来る人も、また来る人も、母の顔、
昨日、高尾に、姉の墓参りをした。駅から歩く小路には、鮮やかな黄色の実をたわわにつけた蜜柑の木が、快晴の青空に映えていた。
この地の北条の武将を攻めた武田家の武将との古戦場(1569年)、甘里古戦場の付近を越えて、墓苑に向った。
27区6列、姉の墓を見付けると、どっと、感情が吹き出る想いだった。墓を拭いて、樒を飾り、線香を焚いた。塔婆は、私が去年春に来た時の塔婆が一つポツンとあった。
長男の私が大学に行けて羨ましがっていた姉。女だから大学に行けないと嘆いていた。亡くなる直前、大牟田駅3番線から、東京へ帰る時の姉の姿を想い出す。大牟田駅の3番ホームは、姉を送り出した時の想い出。
両親・兄弟姉妹で、最後の箱根へ温泉旅行した時、遺して行く生まれたばかりの赤ちゃんのことを上の姉達に頼んだという。
墓参りの写真を、九州や名古屋の姉達にも送ろうと想う。
高尾駅まで帰り、午後、高尾わっぱ定食という、山の幸・海の幸が一杯の食事をした。店には、贈られた俳句が飾られていた。「来る人も、また来る人も、福の神」
私は、墓参りをした心境を、「来る人も、また来る人も、母の顔」と詠んだ。姉の墓参りをしたつもりなのに、母の顔が浮かぶとは・・・・・。母の顔は、人生に於いて、懺悔と感謝の象徴なのだろうと想う。修行の行きつく先を示す道しるべかと想う。
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