インドの夕日、花、
"不二・一元論"のインドの僧院(インド北部・マヤバテイー)に行って来られた住職に、昨日久しぶりに坐禅会でお会いした。
神、アートマン、仏性、大極、など呼び方は、色々あっても真理を知ることが解脱。キリストや仏陀も、真理を発明したり、作った人ではない。キリストや仏陀が凄いのではない。真理が凄いのだ。キリストや仏陀も、真理を発見した人に過ぎない。仏陀も、自分自身の中に神を見なさいと説いている。
自分の「我」の意識が強い人には、自分自身の対極として、人格神としての神(キリスト・仏陀)が必要。
そして、自分の「我」が一歩消えれば(神へ近づけば)、神も一歩近づいて来る。自分の我が消えて行くのと比例して、神(真理)と一体となる。
"不二・一元論"の世界を説いた、ヴィヴェーカナンダ師ゆかりの、インド・マヤバテイーの僧院。マヤバテイーの夕日や、草花の写真を見ると、その壮大な世界への入り口のようにも思える。
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