大晦日のすき焼き、鯨の刺身、2012年暮れ
九州・大牟田の弟が、大晦日に、一緒にすき焼きを食べようと云う。
大晦日は私の誕生日、昔、私の実家では大晦日はいつも、すき焼きに決めていた。
弟は、まるで母親を真似するかのように、私が好きなものを用意しようとする。
"鯨の刺身"も用意すると云う。
私の大学時代、東京から九州へ帰省すると、いつも、私の大好きなものを用意していた母親。
大晦日のすき焼きは、遠い日の家族の情景を想い出す。
(2012年12月27日の記)
九州・大牟田の弟が、大晦日に、一緒にすき焼きを食べようと云う。
大晦日は私の誕生日、昔、私の実家では大晦日はいつも、すき焼きに決めていた。
弟は、まるで母親を真似するかのように、私が好きなものを用意しようとする。
"鯨の刺身"も用意すると云う。
私の大学時代、東京から九州へ帰省すると、いつも、私の大好きなものを用意していた母親。
大晦日のすき焼きは、遠い日の家族の情景を想い出す。
(2012年12月27日の記)
「退院の、一歩一歩の、落ち葉踏む」、これは、今年亡くなった小沢昭一さんの句である。
私も、高校生の頃、入院した体験があり、退院してただ歩くことなのに、感動したことを想い出した。
踏みしめる落ち葉の感触も感じる。
恰も退院して来たばかりのような気持で、日々、噛み締めて生きて行ければ、さぞ人生は素晴らしかろうと想う。
(2012年12月27日の記)
12月26日夕方、会社で、大変ショックな訃報が飛び込んで来た。私が、アブダビ駐在時代を共にした商社の親しい友人が白血病で急死の報であった。
12月24日、クリスマスイヴの日、亡くなったのだと云う。
11月末、1ヶ月前に、業界のレセプションで、歓談したばかりだった。
私がアブダビに赴任してすぐくらい、ホテルのスポーツクラブのSPA(温泉)に入っていたら、偶然、湯ぶねの隣にいた商社マンの友人。飾らぬ、江戸っ子タイプの性格だった。
彼がよく歌っていたのは、チョーヨンピルの"想い出迷子"だったことも想い出した。柄に似合わず、上手かった。
彼と交わした最後の言葉も想い出す。
仲間の死は、死を身近なものに感じさせる。
(2012年12月27日の記)
最近の忘年会で、カラオケで、何年振りかで、演歌・"望郷酒場"を歌って、歌詞をしみじみ、噛みしめた。
「♪親父みたいなよー、酒飲みなんかにゃ、ならぬつもりが、なっていた ♪」、 このくだり、私はしびれる。
昔、アブダビ駐在の頃、遠い日本を偲んで口ずさんでいた。
聴きなれた"人生劇場"も、「♪俺も、生きたや仁吉のように、♪」の部分が好い。
日本酒を傾けながら、好きな演歌を聴くのは、最高だと想う。
(12月27日の記)
今日から、会社を休んで、九州への帰省の旅に出る。
今年は、名古屋・大阪に立ち寄ってから、福岡・大牟田に入り、横浜へは1月3日夕方に帰って来る予定。
旅の刺激は、外の世界の驚きと、自己の内面の世界への驚きをもたらしてくれる。
時に、旅は一人が好い。 美術館でも、そうであるように。
昨日、昼休み、有楽町ビッグカメラに、修理の済んだカメラを受け取りに行った。
交差点で、ホームレス支援雑誌"ビッグ・イシュー"の販売員の人を、また見かけ、私は、いつものように、近づいて、1冊(300円)を購入した。
寒い冬の日、ジャンパーを着て、中年の男性の販売員の方は、荒れた手で、私のさしだす300円を受け取ってくれて、お互いにありがとうございますと言葉を交わして、私はすぐ、その場を離れた。
ほんの一瞬のやりとり、会話なのに、私は、その場を離れた後、すぐに、その荒れた手の平が目に残った。
何か、懐かしい父の手の平のようで、ジーンと心が揺れた。
荒れた手の平に、計り知れない優しさが溢れていた。
そして、私に、頑張ってるか? と問いかけているようにも思えた。
そうだ、私は、上京して大学に行ってる頃、父は、こんな手をして働いていたに相違ないと思った。
全てが自分であるから幸せ、全てと繋がっているが故に安らぎ。
全てが自分であるが故に悲しみ、解決のできない、途方もない悲しみ。
幸せを感じる時は、二元論に、五感一杯に生き、不幸を感じる時は、五感の運転を停止する。
深い悲しみは、一元論でしか解決できない。
幸せな時は、自分の周囲だけのことを見ても、生きて行ける。
深い不幸から抜け出せない時は、宇宙を感じれば好い、大自然を感じれば好い、全ては、あるべくようにある。不幸に見えていたものまでもが、美しい程の調和の一部のようにさえ見えて来る。全ては、神の手の平の上でのこと。
今日、日本海側は大雪の予報のクリスマスイブ、世界中の子供達の憧れの日。
雪原を往くトナカイ。ノルウェーの雪景色を想う。
大人も、何か目に見えないプレゼントを、考えてみると好いと想う。
今日、何かを、じっと見て、驚いてみると好い。
そう云えば、数日前に、住職に、「ドウナツの穴はドウナツですか?」と云う問いを受けた。答えは、教えて貰えなかったが、考える材料を頂いた。 ドウナツの穴は、空間なのに、ドウナツを形成している。
無くて有って、有って無い世界。確かにある、確かに無い。
身近なところに、ドウナツの穴のように、無くても有る世界を見出すことは楽しい。
クリスマス・プレゼントはドウナツの穴。
真実の愛は、自由が存在するまで生まれて来ない。
神は愛するが故に執着を離れている。
真実の愛は、愛するものにも、愛されるものにも苦痛を与えるものではない。
不幸とは、利己的な愛に起因する。"私と、私のもの"に起因する。
昨日の住職の言葉、ヴィヴェーカナンダの「働きの秘密」の法話の中で。
世の中で語られる愛は、"私と私のもの"に発し、病的な情熱のようにも思える。
先日、横浜の東急ハンズで、面白い、小さな名刺大のステッカーで、"親父ギャグ検定3級の認定書"が売っていて、私は、思わず買ってしまった。
時折、これを見せて、周りを驚かせている。先日、住職にさえ見せて、住職も大笑い。「まだ3級だったんですか?」と云われた。
検定書に曰く、「本試験にて、数ある題材に対して、引き出した貴殿のギャグの数々が、見事、愛想笑いレベルに達したこと認定し、親父ギャグ検定3級を交付致します。尚、人前で、披露するには、より一層の努力を要することを自覚し、日々のさらなる精進を期待します。 親父ギャグ検定委員会」とあった。
1級認定書は売っていなかったが、私は、内心、1級だと思っている。
昨日、ビジネス交流会で、一人旅が好きな人が、"冬の日本海との勝負"には負けるから中々行けないと云っていた。
自分の精神が強い時でないと、冬の荒れた日本海は吸い込まれるようで恐いと云う。
私も、大学卒業してすぐの配属で、新潟に住んでいた頃、確かに、冬の日本海には余り近づきたくなかった。
こちらが、十分に気力に溢れている時は、荒れた、冬の日本海でも見ることができるが、冬の日本海とは勝負したくない気持はわかる。
日本で一番夕日が綺麗なところと云われる新潟の海岸。一人旅が大好きな人が云う、"冬の日本海との勝負"と云う響きも、何か、旅心を刺激する。
"千の風になって"と云う歌は、多くの人に感動を与えている。私も、その様な境地に、安らぎと憧れを持っている。
それは亡くなってから後の境地を歌った歌。
最近、私は、"千の風になった境地"を、今、生きてる現実の人生に、持ちながら生きれたら、さぞ、素晴らしかろうと想った。
"千の風"になったように、どこへでも、さーっと吹いて行けて、その人を見守る。朝は、小鳥のようにさえずる。青空に浮かぶ白い雲にも、朝日の光にも。
"千の風"に身体はない。人からは見えない。現実の言葉も交わせない。
それでも、生きていても"千の風"になって、丘を吹き渡り、空を駆け巡ることが、できるような気がする。
知的障害者の人が7割を越える従業員(74人中55人)で日本のチョークの3割のトップシェアの会社があることを半年前に初めて知った。
それは、二子玉川に工場のある日本理化学工業株式会社である。私は、半年前に、工場見学の申し込みをして昨日、会社を休んで、初めてその工場見学に出掛けた。
少ない健常者の従業員は、総務・経理など忙しいから、大山会長自身が見学者の案内をされていた。大山会長は、既に、高僧の域に達してらっしゃるようなオーラを感じた。
「知的障害のある人達も、人に面倒みて貰うことより、自分でできることで、人に役立ちたいのですよ」と云う、人間の仏性のようなものを、体験を通した言葉で教えて頂いた。工場内で、一所懸命に働く障害者の方々に、合掌したくなる想いだった。
大山会長は、釈迦の16大弟子の一人に、周利槃特(しゅり・はんどく)と云う、知的障害のある人がいたことを話された。周利槃特は、ただ庭を黙々と掃く姿で、みんなもう手を合わせたくなる人であったと云う。
寒い冬の日、玉川の河原を歩いて帰る時、何か、今日は、神々しいものを見たように感じた。
一昨日、渋谷ミキホールで開かれた、健康セミナーで、木俣肇先生の講演を聴いた。木俣先生は、アレルギー・アトピーを長年研究され、現在全ての年代のアトピー性皮膚炎を、ステロイドを使わずに、90%の確率で改善されている。
アトピーは脂肪の代謝異常で起こる病気で、世の中に脂肪食の蔓延が大きく影響している。例えば、パンでも、ごはんの何倍もの脂肪を含んでいると云う。
ステロイド(免疫抑制剤)は、アトピーを悪化させる。最近、プロトピック軟膏も使われているが、ステロイドより強い薬(臓器移植の時の免疫抑制剤)で、アトピーを益々悪化させる。
アトピーは、食事、細菌、ストレスで起こる病気で、食事改善、生活習慣改善なしでは治らない。細菌がある部位に免疫抑制剤(ステロイド・プトピック軟膏)をつけたら治るものも治らなくなる。
ファーストフードはアレルギー・アトピーの最悪食品。
2002年にスウェーデン政府が発表した、アクリルアミド(化学物質)の危険性(発ガン性もある)が、日本ではまだあまり知られていない。アクリルアミドを含む食品とは、イモ類などを高温で焼いた食品。 ポテトチップ、フライドポテト、パンの耳、クラッカー、ビスケットなど。
プロトピック軟膏、アクリルアミド食品の恐さを知ると知らないでは、人生が変わる。私は、娘や、大切な人には、早く伝えなければと思った。
昨日、選挙投票のため、横浜・浦島小学校の体育館へ出掛けた。
娘が通った小学校の体育館、校庭、グラウンドが、とても懐かしく感じた。
学級参観日に、教室の後ろの方で授業を眺めたこと、父兄どうしの懇談会で発言したことなども。
運動会の時、自分が座った場所は、どの辺だったかなーと、感慨深い想いになる。
運動場脇には、亀の形の大きなコンクリートの像がある。今は、運動会は「カメリンピック」と呼ばれている。
選挙は、自民党の不気味なくらいの大勝の日、私は、娘が卒業した小学校を散策したことも強烈な想い出であった。
「明日香」と「飛鳥」の違いはどう云う違いなのだろうと、漠然とした疑問を、私は、ずーっと放ったらかしていた。今回の奈良への旅を機に、ちょっと調べてみたくなった。
そもそも日本語に文字が無かった時代に「あすか」と云う地名はあった。
万葉集には、借字としての漢字を当てた「阿須可」と云う表記さえもあると云う。天平時代までは「明日香」と云う名前の地名であったと云う。
その後、"飛ぶ鳥の明日香"と云う句が詠まれたと云う記録があり、「飛鳥」は枕言葉とも云われている。
キトラ古墳壁画のキトラの語源は、"北浦""北裏"と云う地理的な説と、亀と虎の壁画からと云う説があると云う。
奈良への旅は、日頃の漠然とした疑問を解いてくれた。これも新たな世界の発見。
終戦後、満洲から子供を亡くして、単身引き揚げて来た母が向ったのは、終戦直前に結核で、長野県の療養所に送られ、死の床にあった夫のもとへの報告であった。
母の実家・長崎から、席も無いまま、汽車を乗り継いで、何昼夜もかけて長野へ向ったと聞いた。亡くなった夫は、子供が亡くなったことを病床で聞き、悲嘆にくれたことだろうと思う。そして、二人で大泣きをしたことだろうと思う。
「長野県・下伊那郡・平谷村」、数日前に、電話で、母の死別した前夫の親戚の方から、その実家の場所を初めて教えて貰った。
「長野県・下伊那郡・平谷村」。インターネットで調べてみると、長野県で一番小さな自治体で、人口544人とあった。長野県の南西端に位置し、岐阜県に接する標高1500m前後の山々に囲まれた山村、冬は-10度を下回ると云う。山村なのに漁協があるのが不思議だった。それは渓流釣りの漁協とのこと。
高峰山(1574m)からの村の眺望や、山々、畑、川など、平谷村の写真を、母が見たであろう光景を、しげしげと眺めた。
母が悲嘆に暮れて、泣きながら目指した村、泣きながら去った村、それが平谷村。
地図で調べながら、母の人生を想う。
奈良、三輪山西麓に、昼間でも暗く、ひっそりと木々に埋もれた「志貴御懸坐神社」(しきの みあかたに ます じんじゃ) と云う寂びれた神社がある。
近くには壮大な大神神社に続く山野辺の道もあるが、人影もなく、お化けが出てきそうな佇まいをしている。住職が子供の頃、肝試しに、愛犬を連れて、よく訪れた場所だと云う。
たまたま先日、私が訪れた時、地元の中年女性の方が、境内の木の葉の掃除をしていた。話を聴くと、彼女曰く、ここは、大昔、朝鮮半島と交流が深い頃、半島から金銀財宝を運搬してこの地に来た人達、何百人もが、口封じのため、ここで殺されこの境内の場所に埋められたと伝えられていますとおっしゃった。 だいぶ、供養を重ねて落ち着いて来てはいますと云う話だった。
鳥居の前の掲示には、「磯城瑞籬宮跡」(しきみずかき のみや) とあり、第10代・崇神天皇(紀元前30年崩御)の皇居跡とある。
東には、泊瀬道(はせみち)・伊勢を経て、東国へ。
南へは、磐余道(いわれみち)・飛鳥を通じて紀伊方面へ。
北へは、山野辺の道、奈良・京を経て、北陸・日本海方面へ。
西へは、大和川の水運を利用して、難波・瀬戸内海方面へ。
ここは、古代大和王権発展の、拠点であったとも云える場所ですと書いてあった。
世に見捨てられた様な、寂びれた、気持ち悪い神社が、そんな云われのある地であることは、大きな驚きであった。
昨日、昼、クリスマスカードを入れた箱を持って、オフィスの入り口に中年の女性が現われた。会社で、頼んでいた印刷屋さんの娘さんであった。
大変、申し訳ない顔をされて、大変遅れたことをお詫びしながら、印刷し終わったクリスマスカードを届けに来られたのだった。70代半ばのお父さんが、一人で印刷の仕事を続けていたが、最近、病気で急死され、仕事場だった印刷屋さんの店を、最近、家族で整理されたとのことであった。その時に、まだ、お届けしてなかったクリスマスカードが、あったことを発見して、やっとで、届けに来て下さったとの事情がわかった。
夜逃げではなかったことを知り、気持が楽になった。夜逃げで、一家が、寒さに震えているのでは無いことがわかってよかった。
死は、周りの人に、色々なことを伝えないままに、突然やって来ることを思った。「エンデイング・ノート」と云う、書き物を、整備しておくと、周りの人が、色々な整理をしやすいことを想い出した。
「エンデイング・ノート」の響きは安らぐ、大切なことのメモ。死んだら連絡して欲しい人のリスト。
私の勤めている会社が長年、クリスマスカードの印刷を頼んで来た小さな印刷屋さんが、注文を受けたまま、最近電話に出ないので、会社の人が事務所を訪ねてみたら、人が誰もいなくなって、印刷機械も無くなっていたとのこと。昨日、会社で聞いた、初めての身近な夜逃げの話だった。
1週間前は、連絡が取れていたと云う。
街は、クリスマスのイルミネーション。
夜逃げした家族は、どんなに辛い歳の瀬を送っているのだろうと思うと、胸が苦しくなった。
人生は、時に過酷な展開をする。
途方に暮れても、暖かいラーメンに、ハッと救われて欲しい。石焼きイモの暖かさを、想いだして欲しい。
古代、初期大和政権が王城の地に定めた地、それは三輪王朝と云われる。日本書記に曰く、紀元前95年、崇神天皇(紀元前30年120歳で崩御)、三輪山西麓に遷都とある。
三輪山の北の古墳群は、卑弥呼伝説の中心地。 産鉄の山・三輪山は時の中央集権国家誕生に大きな役割を果たした山と云われる。
三輪山の山麓を縫う山野辺の道、この地は、日本全国への交通の要所であったと云う。
552年、百済の聖明王から釈迦仏一体と経典がこの地にもたらされ、遣隋使も、ここから旅立ったと云う。
崇神天皇の皇居跡付近には、今では、人影も少ない寂れた神社。
JR三輪駅も、今では小さな無人駅。
それでも、その地を訪れ、古代の歴史を知ることは、脳裏にいっぱい、古代の歴史の絵巻が展開して来る。
週末、奈良を旅した。奈良の中央部の大和八木から一駅の桜井駅前からレンタサイクルを借りて、周りの由緒ある場所を自在に周った。
日本最古の神社の一つと云われる壮大な三輪・大神(おおみわ)神社、聖徳太子の平等寺、織田家菩提寺・曹洞宗・慶田寺、第十代・崇神天皇皇居跡などを周った。
慶田寺は、住職が出家された寺。感慨深く、境内や寺の周りを散策させて貰った。この寺の境内の木の葉を、掃除されていたのかと、時折住職から聴いた逸話などを想い出した。
木の葉の積もった、山野辺の道。飛鳥の田園風景、三輪山。初瀬川沿いの道には、仏教伝来の地の碑があった。遣隋使・小野妹子も、近くに皇居があったこの地、この川の辺に隋から帰って来たのだと云う。
いつかは、訪れたいと希望していた、奈良・三輪への旅。
大和路、万葉の香りを一杯に感じる旅であった。
書店で、最新ビジュアル・ワールド・データとか云う雑誌に、次のような統計が出ていて、サッとメモした。
世界の死亡者数: 年間 5530万人、 15万人/日、 6316人/時、 105人/分、 2人/秒,
世界の誕生者数: 年間1.3億人、 36万人/日、 1.5万人/時、 250人/分、 4人/秒、
地球上で、毎日15万人が死に、36万人が生まれているのかと、感慨に耽る。
方丈記の、「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・」の一節を想い浮かべる。
(12月6日の記)
昨日の朝、オフィス近くで、たまたま、黄色いイチョウの葉で、いっぱいに敷き詰められた公園を見かけた。 イチョウの葉の絨毯をひいた芝公園。
オフィスの窓から見下ろすと、増上寺の木々の紅葉も素晴らしい。
ただ、何も考えず、秋の葉を見る。
溶け込むように、秋の葉を見る。
(12月6日の記)
寒い冬の日の朝にも、駅付近で、時折、ホームレスの人が、座ってじっとしている光景に出くわすことがある。
そばでは、街頭で選挙演説の人も立っている。
選挙公約が空しく聴こえる。
今、私たちが生きてる社会は、死に逝く人を見殺す社会であることにおいては、中世の戦乱の世の中と変わりがない。
人間の生き方と、社会の制度が織りなす、ジャングルの世界であることには変わりない。
時に、私は途方にくれる。
それでも、光を求めて生きるしかない。
(12月6日の記)
今月は、ミネラルについてまとめてみた。―「ビタミン&ミネラル・バイブル」(辻村卓・女子栄養大学出版部)から抜粋―ミネラルについて (先月のビタミンの続き)
(1).カルシウム: イライラ、高血圧予防、足がつる人対策: → 干しエビ、ひじき、ゴマなど、
(2).鉄: イライラ、高血圧予防、歯茎出血予防、痔対策: → ひじき、あさり、煮干し、ゴマなど、
(3).リン: 集中力・筋力低下対策: → イワシ、ワカサギ、海藻、大豆など、
(4).マグネシウム: 不整脈、神経過敏、ウツ対策: → ひじき、ゴマ、辛子など、
(5).ナトリウム: 過剰摂取注意: → 梅干し、数の子、味噌、醤油など、
(6).カリウム:ナトリウム過剰対策、血圧下げる効果、:→ひじき、切干大根、大豆、干ししいたけなど、
(7).銅: 動静脈瘤、関節リウマチ対策、: → カキ」、エビ、ホタルイカ、ココアなど、
(8).ヨウ素: 無気力・無感動症状対策、: → イワシ、サバ、カツオ、ブリ、シャケなど、
(9).マンガン: めまい、耳鳴り、骨の変形対策、: → ひじき、ワカメ、ごま、大豆、シジミ、など、
(10).セレン: 脱毛、免疫低下、不整脈、: → 丸干し、みりんぼし、桜えび、アワビ、シャケ、など
(11).亜鉛: 前立腺異常、生理不順、味覚低下対策: → カキ、緑茶、小麦胚芽、ゴマなど、
(12).クロム: 脂質代謝向上、酵素の働き促進: → ひじき、ザーサイ、米ぬかなど、
(13).モリブデン: 尿酸代謝障害対策、食道ガン予防、: → 納豆、ワカメ、大豆など、
(14).コバルト: ビタミンB12の構成成分: → 魚介類、乳製品など、
(15).ケイ素:爪割れ、抜け毛、皮膚のたるみ対策:→未精製の穀類、ホタテ、サザエ、野菜、豆類など、
(16).フッ素: 虫歯予防、歯・骨強化: → 煮干し、エビ、抹茶 など、
(17).硫黄: 健康な皮膚・爪・髪を作る、: → 魚介類、野菜、大豆など、
(18).バナジウム: 脂質・コレステロールの代謝: → イワシ、サバ、そば、ワカメ、豆腐など、
(19).リチウム: 躁鬱病の治療薬、: → 小魚、貝類、小麦胚芽など、
(20).ゲルマニウム: ガン予防、ボケ予防、: → ひじき、ししゃも、ウナギ、ニシンなど、 以上
先日読んだ、世界の古典13について書いた本の著者・近藤康太郎氏(毎日新聞記者)が、ある時、"タイム・アフター・タイム"など大ヒットがあるシンデイー・ローバーと云う歌手にインタービューした時の答の言葉が、本の中で紹介してあった。
「自分に与えられたギフトをよく知ること、ギフトをよく知り、ギフトをよく活かすこと、ギフトは、それを活かさなければ、自分に復讐する。」
ギフト(才能)に恵まれた人が、必ずしも幸せではなく、苦悩の人生であることが多いことを思った。
才能が与えられた人達の苦悩が、復讐と云う言葉で表現されていることに、唖然とした。
不幸は、他の苦しんでいる人達と、同じ想いに気づく時、安らぎをもたらす。地球上には、圧倒的に多数の人々が不幸な境遇で苦しんでいる。多くの苦しんでいる人々と共にあることは、一緒に耐えることの喜び、励ましががある。
幸せ感じる時、それは、感謝と同時に、申し訳ない気持と懺悔の気持も湧いて来る。そして、人と繋がる。
不幸は、安らぎへの近道の急斜面。 まるで、不幸の恵みのようなもの。
個としての幸せには、安らぎはない。物理的な、薄っぺらな幸せとには、安らぎへの遠のりは遠い。
不幸に泣き叫ぶ普通の人が、時に、その不幸から、高僧のような境地に解脱されることを、住職から聴いた。それは、"妙好人"と呼ばれる。それは、不幸の恵みに気づかれた人。
先日、行きつけのJazz喫茶で、たまたま、高倉健さんのファンが撮ったTV番組のビデオを、一時Jazz演奏を中断して、見る機会があった。
高倉健さんの素顔を描いているドキュメンタリーをを見て、初めて高倉健さんの心の風景を見る思いだった。
彼には、何とも云えない、「孤独のオーラ」が漂っている。
彼は、福岡の炭鉱の町に生まれ、大学まで出して貰って、食べるために俳優になったことで、ずーっと、親に対する負い目を感じて生きて来たと云う。親の死に目にも、仕事を続け、自ら会わなかったと云う。
自ら選んだ生き方に突っ張って生きて来て、譲れないこだわりが、常に、彼に孤独の気配を消えさせなかった所以だとわかった。
高倉健さんの強さは、かっこいい。優しさもかっこいい。孤独も、かっこいい。
強さの裏には、強烈な寂しさがある。
突っ張って生きて行けば、いつも寂しさが漂う。
時には、突っ張って、時には、弱くなる。自然界は、そのように、生きて行くことを許してくれる。
古典とは、何十年、何百年に一人と云った天才が、一生を費やして書いたものだ。これを書かなければ死ねないと心で叫んで、遺した命の精髄である。
「古典を読まない人はアホである、損である。」と著者は前書きに書いている。
著者が選んだ古典は、チェーホフ、ラブレー、中島敦、トルストイ、ドフトエフスキー、森鴎外、夏目漱石、エミリ・ブロンテ、シェイクスピア、ゲーテ、ヘーゲル、マルクス、であった。
パラパラと読み始めると、確かに、人生の叫びが聴こえる。
著者は、八木重吉の「虫」と云う詩も引用していた。
「虫が鳴いている。いま、鳴いておかなければ、もう駄目だと云うふうに鳴いている。自然と涙に誘われる。」
お釈迦様は、49日間の瞑想の果てに、12月8日、明けの明星を見られた頃、解脱されたと云う。
今日、天城山"一灯禅林"では、そのお釈迦様の解脱を記念した坐禅(接心)が、朝3時過ぎから、住職と修行する人達で、行われている。
寒い冬の朝、まだ暗い道場の、薄明かりの情景が浮かんで来る。
私は、その静寂の光景を想う。
12月は、特別な月。
人生を、振り返る月。どう生きるかを考える月。
そして、ただ、淡々と、何かを置いておくように、生きるのも好い。