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December 14, 2012

気持ちの悪い神社、何とそこは大和朝廷跡、

奈良、三輪山西麓に、昼間でも暗く、ひっそりと木々に埋もれた「志貴御懸坐神社」(しきの みあかたに ます じんじゃ) と云う寂びれた神社がある。

近くには壮大な大神神社に続く山野辺の道もあるが、人影もなく、お化けが出てきそうな佇まいをしている。住職が子供の頃、肝試しに、愛犬を連れて、よく訪れた場所だと云う。

たまたま先日、私が訪れた時、地元の中年女性の方が、境内の木の葉の掃除をしていた。話を聴くと、彼女曰く、ここは、大昔、朝鮮半島と交流が深い頃、半島から金銀財宝を運搬してこの地に来た人達、何百人もが、口封じのため、ここで殺されこの境内の場所に埋められたと伝えられていますとおっしゃった。 だいぶ、供養を重ねて落ち着いて来てはいますと云う話だった。

鳥居の前の掲示には、「磯城瑞籬宮跡」(しきみずかき のみや) とあり、第10代・崇神天皇(紀元前30年崩御)の皇居跡とある。

東には、泊瀬道(はせみち)・伊勢を経て、東国へ。
南へは、磐余道(いわれみち)・飛鳥を通じて紀伊方面へ。
北へは、山野辺の道、奈良・京を経て、北陸・日本海方面へ。
西へは、大和川の水運を利用して、難波・瀬戸内海方面へ。

ここは、古代大和王権発展の、拠点であったとも云える場所ですと書いてあった。

世に見捨てられた様な、寂びれた、気持ち悪い神社が、そんな云われのある地であることは、大きな驚きであった。

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