁さんという人のことを思うと、何とお礼を云っていいかわからない。中国人の大海のような優しさに涙する。

日中衝突の懸念が出て来る度に、私は、両親が出遭った中国の恩人のことを想い出す。そんな昨日は、私の母の誕生日でもあった。そして、私の師である住職の誕生日でもあった。

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February 06, 2013

日中尖閣諸島衝突、イスラエルイラン空爆の現実味、

昨日午後、大手町・経団連会館で開催の国際エネルギー・パネルデスカッションを聴講した。

フェシャラキ博士の発言にハッと気づかされる思いだった。シリア内戦の激化、エジプトの混乱、アルジェリアのテロ、など皆さんは石油・ガス価格への地政学的影響を論じられるが、もっと世界的に大インパクトを与えるのは、日本・中国の尖閣を廻る軍事衝突の可能性ですと。

世界第2位(中国)と第4位(日本)のエネルギー大消費国の紛争の与える世界的影響は、まだ具体的に語る人はいない。しかし、世界的に見れば、考えておかねばならぬ事件の一つになりつつある。(フェシャラキ博士は、イラン・ホメイニ革命の時、国外へ退去した研究者の一人で、革命前のイランの首相のエネルギーアドバイザーでもあった人と云われる。)彼は、具体的にその影響までは、まだ何も語らなかった。

今や、ホルムズ海峡や中東・アフリカからアジアへのシーレーンは、中国への原油輸入の大動脈化している。皮肉にも、米国は日本・韓国など同盟国と同時に中国へのエネルギー動脈を守っている構図になっている。

石油以外のエネルギー価格は、代替を求める中国・日本の動きで暴騰するだろう。原子力発電は、動かさざるを得なくなる。原油は、紛争海域を避けて輸入され続けるだろうけど、価格は心理的に上がる。

イスラエルのイラン核施設攻撃の可能性の現実味、日中尖閣衝突の可能性は、静かに、進行しているかも知れない。

人間の持つ業(ごう)を思い返しながら、私達もまた、混乱の世界史の中の一場面を、生きていることを想う。

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February 05, 2013

日常の中の感動、雪の予報の日の朝に、

今夜から全国的に雪が降るらしい、そんな時、正岡子規の歌を想い出す。 「幾たびも 雪の深さを 尋ねけり」病床に臥せる子規を想う。

昨日の朝、TVでチラッと、中国の農村の共働き出稼ぎ家庭の留守児童の報道を見た。子供達の言葉、「おもちゃも洋服も欲しくない。お母さんとお父さんに会いたい」、・・・・・・・・。

一昨日、2月1日にガンで逝った会社の先輩の通夜(前夜式)に、逗子の教会に行った。讃美歌320番は、1912年タイタニック号が沈む時、最後までバンドマン達が演奏し、皆が歌った曲だったと、初めて知った。「主よ みもとに近づかん、登る道は十字架に、」

昨日の朝、会社へ行く途中、地下鉄のホームで、白い杖を持った若者が地下鉄の出口に迷っていたので、彼を案内して地下鉄出口まで行った。「エスカレーターです。」「乗ります。」「降ります。」「階段です。」「段差があります。」、地下鉄の出口に出て、交差点前で別れる時、「大丈夫です、大丈夫です」と彼は云って、私の手を振り切った。 本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫だという言葉に、私は、両親のことを想った。大丈夫じゃないのに、大丈夫だというのは、仏様の言葉。「自分のことはどうでもいい。貴方自身のことを考えなさい。」・・・・、私は、何か沈んだ気持で、会社へ向った。

沈んだ気持になったのは、神への懺悔と感謝と、自分への口惜しさだったのだと想う。

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February 04, 2013

初めての豆まき見学、横浜白楽・六角橋杉山神社、

昨日は、節分であることを想い出し、急遽、予定を変更し、地元白楽の伝統行事、杉山神社の節分の祭りを見学に行くことを思い立った。私は今まで、何故か、直接、豆まきは見たことが無かったのだ。
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地元、杉山神社は、第12代景行天皇の御代(紀元71年~130年)、大和武尊が東夷征伐の折、訪れこの地の庵で六角の箸をもって御膳をとった故事に因み、その御箸に天照大神、大和武尊名を記して祀ったと云う。そんな古代の歴史を、神社の入り口で勉強して、豆まきに、集まる大勢の人達の中に交じって、節分気分を味わった。

ちっちゃい子供達が、お父さんの肩車に乗って、紙バックを広げ、豆や餅、お菓子をゲットしようと、大騒ぎの光景を、何とも、愉しく微笑ましい気持で眺めた。赤鬼、青鬼に扮した人が境内に現われ、豆で追い払われるシーンをかわきりに、豆まきが始まった。

豆や餅やお菓子が、集まった大勢の人達の上空に飛び交った。私も、童心に返り、餅2個、チョコレート1個、豆の小さい袋1個をゲット、大収穫だった。それは、勿体無くて、暫く、家で眺めていようと想う。

これが"豆まき"かと、初めて、豆まきのドキドキする気持を味わった。

私の今までの人生では、まだ知らなかった、"豆まき"。 人生は"旅"。 メルヘンのような節分だった。

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February 03, 2013

春一番、NHK俳句の朝

「春の海 渡るものみな 映しおり 」、朝日に耀く海の情景。小船の影、微かに聞こえる小船の音などあれば好い。

数年前に旅した瀬戸内、鞆の浦のホテルの窓から、朝、目覚めて、見た時の耀く海の情景を想い出す。

「鞆の津の 路地という路地 春一番」、静かな漁港の村の佇まいに安らぐ。誰もいない路地に、ネコが横切る姿などを想う。

「島の子の 旅立ちまじか 春一番」、学校を卒業して島から去って行く子供達の情景と、港。 感無量。

朝のNHKの俳句に、小さな旅。

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February 02, 2013

お別れの会の似顔絵バッジ、ホルムズ海峡冬景色♪で送る、

昨日、昼、半蔵門で、私のアブダビ時代の友人の商社マンのお別れの会があった。昨年12月初旬に体調を崩し、白血病で、クリスマスイブの12月24日急逝した友人。

商社や石油業界の多くの友人が集まり、彼を送った。好きだったワイン、ゴルフ、冗談。彼の想い出の写真や、カバンなど展示されていた。

受け付けで、彼の似顔絵を描いたバッジを貰って胸につけた。よく特徴をとらえた似顔絵で、よい記念になった。

ハワイに嫁いだ娘さんが、純白のドレスに着替えて、お父さんが好きだったフラダンスを踊ってくれて、感動した。アブダビ時代には、まだ子供だった娘さんも、久しぶりにその成人された姿を見て、感無量になった。

♪成田発の夜行便を降りた時から、アブダビの街 砂の中、街を歩く人の群れは色が黒くて、ヒゲ面以外見えません。私は一人 アブダビに着きました。 ねむたそうなラクダ見詰め 泣いていました。 アーアー、ホルムズ海峡 冬景色 ♪ 皆で、懐かしい替え歌を合唱した。

私には到底無理だが、こんな素晴らしい、お別れの会を、家族にやって貰って、彼は幸せ者だなーと想った。


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February 01, 2013

神様の横浜支部、横浜支店、

自分の五感六識のある身体を、神様の横浜支部・横浜支店と考えてみると楽しい。

波(個)には、大海(神)は見えない。

神様の本部は、宇宙一杯に広がっている。私は、神様(宇宙意思・真理)の、横浜支店、白楽出張所くらいなものか? 神様の、それぞれの支部・支店が個人、それぞれの生きもの。

神様の支店なら、本部と繋がっていると思うなら、大丈夫と云う気がして来る。

神様の本部は、支店を、時に不安げに見守る。それでも、神様の支店は、神様の手の平の上で、守られている。

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