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August 23, 2012

長崎との"えにし"、外海町、母子島(はこじま)

今回の、思い掛けない長崎への出張(21日22日)に感謝する。また20日(月)がラマダン明けの特別休暇であったことで、20日に長崎へ入り、母の故郷長崎の京泊への旅が出来たこと、その"えにし"に感謝する。

京泊は、外海(そとめ)町、から約20分くらい南にある、半農半漁の小さな村だった。今では、大規模な新長崎漁港となって、すっかり変わってしまった。今は長崎駅前からバスで約1時間。

私が子供の頃は、陸からは山が険しく近付けなく、長崎・大波止から大きな船で、京泊の沖合いまで行って、沖合いから艀(はしけ)で村に入った。母の実家には牛小屋もあって、家の前には、海の入り江が広がっていた。台所の横に石垣には、いつも赤い色の沢ガニがいた。山にはスイカの畑があった。

今回初めて、母の実家の裏山にある先祖の墓に参らせて貰った。母が育った海を見下ろす丘の上の母の先祖の墓に、その墓前に立ち、私は感激に涙した。

京泊から車で約20分の場所に外海町(そとめ)町はある。途中、隠れキリシタンの面影を今でも感じさせる黒崎教会が、今でも漁村の裏山に聳えている。

外海町の遠藤周作記念館は、どうしても私が行きたかった場所でもある。その丘の上の海の光景は、神々しい信仰の海のようでもあった。こんなに綺麗な壮大な海を私は、見たことがあっただろうかと想った。遠くに五島列島も見え、近くにも小さな島々が浮かんでいた。

遠藤周作の「沈黙」の一節が、碑に刻まれている。「人間がこんなにも哀しいのに、主よ、海があまりにも碧いのです」

遠くに見えるのが、母子島(はこじま)と云うことを知った。私は、ここに来る"えにし"があったのだと想った。

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