可愛そうか、憎たらしいか、
"可愛そう"に想えるか?、"憎たらしい"と想うか?
色々な事象や、人に対して、"可愛そう"に想えるか?、"憎たらしい"と想うか?自問してみると、自分の今の世界観が見えて来る。
"可愛そう"に覆われれば、慈悲心に包まれ、対象に対して、もどかしくも、穏かに祈れる。
"憎たらしい"と想えば、苦が生まれ、怒りに包まれ、心騒ぎ、祈る余裕を失う。
子供の頃、母が、こちらが何を云っても、「そうね。そうね。」と、うなずいていた時の表情を想像する。
まるで、相手にしていないかのように、子供扱いして、うなずくことも、神の境地ではないかと想う。
"憎たらしい"対象に対して、「そうね。そうね。」と、うなずいてみると、穏かに祈れる世界が広がる。
昨日は、今年、初めての坐禅の勉強会だった。
「そうね。そうね。」という気持で、生きて行きたい。
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