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January 31, 2013

偉い人が普通に見え、偉くない人が偉く見える日々、

昨日、ホテルオークラで開催の、国際エネルギーシンポジウムに出席した。産油国、消費国の首脳が出席して、いくつかの講演を聴き、レセプションにも出席した。ただ、淡々と会場で、出席者と談笑した。

著名な人に対しても、今の私には、余り著名な所以がわからず、卑屈にミーハー的な名刺交換はせず、マイペースで、近くの人と会話を楽しんだ。

商社の20代の若手社員は、何を話しても、初々しくて頼もしかった。

昔馴染みの、余り偉くなってない友人などの方が、嫌味もなく、会話は愉しかった。

若いアラブの大使館員に、ちょっと自分のアラビア語を試したりもして、愉しかった。

米国の天然ガス(非在来型のシェールガス)の大増産、米国の大産油国化のきっかけで、世界のエネルギー情勢は大変革の時代に入る。 じっくり、自分の視点で、眺めてやろうと思う。

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January 30, 2013

作用と反作用、共に一対を成す、

作用は、その分だけの反作用を起す。

作用と反作用で一対をなし、均衡し、調和する。人生も、宇宙も、森羅万象も、そうなのだろうと思う。

私の不幸も幸も、作用・反作用がなせる業(わざ)。結果として見れば、全てが大きな調和へ向う行程。

心して、神(宇宙の調和)の業を見詰める。

それが、安らぎであれば、尚よい。

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January 29, 2013

ニワトリが先か?、玉子が先か?

ニワトリが先か?、玉子が先か? それは、永遠のどうどう廻りの議論。

ニワトリは即ち玉子。玉子は即ちニワトリ。そして、ニワトリでもなく、玉子でもない時代が確かにあった。あるときは玉子に、ある時はニワトリになる。

白隠禅師の歌、「闇の夜に、鳴かぬカラスの声聴けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」。住職からよく聴く歌。

父母未生以前の世界、片手の音を聴く世界。

種子と樹木、種子でもなく、樹木でもない時代が確かにあった。生も死もない時代が確かにあった。あるときは生に、あるときは死に。

そして、"不生不滅"の世界への扉が開く。


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January 28, 2013

乙武洋匡さん、金子みすずさんとの共鳴、そして無我へ、

1998年の「五体不満足」で500万部の大ベストセラーを書かれた乙武 洋匡(おとたけ ひろただ)さんの講演を昨日、読売ホールのミキ健康セミナーで聴いた。四肢欠損の障害をもって生まれてこられ、力強く生きておられる姿は、世界中の多くの人々に勇気を与えている。

小学校教諭もされた乙武さん曰く、「ジクソーパズル」のようなクラスにしたいと思ったと。一つ一つは、何の役にも立たない、出ぱったり、引っ込んだり、それを繋げれば、一枚の美しい絵になるような、そんなクラスにしたいとの想いだった。

彼は、金子みすずさんの詩「私と小鳥と鈴と」を紹介してくれた。「私が両手を広げてもお空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように地面を早く走れない・・・・みんな違って、みんないい」。 金子みすずさんの歌を、こんなに、また耀かせてくれた人はいない。二人は時代は違っても、同じものを見たのだ。私も、心の中で、その場面に加わりたい想いだった。

東日本震災に対し、彼は、何かをしたいと想ったが、障害者では、何もできない口惜しさ、足手まといになるだけの現実に心が沈んだ。子供時代から、障害者だから、何か普通のことをしても褒められたことは、内心、下に見られていると云う卑屈な想いもあったと云う。

しかし、彼は、自分の障害者のそんな想いを忘れて、2011年5月、仙台の球団・楽天イーグルスと、西武ライオンズの開幕試合の始球式にボールを投げたのだ。彼は、電動車椅子を降り、四肢のない身体で、グランドで、残った膝までの足を使ってマウンドに駆け寄り、腕からちょっとだけ残った小さな手の部分を使って、何と、何メートルも、バッターに向ってボールを投げたのだ。その時のビデオを見て、会場は静まり返って泣いた。 その時のTVを見た人は、日本中が泣いたのではないかと想う。世界中も。

彼は、その時、自分の障害を嘆く心も、自我も消えたのだと想う。東北の被災された人々に、何か役に立ちたい想いが、四肢のない身体を、何万人の前にさらけ出し、あの障害のある、小さな腕に残った手の部分でボールを投げきったのだ。 こんな場面に出遭えた私の仏縁に感謝し、思わず合掌した。

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January 27, 2013

道を求めるならば、

道を求めるならば、いずれ問わなければないことがある。

他の苦しみと、身内・家族の苦しみの差。他の苦しみを、自分の苦しみとして、身内・家族と分け隔てなく感じられないのは何故か?

この問題に真正面から、取りまずして、悟りも、解脱もない。修行にもならない。

苦しみからの解放が解脱。執着の度合いで決まる苦しみ。我と他が対立している間、苦しみはなくならない。

昨日の住職の言葉のメモを読み返す。

道を求めるとは、「私が」、「私のもの」が薄まって行くこと。

アルジェリアのテロ事件の被害者の気持になり、次に加害者の気持になる。そして、"人類"へ、"生きとし生けるもの"へ、そして"存在"へ。

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January 26, 2013

おめでとうございます、小学1年生

昨日、夜の報道特集で、生まれた赤ちゃんと9ヶ月だけ過ごした乳がんの母親の話が放送されていた。

2007年に結婚して2010年に乳がんの末期を宣告され、治療しながら生んだ男の子も今、2歳になった。

亡くなる3日前のビデオで、赤ちゃんに、小学校入学式を想定して、お祝いの言葉を伝えていた。「おめでとう、今日は、よく行進もできました。かっこ好かったよ。これから小学校生活で、沢山のよい想い出を作って下さい。ずーっと、お空から見ていますから」

このような想いを、多くの親達は、子供に抱いて生きて来たのだと想う。例え、長生きして、そのようなビデオに吹き込むチャンスがなくても。

私も、私の両親が、いまだに、私を、空から見守っている。

そして、私も、誰かを見守る存在。

気づけば、守られたり、守ったり、それが宇宙の本質なのだと想う。

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January 25, 2013

ポテトチップ、フライドポテトの発ガン物質、「アクリルアミド」

今月の食育指導士としてのレポートは、ポテトチップ、フライドポテトの発ガンリスク、「アクリルアミド」についてです。

(1)、WHOの下部組織IARCは、「アクリルアミド」は発ガン物質として警告している。
(2)、2002年、スウェーデン政府が、芋類を高温で焼いたり揚げたりした食品に、大量の「アクリルアミド」が、含有されていることを発表した。 イギリス、ノルウェー、スイス、カナダ、アメリカ も独自に調査の結果、スウェーデン政府の発表が正しいことを確認した。
(3)、 2005年、FAO(世界食料機関)とWHOの合同委員会が、食品中の「アクリルアミド」の健康被害を発表。
(4)、 2007年、オランダの疫学調査の結果、「アクリルアミド」の発ガンリスクを発表。

(5)、超悪玉、発ガン性物質、AGE (終末糖化産物 : Advanced Glycation End-products).
1912年、フランス人が焼けた食品から見つけた。 発見者の名前から、「メイラード」反応と呼ばれる。 暫くAGEは、食品の風味を醸し出す善玉と考えられていましたが、意外にも人体からも発見された。 それはヘモクロビンA1C(糖尿病の診断基準)。

食品に含まれるAGEが、直接的にガンを進行させる、超悪玉AGEで、「アクリルアミド」と云う物質。 「アクリルアミド」は、アスパラギンと、糖類のメイラード反応によって生成されると推定されている。 メイラード反応は、タンパク質と糖質を、同時に加熱することで起こります。パンケーキ、食パン、焼きおにぎり、お好み焼き、タコ焼き。玉ねぎを炒めると、キツネ色になる のも、メイラード反応。

(6)、食品中のアクリルアミドの含有状況(国立衛生研究所調べ 。単位マイクログラムμg/kg)
ポテトチップス 467-3544
フライドポテト 512-784
トウモロコシ チップ類、 117-635
ビスケット、クラッカー 53-302
朝食用シリアル 113-122
チョコレートパウダー 104-141
コーヒーパウダー 151-231
食パン、ロールパン 9-30

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January 24, 2013

行きたくない、満洲引き揚げ資料館に気づく、

昨日は、昼、銀座で、父の属した満洲同窓会(鳳城会)の方々との会食、夕方は、横浜で、もとの会社の大きな同窓会もあり、会社を休んだ。先輩の方々との交流は、まさに、人生への数々の示唆を与えてくれる。気を張って生きて来た企業戦士時代と比べると、何か、力がフーッと抜けるような、安らぎでもある。

満洲の会は、もう幹事さんも高齢で大変で、満洲に住んだこともない戦後生まれの私に代わって欲しいとのこと。満洲の会も、年々、人数が欠けて来て、いずれ消滅の日も近いかも知れない。私は、亡き父の長男という名で、案内を出そうと想う。父は、まさか、私が、鳳城会の世話人をしてるとは、想わなかったことだろう。これも、父へのせめてもの親孝行だと想う。

今年の会では、私は、新宿の平和祈念資料館に、引き揚げ関連の写真、ビデオなども沢山あり、昨日会食の時、パンフレットを用意して、会の方々数人に見せ、相談した。 ところが、反応は、極めて薄かった。

満洲の体験のすごさを想った。

もう、そのような提案をするのはよそうと想った。私の両親も、満洲の体験は語りたがらなかった。人生に於いて、そのような体験があるのだと、改めて想った。

私は、談笑しながら、会の方々と飲みながら、それぞれの人達の深い悲しみを垣間見た想いだった。

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January 23, 2013

遺言のように、

年上の人に会った時は、遺言のように聴けば好い。

年下の人には、遺言のように、伝えれば好い。

同年の人とは、一緒に、高校3年生を歌う。

そうすれば、会った人が、皆一緒に生きていることになる。

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January 22, 2013

"南無地獄大菩薩"、白隠展で見た言葉、

昨日の朝は、数々の励まされる辞世の句が書かれた書籍に触れ、清々しい力が湧きあがるようなものを感じながら出勤した。

何故か、脳裏に、"現世、即ち、蓮華国"とか云う言葉が浮かんで来た。

通勤途上、周りが、何もかも、キラキラ耀いているようにも見えた。。

本来、キラキラ耀いているものも、時に地獄に、時に退屈に見えるのかと、疑ってみる。

最近行った白隠展で見た、"南無地獄大菩薩"の書を想い出す。


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January 21, 2013

励まされるような辞世の句、

昨日、図書館で借りた、「辞世の句300選」と云う本に、今朝は、もう感動しきりになった。

貸し借りの無き身の軽ろし芋の花、 まーいいか責めて花の咲く頃に、遺すもの何もなくてもメダカの子、途中下車程の滞在春の雪、白く来て白く落ちゆく小滝かな、

父の声大きく響く花野かな、頑張ったよく頑張った頑張った、芋虫を二匹助けたことくらい、花に舞う太極拳を来世にも、媚びること知らずに生きて白木蓮、

桃の花生きよ生きよと母の声、亡き父母に褒めて貰える人になる、帰りみち身にまとう花野風、旅に出るメールアドレスそのままに、ラストシーン私への雪舞い始む、父の顔知らずに逝くなり冬の虹、

お日様へ一直線のしゃぼん玉、右に月・左に火星ゆきこ星、ただいまと行きます母の待つ花野、

普通の人達が元気な時に詠んだ辞世の句の迫力に、圧倒される。

辞世の句は、人生を励ます詩なのだと想った。

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January 20, 2013

矢の刺さった動物を扱うように、

矢の刺さった動物を見ると、それが猛獣であっても、人はその矢を抜いてあげたくなる。

矢の刺さった動物は、その矢を取り除いてくれる人間が近付いて来ると、また、自分に危害を加えるのではないかと思い、逃げ回る。その人間に牙を剥いて、敵対し身を守ろうとする。

見るに見かねた人は、その動物に多少、噛まれても、引っかかれても、なだめながら、矢を抜いてあげる。矢を抜いて貰った動物は、お礼も云わず、狐につままれたかのように、慌てて、その場を去り、森へ帰って行く。

矢を抜いてあげた人は、その慌てて森へ帰る動物の後ろ姿を見て満足する。私は、大自然、宇宙の本質は、その無功徳に働く姿にあるのだろうと想う。

昨日の、横浜から房総・館山・能忍寺への日帰りの旅の後、今朝、何故か、そんな想いが湧いて来た。

昨日は、初めて、能忍寺の近くの洞窟画(画僧・岩崎巴人・作)も、住職に見せて頂いた。約30年前に描かれた、文殊菩薩像、捨身飼虎図、釈迦成道図の、その鮮やかな壁画の勢いに驚いた。

時に、不思議な光に導かれる日もあるものだと、館山の海に沈む夕日を見ながら、またバスに揺られて横浜へ帰った。

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January 19, 2013

出光左三と禅、鎌倉・東慶寺に眠る、

石油業界の歴史に残る大人物・出光左三の本(水木楊著・PHPビジネス新書)を最近読んで、大変、驚いたことがある。

「死んだら鈴木大拙先生のそばに埋めてくれ」が遺言だったと云う。遺族は、遺言をいかし、鈴木大拙先生が眠る鎌倉・東慶寺に分骨したとのこと。

鈴木先生の墓から数メートルの距離に出光左三の墓はあり、両者の間を阻むものはない。鈴木の墓を正面に見て建ち、出光の墓は、その鈴木の横顔を見詰めるように置かれていると云う。

もう一つ遺言がある。「鈴木先生よりも大きな墓にしてはならぬ」と。出光は鈴木先生の教えを吸収し、「生死即涅槃」の禅の世界に魂の終の棲家を求めた。苛烈な人生の果てに、辿りついた精神世界の静けさであったと。.

私は、数年前、前田行貴先生の講演を聴きに、東慶寺に行ったことがある。

そこに、鈴木大拙先生の墓も、出光左三翁の墓もあったことを知り、是非、また訪れたいと想った。石油業界の大人物、出光左三翁が、禅の世界に、それほどの繋がりのある人であったとは、大変、嬉しく想った。

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January 18, 2013

一時的な安らぎ、永遠の安らぎ、

得る、他から奪う、拡大する、会う、生じる安らぎ、子供の時の安らぎ、一時的な安らぎ。

手放す、他に与える、縮小する、別れる、消える安らぎ、母親の安らぎ、永遠の安らぎ。

修行の果てに、永遠の安らぎ、圧倒的な安らぎが、光耀いている。

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January 17, 2013

ホームレス、仏性、はまかぜ、光、

JR東神奈川駅西口のドーナツ屋さん前の、歩道橋の大きな柱のそばに数ヶ月、座って生活している中年の女性のホームレスの人がいた。

昨日、東京・新橋での新年会を早目に終え、JR東神奈川駅で降りると、その場所で、ゴソゴソと作業している別の中年女性がいたので、訊ねてみた。この数ヶ月、年末年始も、昨日まで、この厳しい寒さに耐えて来たホームレス女性は、昨日、横浜市のホームレス支援施設(はまかぜという施設)に移られましたとのことで、私は、心の重荷がスーッと軽くなった。

この片付けをしている女性のように、気遣う支援者達が大勢いたことも知った。そばに、カイロとか、饅頭とか、大勢の人が、見るにみかねて、支援していたのだ。貰ったカイロも、まだ食物も少し残っていた。

私も、どう支援していいのか、悶々と、心のわだかまりとなり、寒い夜には、家で寝ていても、そのホームレスの人がどんなに寒いかと思うと、その心の動揺の対処に困った。

東神奈川駅を通ると、いつも暗い気持になり、人間社会の過酷さを思った。12月の衆議院選挙の各党の演説者にも、私は近付いて、「このようなホームレスの人を救わずして何の政治だ」と訴えた。反応は、市には話していますが、本人が施設に行きたがらないので、との回答であった。

でも、やっと昨日、そのホームレスの女性も、施設に移ってくれたのだ。その女性は、寒さの中、凍死で自死する覚悟だったのだと思う。最近の寒さと、これから本番の極寒の季節を考え、周りの人達も市の職員も、強く説得したのだろう。共産党の市議、白井まさ子さんという人も、強く市に働きかけていましたと、片付けをしている女性から聴いた。

私は昨日、夜、寝る時、何か、気持がとても軽くなって、お祝いの日のように想った。私は、仏性を見たのだと想う。救う人も仏様、救われる人も仏様。 そして、同じ仏様には、もう救う人も、救われる人もいない。

横浜・寿町に"はまかぜ"はあると云う。そこに、今、仏様はいらっしゃる。人騒がせな仏様だった。

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January 16, 2013

雪景色の通勤の道、ペンギン達が歩く、

昨日は、横浜は雪景色の中、通勤に駅まで歩くのに、ペンギンのようにヨチヨチ歩きの人が多かった。人間が南極のペンギンのようだと想うと、可笑しくなった。

ランドセルを背負った小学生の手を引いて、用心深く二人で歩くお母さん。突然の慣れない大雪に、親子は楽しそうでもあった。ちょっと、はしゃぎながら歩いていた。

別の親子は、何の理由かわからないが、ランドセルの女の子が泣いていた。それでも、お母さんに抱きついて、顔を埋めて泣いていた。 その光景を見たら、自分も幼児時代、母に甘えて泣いていた時の母の感触を想いだして、哀しいけど安らぐような気持が脳裏に甦った。

甘える対象があることは幸せ。甘えられずに、人生の過酷さを自分だけで、背負い込んだ時は辛い。

幼児が、お母さんに甘えて泣いてる姿は、見てて、とても優しく、暖かい気持になれる。大人になっても、そんな幼児の時に感じた、母の暖かさは、人生のエネルギーになると想う。

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January 15, 2013

雪の中の白隠展 : 雪の東京、渋谷・新宿・お台場の旅、

昨日、雪の中、渋谷・文化村に、白隠展を見に行った。白隠禅師(1685年~1768年、84歳没)は、42歳で大悟され、60歳を越えてから、本格的に絵を描き始めたられたと云う。

83歳の時に描いた"半身達磨"(朱達磨)は、代表作として、ポスターにもなっている。達磨の大きく見開いた目は、見る人に、本来、己に備わっている仏性に目覚めなさいと叱咤しているようにも見える。

子供の頃、親に連れられて行った寺で地獄の話を聴き、地獄の恐怖から逃れることが、仏門へ入るきっかけになられたと云う白隠禅師が、修行の末に、"南無地獄大菩薩"と説かれている。 禅の世界の安らぎを想う。

"富士大名行列"では、162人の人物と壮大な富士が描かれている。富士(仏性)に目もくれずに歩く行列(人々)を描いて痛烈な社会風刺をしている。その中で、たった2人、富士の高嶺を見上げる人物がいる。茶店で、富士を見ている僧と、峠の崖の上から富士を見ている旅人。

ちょっと、白隠禅師に渇を入れられる想いだった。

そして午後は、今年の春の満洲の会の世話役を仰せつかった関係で、新宿住友ビルの平和記念資料館、お台場の大江戸温泉物語を下見に訪ねた。(父の世代の満洲の会の大会の世話役を、今年は、戦後生まれの私が仰せつかった)。初めての大江戸温泉物語、広重の絵、雪の庭を見ながらの湯船は、江戸時代の湯治場にいるようでもあった。

渋谷も新宿もお台場も、見たこともない吹雪の中。 幻想的な、雪景色の東京の旅であった。


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January 14, 2013

下田の水仙、爪木崎、

下田は、函館と共に、1854年日米和親条約で開港された港。長い鎖国の終焉の地であり、新しい日本の誕生の地でもある。

その下田の、爪木崎に、大海原を見下ろす丘陵に群生する野生の水仙、その白い小さな花は、冬の厳しい潮風の中、咲き誇っている。その数、300万本とも云われ、広大な海の蒼に映えて、その清楚な美しさの光景は、見る人を立ち止まらせる。私も、昨日は、天気に恵まれた連休のなか日、駅のポスターなどで、2年前に訪れた水仙の光景を想い出し、出かけた。

水仙の丘陵のなかに、記念碑があり、詩が書いてあった。「抱かねば、水仙の揺れ、止まざるよ」、小さな、かよわな水仙が、風に揺れている光景は、何か手をさしのばしたくなる。

水仙の控えめな、白に、近くにアロエの橙色の花が、アクセントをつけている。丘の上には、白い灯台。

ペリー艦隊も、爪木崎を越えて、下田の港に入った頃、この水仙は見えたのだろうか?

今日も、水仙は、岬に早春の訪れを告げている。

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January 13, 2013

来る人も、また来る人も、母の顔、

昨日、高尾に、姉の墓参りをした。駅から歩く小路には、鮮やかな黄色の実をたわわにつけた蜜柑の木が、快晴の青空に映えていた。

この地の北条の武将を攻めた武田家の武将との古戦場(1569年)、甘里古戦場の付近を越えて、墓苑に向った。

27区6列、姉の墓を見付けると、どっと、感情が吹き出る想いだった。墓を拭いて、樒を飾り、線香を焚いた。塔婆は、私が去年春に来た時の塔婆が一つポツンとあった。

長男の私が大学に行けて羨ましがっていた姉。女だから大学に行けないと嘆いていた。亡くなる直前、大牟田駅3番線から、東京へ帰る時の姉の姿を想い出す。大牟田駅の3番ホームは、姉を送り出した時の想い出。

両親・兄弟姉妹で、最後の箱根へ温泉旅行した時、遺して行く生まれたばかりの赤ちゃんのことを上の姉達に頼んだという。

墓参りの写真を、九州や名古屋の姉達にも送ろうと想う。

高尾駅まで帰り、午後、高尾わっぱ定食という、山の幸・海の幸が一杯の食事をした。店には、贈られた俳句が飾られていた。「来る人も、また来る人も、福の神」

私は、墓参りをした心境を、「来る人も、また来る人も、母の顔」と詠んだ。姉の墓参りをしたつもりなのに、母の顔が浮かぶとは・・・・・。母の顔は、人生に於いて、懺悔と感謝の象徴なのだろうと想う。修行の行きつく先を示す道しるべかと想う。

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January 12, 2013

お正月の墓参り、

年末とお正月に、名古屋・九州・小田原で、兄弟・姉妹5人が、会えたけど、28歳で病死した姉は、高尾の墓苑で、寂しくしていると想い、今日、墓参りに行くことにした。

兄弟姉妹が、残り全員5人で会っているのに、一人寂しい想いをしているのではないか、そんな想いが、私を動かす。父親の代理、母親の代理、兄弟姉妹の代表として、私は行く。

兄弟姉妹の最新の様子を、姉の墓前に報告する。

高尾は、山間の町。高尾駅から、今日はバスに乗らず、丘を越えて約30分は、歩いてお墓に行こうと想う。姉が若くして亡くなった時、両親も、悲しみで見た山や草木がそこにはある。

今日、この墓参りが終われば、私は長男として、胸を張れる想いがする。

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January 11, 2013

年賀状の中の小さな驚き、2013年

今年頂いた年賀状を、ゆっくり読み返してみた。

「蕗の薹 見つけし 今日は これでよし」(細貝綾子作)、病気療養中の方からの年賀状に、この句が書いてあった。私は、人生に対する万感の想いを込めて、この句を味わう。

「人は、お互いが、お互いの存在の証明なのでしょうね」と云うのは、何か深く考えさせられ、禅のことを想った。

また、茶目っ気のある友人から、「一寸先はバラ色」と云うのも、可笑しな気づきに出会った想いだった。

年賀状からも、多くの気づきに出会わせて貰う。


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January 10, 2013

あっこちゃんのヴァイオリン・リサイタル、神楽坂・音楽の友ホール

昨日、夜、娘の幼馴染のあっこちゃんが、去年に続き、ニューヨークからの帰省の時期に、ヴァイオリン・リサイタルを開き行ってみた。神楽坂の音楽の友ホールに、去年の表参道の時より大勢の人が集まった。あっこちゃんも、腕に磨きがかかり、私も、しばし、ヴァイオリンの音に酔いしれた。

娘と、よく、公園などで遊んでいた、あっこちゃんが、ヴァイオリン・リサイタルを開いている、そのシーンを目の前にすると、何か、ジーンと来るものがある。今神戸で仕事をしている娘は、昨日は出席できなかったが、幼児の頃の二人の表情までもが浮かんで来る。

神楽坂の雰囲気は、私のとても好きな場所。帰りは、毘沙門天の前を通り、飯田橋まで歩いた。飯田橋では、満洲の父の時代の同窓会・鳳城会の方の娘さんが開いている居酒屋に少し立ち寄って帰った。

神楽坂に、また心地好い想い出が一つ。

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January 09, 2013

1.5億円、マグロの値段、猥褻な値段、

マグロに1億5000万円とか、今年1月5日の競りで、大間のマグロ222キロに対し、去年の最高額5000万円の3倍もの値段だったことに、びっくり仰天した。

これこそ、まさに、マグロの価値を翻弄する、市場をぶち壊す、トンチンカン価格だと思った。株式市場のシテ戦のような、一般投資家をだますような違法取引を連想した。

見るに耐えない、聞くに耐えない、猥褻という印象の価格だと思った。

世の中に、時給700円とかで、働くパートの人も大勢いる社会で、たかがマグロ1匹に、1.5億円か?

人間のなりふりかまわぬ売名行為のような、異常な価格に唖然とした。

これも、人間社会の業なのかと、哀しくもなった。

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January 08, 2013

安倍総理の新春スピーチに遭遇、2013年賀詞交換会、

昨日の昼、石油連盟の賀詞交換会(大手町・経団連会館)で、何と安倍総理が来場、初めて安倍総理を直接見て、演壇でのスピーチを聴いた。茂木経産大臣、菅官房長官も同行で、3人の短い新年の挨拶も聴けた。

スピーチを聴きながら、自民党の勢いを、肌で感じた。 少し前のめり過ぎるくらいの勢い。 頼もしくも思うと同時に、暴走しないように、今後、自民党の政治も、国民として、よくチェックもしなければとも思う。

昨日は、実質上の仕事はじめだったが、まだ休日気分が抜け切れず、通常の仕事生活には違和感が大きい。

考えてみると、仕事したり、旅をしたり、坐禅の会とか修行とか、目先の風景が変わるのが可笑しい。

それぞれの、場面や、登場人物が、コロッと変わり、私も、その場面に同化する。 海に生息するタコみたいな変身。

人生の海にうごめくタコか? そう考えると、可笑しくなって来る。

今日は、もう少し、仕事モードに切り替わると思う。

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January 07, 2013

湯たんぽの暖かさ、

昨日の夜、そういえば、家に湯たんぽがあったことを想い出して、久しぶりに、今年の冬としても、初めての湯たんぽをいれて寝てみた。

湯たんぽの暖かさは、安上がりだし、それより、何か、素朴な、深い暖かさを感じる。

遠い遠い日に感じた暖かさを想い出す。

心にも、"湯たんぽ"があれば好い。

"湯たんぽ"の暖かさは、心の秘密の隠れ家のようなもの。

ただ、水を温めて容器に入れただけなのに、それを抱きしめたくなる。

今日から本格的に、また厳しい仕事生活が始まる。そんな日の朝、"湯たんぽ"の暖かさを想い出す。

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January 06, 2013

可愛そうか、憎たらしいか、

"可愛そう"に想えるか?、"憎たらしい"と想うか?

色々な事象や、人に対して、"可愛そう"に想えるか?、"憎たらしい"と想うか?自問してみると、自分の今の世界観が見えて来る。

"可愛そう"に覆われれば、慈悲心に包まれ、対象に対して、もどかしくも、穏かに祈れる。

"憎たらしい"と想えば、苦が生まれ、怒りに包まれ、心騒ぎ、祈る余裕を失う。

子供の頃、母が、こちらが何を云っても、「そうね。そうね。」と、うなずいていた時の表情を想像する。

まるで、相手にしていないかのように、子供扱いして、うなずくことも、神の境地ではないかと想う。

"憎たらしい"対象に対して、「そうね。そうね。」と、うなずいてみると、穏かに祈れる世界が広がる。

昨日は、今年、初めての坐禅の勉強会だった。

「そうね。そうね。」という気持で、生きて行きたい。

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January 05, 2013

寂れた郷里も味わい、大牟田

昔、三池炭鉱で栄えた大牟田は、人口20数万人以上だったのが、今ではその半分になり、デパートも閉店、商店街もシャッター街に変わった。街行く人も年寄りが目につく、まさに寂れた街の様相に、往時を知る人は寂しさを感じる。

それでも、着実に、変化の流れは続いているのだから、それぞれの時期を味わえばよいと想う。朝日の勢いもあれば、夕日も味わいも深い。

その流れは、一時たりとも、止まってはいない。繁栄する前の大牟田は荒涼としていたかも知れない。繁栄して、また寂れて、また繁栄に向う、そしてまた寂れる。私は、その、流れを、一場面を見ているに過ぎない。全ては作用と反作用の調和の過程。

お正月の2日の昼前、大牟田の寂れた商店街の一角で、地元の高校生くらいの女性のグループが、音楽のライブをやっていた。私が通りかかった時、観客ゼロだったので、私は、約1時間くらい立ち止まって、その音楽を聴き応援した。通りかかる人は多少いるが、おじちゃんやおばちゃんは、余り立ち止まらなかった。演奏する目の前を自転車の叔父さんが通りかかったり、その光景も田舎らしく、可笑しくも思った。

歌は、キンキキッズのホワイトスワン、ボーカロイドのマグネットなどとか云う曲で、結構いいものだと、孤軍ながら、拍手した。

純朴な田舎の高校生くらいの若者達が、寂れた商店街の一角で、歌ってる姿も、私にとっては、思いがけない、新鮮な旅の光景だった。

私が育った頃の喧騒の大牟田も、ちょっと寂れた今の大牟田も、流れ行く。 それぞれの味わい。

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January 04, 2013

6人の兄弟を訪ねる旅、

去年は年末に、名古屋の姉、九州・大牟田の姉、大牟田の弟を訪ねた。そして年始は、今日、新年の初出勤の日、会社帰りに小田原の妹を訪ね、そして、1月中に高尾の墓苑に姉の墓参りをすれば、短い間に兄弟全員と会ったことになる。

私は、姉(異母)が3人、妹と弟の6人兄弟。女4人、男2人の兄弟の長男として育った。

こうして、年末年始に、私が、全ての兄弟を回ることは、亡き両親も喜んでいることだろうと思う。両親の名代かなとも想う。

私の大学時代に、28歳の新婚で、幼子を遺して病死した姉も、不図、墓参りせねばと想い出した。

6人兄弟の時代を想い出せば、ずーっと自分が歩いて来た道が、見えて来るような気がする。

そして、新年に相応しい、新たな決意も湧いて来る。

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January 03, 2013

大阪・淀川の旅、九州帰省の旅の途上、

九州帰省の途上、大阪へ立ち寄り、淀屋橋から雨の中、淀川の1時間の舟旅をした。

昔、八軒家(天満橋)から京・伏見への三十石船が、通っていた淀川。広沢虎三の浪曲にでも出て来るようなシーンなども想い出させてくれた。

淀川からみる大阪城天守閣は特に好い。

淀川の水上バスは、沢山の橋をくぐるので、凄い平べったい背の低い構造で、またその屋根を更に30センチ、低める装置まで付けていた。満潮とか、潮が満ちて来た時は、窓ガラス全体が押し下げられて屋根も沈む構造が、驚きであった。

水上バスの陸上の係りは、女子大生のような若い女性達で、雨の中、赤い雨合羽を着て、船の離着桟作業などもしてくれて、船が出ると、雨の中、ずーと手を振ってくれて、健気に働くことの美しさ、感動を教えてくれた。

帰省の旅は、色々な、思い掛けない感動を与えてくれた。

今日、夕方はもう横浜。2013年の精進を誓う。

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January 02, 2013

明治時代を往く、九州帰省の旅、

昨年の年末、横浜から九州への帰省の旅の途上に名古屋へ立ち寄り、初めて明治村に行ってみた。

名古屋バスセンターから約1時間、犬山近くの広大な丘陵地に、明治時代の建物が沢山移築された明治の村がある。行ってみると、そこは、もうスッポリ、明治時代の雰囲気に浸れる凄さ。全く、感激で、参ったなーと想った。

森鴎外・夏目漱石の千駄木の住居(借家)を移築した佇まいも、中に入ってみることができ、凄い感動だった。明治の頃の日の丸の旗がたなびく役場、郵便局なども。交番には、明治の警官も。

フランクロイドライト設計の旧帝国ホテルは、実際に中に入って見て、その重厚な品格に圧倒された。ホテルの中ではボランテイアの方が二胡の演奏もされていて、感動のシーンを際立たせてくれた。また1905年の日露戦争のポーツマス講和条約締結の時に使われた実際のテーブルが米国から寄贈され、展示されていて、これにも感激だった。

横浜から九州への旅の途上に、私は、ちょっと明治時代に立ち寄ったのだった。それは、神秘的な帰省の旅になったようにも想う。

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January 01, 2013

2013年 新年のご挨拶、九州にて、

2013年・新年ご挨拶
明けましておめでとうございます。

“朝日が昇るように、新年を迎え、夕日が沈むように、年末を迎える。”
朝日は夕日へ。 夕日は朝日へ。 その循環の繋がりに安らぎを感じます。
流れは淀まず無執着、流れは留まらず無我。

朝日を浴びて、佳い新年を祈念します。

2013年 元旦

福岡県、大牟田市にて、

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