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July 31, 2012

ミャンマー、アウンサンスーチー、

7月21日からロードショーが始まった映画・"アウンサンスーチー"を早く見たくて、昨日会社帰りにシネマズ川崎に立ち寄った。

私には、ミャンマーの友人もいて、ミャンマーのことをもっと知りたいと思っていた。

英国人の夫と結婚し、ロンドンで平和な家庭生活をしていた平凡な主婦が、ミャンマーの母の病気の看病で一時帰国した時に、民主化運動のリーダーに懇願され、父の遺志を継いで、ミャンマー民衆のためにガンジーのように、非暴力で戦う決心をした。その後15年に及ぶ、長年の自宅軟禁の試練は、女性のマンデラとも云われる。

夫・子供との強い絆を感じながら、孤独な自宅軟禁と戦い続け、1991年アジア女性として初のノーベル平和賞を受賞した。ノーベル平和賞の受賞式出席も許されず、彼女は携帯ラジオでBBC放送で、彼女の長男が受賞スピーチをする様子を聴くことができた。

彼女の夫がロンドンで癌でなくなる時、軍事政権に出国を促され、"家族を取るか、国を取るか"迫られる。「その様な選択を自由と云うのですか?」、彼女は、祖国の民衆を想うと、国を離れることはなかった。"家族との引き裂かれた愛"、この映画のテーマであった。

人は、みんなと繋がっている。自分だけの幸せを追求することなど、それこそ苦しみであることを、この映画で感じた。この強さは、何か。私は私の母の強さを想い出した。母は、孤独にも何にも耐えられる人だと思う。

朝もやの中の、ミャンマーの寺院の光景は、神々しい。

川崎ラゾナの5階にある映画館を出ると、夏の夜空、風が、心地よかった。

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July 30, 2012

岩の上に立つ木、

昨日、午前中、町内会の祭り準備手伝いの後、午後は、東京禅センター(龍雲寺)に、禅の講演会(正眼セミナー)にでかけた。

横山紘一先生の"ステイーブ・ジョブズと禅"の講演で、ステイーブ・ジョブズは、19歳の頃、導師を求めてインドを放浪した体験があり、昔で云うヒッピーであったことを知った。永平寺にも行き、出家も考えた程だったと云う。アップルを創業したステイーブ・ジョブズが、そんなにも、禅と縁が深かったのかと改めて驚いた。

岐阜の正眼寺には、岩の上に、松が約1メートルに育っていると云う話も、横山先生から聴いた。松かさがそこに落ちたのも自分の意思ではありません。置かれた松は、自分の力で、全身全霊の力で、今成長していますとの横山先生のコメントも書いてあった。

山川宗玄先生も、今年2月、四国巡礼の旅の途中、大きな岩を根が抱き込むように、岩の上に巨大な杉が立っている光景を前に、驚いて、立ちつくされたとの話を講演の中で聴いた。

置かれた環境の中で、生きることの力強さを感じる。私も、過去も、置かれた環境も、それしかなかったのだと思えば、力が湧いて来る。私も、岩の上に立つに木になるのだと決心する。ただ、生きるだけでも、それだけでも、感動ではないかと思う。

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July 29, 2012

町内会の夏、

地元町内会の夏祭りシーズンが始まった。昨日夜、隣の町内の盆踊り会場を訪れた。

顔見知りが沢山、一緒に酒を飲みながら、盆踊りの輪を眺めた。はしゃぎ回る浴衣姿の子供達、そして炭鉱節♪の輪。今年も、また夏祭りが始まったなーと感慨深く眺めた。

娘の友達も、久しぶりに会場で見かけ、もうすっかり成人、立派な主婦になって、懐かしく声をかけた。

今日は、私の属する町内の夏祭りの準備作業の日。朝から、軍手姿で、汗だくになって、やぐら建て、会場設営に従事する予定。来週の、本番の夏祭りでは、私は模擬店を手伝う。

夏は、地元の人達との交流を想い出す時。色々な側面が織り成す人生、町内会の夏。

路地には、水滴の付いた朝顔の夏。

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July 28, 2012

駿河湾の富士、旧東海道・薩埵(さった)峠

先日訪れた沼津の帰り、パソコンの会の方の案内で、ちょっと足を延ばし、JR由比駅で下車、旧東海道の雰囲気を残す、薩埵(さった)峠を初めて訪れた。

広重の絵に描かれた、駿河湾と富士、東海道の峠が、目の前に蘇った。そうだ、こんなシーンに野次さん喜多さんさんが旅したんだと微笑んだ。

ここから、清水も近いらしい。侠客映画で、次郎長一家が、ばっちょ笠と縞のマントを着て、7~8人の侠客が、富士を背に、颯爽と砂浜を歩く姿を想い出す。

ここはサクラエビが有名で、海岸を真っ赤に染める程、サクラエビを海岸に干すシーンも見られるとのこと。

広重の絵や、時代劇で見るような、東海道・薩埵(さった)峠。

小さな旅がもたらした、思いがけない、想い出の旅のプレゼントであった。

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July 27, 2012

港の散歩、そしてムンクの叫びを想い出す滑稽さ、

先日、沼津で開催されたパソコンの会の日の翌朝、早朝、沼津駅前からバスに乗って沼津港へ行ってみた。バスに乗って約15分、 バスを降りるとパーッと、海の香りが心地良かった。

人口19万人の沼津、その沼津港には、年間120万人の観光客が訪れると云う。 "沼津みなと新鮮館"と云う、商店街の建物もあり、"みなと38番地"とかの名前の店、早朝の港を散策した。朝、7時から開店している魚河岸"丸天"と云う店に入り、朝食に"マグロ・うに丼"を食べた。

店には既に約20名くらいの観光客らしき人達が朝食を食べていた。従業員も、年輩のおばさん達を含めて6~7人、小気味よく動いていた。港で食べる海鮮丼は格別だった。

カウンターの上には、魚のカサゴが、骨まで食べられるようにカラアゲにされてるのが約100匹くらいだろうか、大皿の上に積み重ねられていた。カサゴの口はみんな、大きく開いて、まるで魚が叫んでいるかのような口だった。まるで、ムンクの叫ぶ人の絵みたいに思ったら、ここは、魚にとっては、地獄かと思えて来た。人間にとっての天国、魚にとっての地獄。"金子みすず"なら、漁港を、魚市場を、まるで魚のアウシュビッツでも見るように思ったことだろうと想像した。

人間として、港の散策を楽しんだり、そして、自分が魚だったら、そこは地獄だったんだと思うと、人間の五感の身勝手さを滑稽なくらい感じた。人間として生きるために、鋭敏になる機能と、鈍感になる機能、麻痺する機能などもあることを思った。

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July 26, 2012

"ベンチャー飲み"、TKPガーデンシテイー品川

昨日夜、雑誌"CEO"を創刊された松室社長の呼びかけで、第2回目の"ベンチャー飲み"のパーテイーが都内のホテル(TKPガーデンシテイ品川)で開催され、数百人の若手経営者達が集まった。私は、好奇心から、このパーテイーに参加してみた。

30代前後の、ITを駆使した、新たなビジネスモデルのベンチャー、起業家達の空気に、日頃、大企業つきあいでは見掛けない野武士のような、勢いを感じて愉しかった。

「6年前は1人で始めましたが、今では150人の企業になりました」、「ドタキャン・変更・遅刻は社長業の宿命」、「銀行の云うことは信用しないこと」、「アップルやサムソンは既存の大企業からは生まれない」、など、挨拶の言葉に、これは、やはり、戦国武将的発言で新鮮で、面白かった。

会場には、現役大学生もいて、それは、ビジネスへの熱気を肌で感じるパーテイーであった。何十枚か貰った名刺に、昨日の記念の日付けをいれて、このような人達がいることを時折想い出そうと思った。

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July 25, 2012

「貴方はまじめですか?」、夏目漱石

「貴方はまじめですか?」

人生の苦悩の末、夏目漱石が到達した問い、「貴方はまじめですか?」

夏目漱石の、この問いの響きが、私は好きである。

行きつくところ、「私は、まじめだろうか?」と時折問うて、私は、軌道の正しさを確かめる。

まじめに生きて来たと思えば、諦めもつく。それしかなかったのだと。

人生は、千鳥足では歩んで行けない。

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July 24, 2012

"小さな神様"、石井光太氏講演、円覚寺夏季講座

世界中の貧困、飢餓、病気、災害など悲惨な場面を実体験で取材して回るノンフィクション作家の石井光太氏の講演を、初めて円覚寺の夏季講座で聴いた。

1977年生まれと云う若さで、よくも、これだけ沢山の、悲惨な現場の人間の様を見て来たことかと驚嘆する。彼の行動の源は何かと、人間の深淵なるエネルギー、仏縁のようなものまで感じてしまう。

彼の話を聴くには、ある程度の覚悟が要る。彼が見て来た地獄のような世界は、人間の業が辛すぎるのだ。

書いた書物は、表題だけで、内容の凄さが想像できる。

そんな、地獄のような世界を見て、どうしようもない無力感に苛まれた末、彼は、全ての悲惨な状況の中に、「たぶん"小さな神様"を信じて、この悲惨な人達は生きている」と語っている。

"小さな神様"、大げさな仏陀、キリストなどではなく、身近な何かに"小さな神様"を感じて生きていると断言している。"小さな神様"は、その人にだけしかわからない"神様"。

私も、その"小さな神様"は、どうしようもない哀しみを体験した人には、必ずあると想う。

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July 23, 2012

"二度生まれ"、姜尚中さん講演、鎌倉・円覚寺夏季講座にて、

今年の鎌倉・円覚寺の夏季講座(2012年 7/20-23)で、作家の姜尚中さんの話を聴いた。

戦争をしてエキサイトする人間の醜い業、そして一方、自然災害に遭うと、互いをいたわりあう人間の美しい側面。人間には我が身を捨てて他を助けようとする面が確かにある。それを"災害ユートピア"(米国思想家William James)と云う言葉で表してくれた。

そして、夏目漱石の例で、彼が大量の血を吐き、担架の上で、死を感じた後、"二度生まれ"の体験をしたことも紹介してくれた。

大概の人は一度生まれで、死んで行く。だが、"二度生まれ"を体験する人もいる。人は、大きな不幸にあうことで"二度生まれ"を体験する。

大震災を経た人も、"二度生まれ"を体験している。私は、"二度生まれ"の響きは、まるで仏さまの手の平の上にいるような気持になる。

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July 22, 2012

棘(とげ)の話、

刺さった棘を取るのに、別の棘を使う。

刺さった棘は、"悪い棘"。刺さった棘を取るのは、"良い棘"。

棘には、良い棘も、悪い棘もない。

刺さった棘が取れたあかつきには、いずれ、その良い棘も捨てねばならぬ。

ただ、淡々と生きることを想う。

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July 21, 2012

静中の動、動中の静、

昇る力には、既に落ちる力が始まっている。落ちる力には、既に昇る力が始まっている。

開く力には、既に閉じる力が始まっている。閉じる力には、既に開く力が始まっている。

吸う息は、既に吐く息が始まっている。吐く息には、既に吸う息が始まっている。

朝は、既に夕方が始まっている。夕方は、既に朝が始まっている。

全ては、何かの動きの途上と云う意味では、"無常"への扉、"永遠"への扉。そして"無我"への扉。

住職から教わる気功の時に、時折、その宇宙の理を感じる。

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July 20, 2012

80才代の不良少年?、満洲同窓会、

昨日は、銀座のレストランで、満洲の日本人会の昼食・会食会(5人)があり、私は、会社の昼休みを利用して参加した。

戦後生まれの私を除いて、他4人は、80代前半。 父の満洲の縁の同窓会の方々とは云え、今では、私は、親しい先輩達、大の友達ばかり。とても楽しく歓談しながら昼食をした。

女性も1人参加者あり、今でも、同窓会では、女学生のようにモテてらっしゃった。

取り巻く80代の男性達も、満洲時代の少年達の様に、不良っぽく話をし、みんなで大笑い。

席上、その女性参加者の方から、最近サンケイ新聞に連載された「建国から80年、父たちの満洲」の特集記事のコピーも頂いた。

日本人にとって、日本より理想的な経済大国を目指した、見果てぬ夢の理想郷だった満洲。 弱肉強食の当時の国際政治に翻弄されながらも、私は今では、満洲の理想に賭けた父母の想いが、やっと、垣間見れるようになった。

"満洲は、私の、幻の母国です。" 今では、そんな気持ちがする満洲。 満洲の大平原を想う。

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July 19, 2012

「ラマダン・カリーム」、2012年、明日から断食月の始まり、

世界のイスラム教徒約16億人(世界人口の約4分の1)が、各地で、月の見え方次第であるが、明日7月20日、または明後日21日からラマダン(日中の断食)に入る。

ラマダンに入る時、お祝いの挨拶の言葉が、「ラマダン・カリーム」や、「ラマダン・ムバラク」。

"カリーム"の意味は、Generous(寛大)、Hospitable(もてなし)、Precious(貴重)、Noble(気品)の4つの意味が混じった言葉だと聴いた。

私は、もう昨日から、電話や職場で、アラブ人との会話には、「ラマダン・カりーム」と云い始めた。

イスラム教徒、16億人と云っても、中東北アフリカのイスラム人口は全体の約20%(3億人)と云う。インドネシアも沢山のイスラム教徒の大イスラム国家。

先日プラネタリウムに連れて行ったインドネシアの留学生達にも、今日メールで、"Ramadan Mubarak"ラマダン・ムバラク」(ラマダンに幸あれ、おめでとう)と云おうと思う。

これから1ヶ月、イスラム教徒の人達にとっては、聖なる試練、気づきの時が始まる。そっと、見守ってあげたい。

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July 18, 2012

たぬき注意、(川崎市)生田緑地、

先日、訪れたプラネタリウムのあった生田緑地には、道路に"たぬき飛び出し注意"の標識があって、笑った。

私が、アラブに初めて行った時、"ラクダ飛び出し注意"の道路標識に驚いた時を想い出す。タイでは、道路脇を歩く象もいた。

生田緑地には、白川郷の古民家のような建物が20軒以上も移築されている"民家園"もある。

古民家では、薄暗い土間を入ると、吹き抜ける自然の涼しい風、奥の出口には鮮やかな紫陽花の青。

踏み固められた土の土間、囲炉裏、飴色の板張り、馬小屋。

遠い、遠い、日々の生活が、遺伝子の中にあるのだろうか、この安らぎは・・・・と云う空間であった。

ホタルも自生する生田緑地。今では、"たぬき注意"も、ぴったりの場所のように想う。

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July 17, 2012

横浜・金沢八景シーサイドラインの涼風、

昨日は、海岸でのバーベキュウの会に参加するため、京浜急行金沢八景駅で下車し、初めて金沢八景のシーサイドラインに乗車した。

シーサイドラインは、平成元年(1989年)に開業した、近代的な新交通システム(ゆりかもめ型)で、金沢八景と新杉田を結ぶ約10キロ、海の景色を満喫しながら走るリゾート気分いっぱいの新交通システムであった

横浜の住民を何十年もやっていても、私は、今まで知らなかった横浜の一面を見て、また改めて自分の無知だったことに全く驚いた。

金沢八景のシーサイドラインの駅からは金沢洲崎の夏島と云う、松島に似た小さな島が見えた。そこは、1887年頃、伊藤博文(1841-1909)が大日本帝国憲法(1889年発布)を起草した旅館「東屋」があった場所と云う。陸奥宗光(1844-1897)なども出入りしていた場所だと云う。

日本の不平等条約を解消した功績の陸奥宗光(紀州藩士)のことを知りたくなり、その後インターネットで調べてみてまた、驚いた。 陸奥は坂本竜馬を親交があり、竜馬暗殺事件後、紀州藩士三浦休太郎を暗殺の黒幕と思い込み、海援隊の同志15人と共に彼の滞在する天満屋を襲撃する事件(天満屋事件)を起こしている。そして陸奥は1871年、初代の神奈川県令(知事)に任命されている人物でもあった。

夏の涼しい海の風を受けながら、蒼い海、白い雲、海辺の景色を見ながら、宮崎駿の世界のような、知らない世界に足を踏み入れた。

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July 16, 2012

七夕の星空の啓示、

地球から太陽までは光でさえも、8分要かる距離(1.5億キロメートル)と云う。

七夕の星・織り姫(ヴェガ)までは、光でも25年も要かる25光年と云う気の遠くなるような距離。彦星(アルタイル)までは光でも17年も要かる。そして、天の川を挟んで、織り姫と彦星の距離は、光でも14.5年も要かると云う。

そのヴェガ、アルタイルと共に夏の三角形を成す白鳥座のデネブは、地球から光でも1500年要かるとてつもない距離。今私が、夏の七夕の空に見ている白鳥座のデネブの耀きは、1500年前に発せられた光・・・・・・・。

そう云う、星にちりばめられた神秘的な宇宙の旅を、プラネタリウムはさせてくれた。先日、大洗水族館・牛久の大仏などに案内したインドネシアの留学生二人が次はプラネタリウムに行きたいとの希望で、私は、今度は、こんな宇宙の旅に巡り会った。

宇宙船で地球からどんどん遠ざかって行くと、地球も太陽も、何と小さな可愛らしい点のように、ちっぽけな星だった。宇宙はどこまでも広く、広く、無数の星に耀いていた。

宇宙を見ることは、宇宙を感じることは、禅の境地に通じることを、私は、はっきりと感じた。全てが、調和して耀いているのだ。安らいで、耀いているのだ。

向ヶ丘遊園の"宙(そら)と緑の科学館"は、思いがけない、精神の高揚と安らぎをもたらしてくれた。

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July 15, 2012

同窓の子孫達では、そんな勘違いも好い

昨日は大学時代の民族舞踊研究会の後輩達と10数人の同窓会に出席した。私は、1974年に大学を卒業して以来会ってなかった後輩達の中には、道で会ったとしても全く気づくことのないくらいの変化の人もいた。

当時の顔は覚えているが、云われれば、微かにそうかと、記憶を辿って、やっと想いだす感じであった。

それは、お互いにそうなのだろうと思いながら、人生の不思議さ、人間の変化の不思議さを思った。

人間の60兆の細胞は、日々、ドンドン入れ替わっている。それぞれの細胞に寿命があり、大体7年経てば、物理的には、すっかり別のものに生まれ変わる。

そう云えば、大学時代の同窓に会っているのではなく、その同窓の子孫達に会っていると想えば好い。

大学時代の当時の顔々は、全て、今会ってる同窓の顔々の友人の親達と想えば、また、感慨もひとしお。その方が、何だか、ぴったりと、自分の中に収まりがつく気がする。あらためて、自分の大学時代の写真を眺める。

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July 14, 2012

子供の世界を感じながらの通勤、

通勤途中の駅への道で、時々、幼稚園児のスクールバスの乗車風景を見かける。

そのマイクロバスの車体には、"おおたにがくえん"、"幼児バス"とか書かれている。可愛いウサギの絵や、小鳥が花びらをくわえて飛んでいる絵もある。

並んだ窓々からは、窓々にちょこんと並んで、あどけない顔で、外を眺めている幼児達の顔も見える。

何かアニメーションの映像を見ているかの様に可愛く想う。私の娘も、スクールバスに乗っていた時代の光景が蘇る。

思わず、手を振りたくなる。

もし、幼児達が気づくように大きく手を振ったら、変なおじさんと思われるだろうと、おしとどまる。

先日、そんな光景の中を歩き、電車に乗ると、河川敷のそばの道で、幼児が電車に声を出して、手を振っていた。幼児の世界を一杯に感じながらの通勤、そんな日もある。

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July 13, 2012

朱鷺を見守る人間のように、

朱鷺を見守る人間の姿はとても好い。愛し方の究極的な形を感じる。

自分は黒子に徹して、自然の中で、朱鷺が生活して行けるように、遠くから見守る姿が好い。

朱鷺には、一番好い自然を与えてやることを考え、人間たる自分は近寄らない。それが朱鷺に取って一番好い自然であれば、それで好い。

私は、そこに、仏性のような眼差しを感じる。

寂しさなど全くない。ただ、伸び伸びと自然に生きる朱鷺を見て喜ぶ。

人間関係は、自分が薄れれば、薄れる程、安らいで行く。

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July 12, 2012

1週間の命、蝉、ホタル、パンダの赤ちゃん、

昨日は上野動物園のパンダの赤ちゃんが死んだニュースが流れた。たった1週間の命だったが、多くの人達が誕生に喜び、また昨日は多くの人達が悲しんだ。

生まれたばかり時のニュース映像の、"ビー"と云う鳴き声を想い出す。

1週間の命、短かかったが、蝉(鳴く期間)と比べると短くない、ホタル(成虫として飛ぶ期間)と比べると短くない。

生まれたパンダの赤ちゃん自身は、ただ生まれて、ただ死んで、周りのことは何も知らないままだったろう。でも日本全体は、ちょっと違った1週間だったと想う。

周りでは、多くの人が喜び、多くの人が悲しんだことを、パンダの赤ちゃんは何も知らなかっただろう。

人間も、自分が知らないところで、喜びを与えたり、悲しみを与えて生きているのだろうと想った。

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July 11, 2012

中東講座、そして山元学校、驚きに満ちて、

昨日は、中東協力センター主催の中東講座で、早朝から永田町へ出かけた。NHK出川解説委員のエジプト・シリア・イランの最新政治情勢を聴き、日経の脇祐三氏の"中東の構造変化"論、エジプト人女性の師岡カリーマさんの"アラブ文化"論など聴いて、日頃の私の中東観に、新たな視点の刺激を与えて貰った。

夕方、ちょっと一旦会社へ帰り、手早に、業務関係メールを処理し、夜は、久しぶりに、"山元学校"と云う面白い集まり(市ヶ谷)で、多くの起業家・芸術家達のプレゼンテーションを聴いた。私が、2002年、前の会社を辞めて、起業に熱心な頃に知ったこの集まりに、何故か昨日は、行ってみたくなり、フラリと参加してみた。

琴(古瀬麻美子さん)の演奏、津軽三味線(五錦雄互さん)の演奏、フードアナリスト協会創設の横井裕之氏プレゼン、雑誌CEOの創刊者松室氏、"世界一周一人めし"の著者、日本版ダビンチコードの映画構想中のプロデユーサー、西アフリカ・ブルキナファソの大使、シンガーソングライターの白井愛子さんの歌など、目まぐるしい程の、エネルギーの交錯であった。

日常の行動をちょっと外れてみると、全く、様々な人生、様々な人生観、別世界が、広がっていることを想った。それは、暫し、自分を忘れる程。 それぞれの人が、精一杯自分を表現して生きている姿を見て驚いていると、それも、無我に通じるのであろうか? だから、心地よいのであろうか?

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July 10, 2012

健康レポート、「プロバイオテックス健康法」、

最近読んだ本、「プロバイオテックス健康法」(中谷林太郎・平塚秀雄著・小学館) から抜粋。
1. 抗生物質(アンチ・バイオテイックス)の時代(20世紀)は過去の世紀。 抗生物質は病気になってしまってからの治療。⇒ 副作用と、耐性菌の問題台頭。現代は、プロバイオテイックスの時代: 腸内細菌のバランスで病気予防。副作用なし。

2.腸内細菌のバランスを崩す要因 → 悪玉菌繁殖。
偏食、 薬(抗生物質)、 細菌汚染、 ストレス、 気候・温度、 加齢。

3.悪玉菌の害
(1)肝臓疾患誘発: アンモニアを生成し、肝臓の機能をパンクさせる。
(2)潰瘍、高血圧誘発: 腐敗物質「アミン」を生成、潰瘍・高血圧に。
(3)癌発症促進: 「アミン」と亜硝酸塩と結合して発癌物質ニトロソアミンに。亜硝酸塩は、ハム・ソーセージなど加工食品の発色剤。野菜に含まれる硝酸塩も「アミン」と結合し、発癌物質「ニトロソアミン」に。
(4)動物性タンパク質に含まれる、必須アミノ酸・トリプトファンが、悪玉菌で分解され、発癌物質に。
(5)胆汁を発癌促進物質に変える。脂肪を多く摂ると胆汁が出る。その胆汁と結びつき、発癌を促進する。

4. 善玉菌のパワー: 乳酸菌(小腸)、ビフイズス菌(大腸)
(1)悪玉菌の勢力を弱め、腸内腐敗を抑える。
(2)便秘改善。
(3)病原菌の感染を防ぐ。
(4)免疫細胞の活性化。
(5)腸内で、ビタミンを合成、カルシウム・乳糖の吸収を助ける。
(6)発癌物質を吸着・排出する。
(7)血中コレステロールを減らし、生活習慣病を防ぐ。

5.ビフィズ゛ス菌は食物繊維を好み、オリゴ糖(乳糖・麦芽糖など)が餌。 オリゴ糖は、人間の消化酵素では、分解されず、大腸に到達して、ビフィズス菌の餌になる。

6.美肌の鍵は腸にあり: 肌の年齢を老けさせる四つの要因:
紫外線、乾燥、汚れ、腸。

以上、今月の健康レポートでした。

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July 09, 2012

雨風、道路の水たまり、自然との戯れ、人間も小動物、

起業で成功された会社の会長が、最近80歳で引退される時、幼児の頃を回想して、面白いことをおっしゃった。

大雨が降ると嬉しくて、自宅の庭へ出て、パンツ一枚で、空を見上げて、「もっと降れ降れ、ドンドン降れ」、と叫んでいて、母親にやめて早く家に入りなさいと叱られていたことが懐かしいとのことだった。

私も、大雨や嵐の中、外へ出て、雨や風を肌で感じるのは、時に、楽しい気持ちもあることを想い出した。 災害は恐いが、雨風と戯れるぐらいならば、やはり楽しいと思う。

その元会長の先輩は、そのパンツ一枚で、雨よ降れと天に叫んでいた自分、「それが、私の人生観の原点です」とおっしゃったことがとても印象に残った。

自然は思いがけなく牙をむくこともあるが、自然に抱かれて、人生を、自然の流れのままで生きて来られたと云う。畏怖の念と、親しみの念、まるで、父親や母親に戯れる子供の気持ちなのだろうかと想像した。

まだ舗装されてない田舎の道は、雨が降るとよく水溜りが出来る。 わざとその水溜りに、長靴でバシャと踏みつけて、泥水の跳ね返りにはしゃいでいた頃を、私は不図、想い出す。

自然界の生き物の人間も、茶目っていっぱいに、小動物のように、自然に甘えて、戯れる様に生きてる。

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July 08, 2012

背後のものを見る力、それは五感六識を超えた世界、

人間の真の生命は智恵から出来ている。智恵とは、精神(大海・汝はそれなり)と物質(波)を同一と考える力。

自分(波)のことを考えるからビクビクして生きる。自分が無ければ、びくともしない。

無知で生きてる人は死。智恵ある人は死なない。

全て、森羅万象を二力の作用で見る力量、これが大極を見る力。「晴れて好し、曇りても好し、富士の山」。

善と悪を見るのでなく、善と悪が生まれる前、即ち善と悪の背後にあるものを見る力。"ニワトリと卵"を見るのではなく、"ニワトリと卵"の背後にあるものを見る。

五感六識で見ている世界は実在ではない、それはカルマ(業、即ち、印象・気分)が見ている世界、実在は別にある。

背後を見る力、これが智恵。善も悪も自在に存在する。即ち、「春は花、夏ホトトギス、秋は月、・・・・」。

そして、話の最後に、「解決できぬ苦しみを、持たねば、真の祈りはできない」と云う住職の言葉に、私は圧倒された。

昨日の住職は、ヴィヴェーカナンダの"働きの秘密"について話をして下さった。私は、聴きもらさないようにメモを取った。仏性とは、背後にあるものを見る力だと思った。びくともしない安らぎは、背後のものを見る力。

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July 07, 2012

特攻隊だった方からの手紙、

先日、日吉地下壕・連合艦隊司令部跡の見学(6/23)の模様を、父が属していた満洲の同窓会メンバーの元海軍の特攻隊でおられた方に手紙で報告したら、返事の手紙が最近届いた。

連合艦隊の司令部が地下にあるとは聞いていたとのことだったが、日吉の地下にあったとはご存知なく 、それが保存されていたことに、驚かれていた。

戦艦大和が最後に呉から出撃をする時に、一人息子や病気の乗組員を下船させた逸話も書かれていた。

また、特攻隊として入隊していながら、最早、乗る飛行機もなく、米軍の上陸に備えて、地雷を抱えて戦車に立ち向かう訓練に明け暮れてらっしゃたとの話も書いてあった。

「これから、私たちの時代は終わり、貴方がた若い人達が、今後、支えて行ってください」と結ばれていて、特攻隊の方からの直接のメッセージに、目頭が熱くなった。

最近、初めて訪れた日吉地下壕は、私に、力強く生きる力を与えてくれた。

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July 06, 2012

80年目に明かされる満洲建国の真実、

雑誌、歴史街道(PHP出版)7月号に、満洲建国の真実と題する特集が組まれていた。

「日本人が広野にかけた夢」、「満洲建国は、明治維新の理想実現に向けた最後の一歩だった」、こんな見だしが躍る記事に、満洲に住んだ私の両親の時代の一面を、真実を、知りたく、読んでみた。

1895年日清戦争で日本は遼東半島と南満洲を清国から割譲された。その後、ロシアの南下の野望は日本への三国干渉で、その地を日本から取り上げ、ロシアの租借地として奪ってしまった。さらにロシアは朝鮮半島にまで襲いかかろうとした時、日本はロシアの南下を食い止めるために1905年、日露戦争で国土を防衛する。

その日露戦争の結果、ロシアが清国から租借していた権益を日本はそっくり譲渡された。日本は、当時の欧米列強の帝国主義侵略の野望に、脅かされながらその権益を、平和的な満洲の経済発展で乗越える理想を描いていたと云う。日本は満洲を武装化せず、満鉄を軸に経済発展の道を選ぶ。それがアジアの覚醒・近代化に繋がる明治維新の理想だった。

満洲を廻って、日本・ロシア・中国・アメリカが権益を争った。(歴史的に満洲は漢民族の国ではなく、清朝の滅亡した満洲は中国の領土ではなかった。毛沢東の中国は、歴史的に漢民族が支配したことのない地域、モンゴル、ウイグル、チベットなどまでも、その後呑み込んでしまった)。

当時の弱肉強食の帝国主義侵略の世界で、明治維新後、やっと日清戦争に勝利した日本は、平和外交主義で、国際関係を乗越えようとして、ドンドン権益を奪われて行った。 幣原軟弱外交(事なかれ主義)は頂点に達し、欧米ロシア列強の圧力を排する動きで、憂国の軍部青年将校・関東軍の満洲事変・満洲国建国に繋がった。1932年、満洲建国の知らせに、日本国民の殆どは歓喜した。

"蒙古、日本、朝鮮、漢、満洲"の五族協和の理想を掲げた日本。どう猛野蛮な帝国主義社会に、ナイーブに生きた日本のぎこちなさを感じる歴史観であった。(京都大学・中西輝政名誉教授)

私は、満洲に住んだ両親を、少し、内心非難する気持が和らいだ。それぞれの時代を、一所懸命に生きて来た人間のことを想った。

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July 05, 2012

「方丈記」は無常を超えて、

先日の夜、閉店間際に、たまたま入った横浜の書店の店頭に、"800年の時を経て蘇る方丈記"(徳間書店)と、"80年目に明かされる満洲建国の真実"(歴史街道、PHP研究所)が、目に飛び込んで来て、私は、半ば衝動的に購入した。

これは、私が、読まなければならない"縁"であったと思う。

1212年、戦乱の続く末法思想の世、鴨長明は「方丈記」を書いた。まるで琵琶の音の調べのような、「ゆく河の流れは絶えずして、・・・・・」。

方丈記は五部から構成されていて、冒頭がその有名な句、第二部では、天変地異・大火・飢饉・大地震など、人の一生は、予想や計算のできない無常なものであることを説いている。

第三部では、自身の幸せだった幼少期・その後の不運・不遇と、出家の経緯。 第四部では、山里での平穏な日々、草庵での自然との共生の安らぎ。

終章では、草庵・自然を愛する気持、そして、その愛する気持、執着することが、仏の道に背いてないか、自らに問いかけて終わる。

私は、ホッとした。鴨長明は、無常を超えて、差し込む"無我"の光を、確かに見ていたのだと思った。私は、嬉しかった。

"無常と無我を一緒に見る力量"がなければ、無常は、ただ悲しみのまま。無常は決して寂しいことではない。これも、住職に教えられたこと。 「方丈記」の終章は、心地よい安らぎだった。

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July 04, 2012

宇都宮城、水鉄砲合戦・参加者募集中のポスター、

先日、東京で会社終業後、那須での研修の前日の小さな旅に、北千住から東武宇都宮線で宇都宮へ向った。

宇都宮の少し手前に、「おもちゃのまち」と云う駅があって驚いた。栃木県の壬生町は、玩具メーカーの町で、そんな名前に正式にしていると云う。

翌朝、宇都宮城・城址を訪れた。宇都宮氏は鎌倉時代から安土桃山時代まで500年も続いた家だと云う。城は戊辰戦争で焼けたと云う。城址入り口には、6月30日"水鉄砲合戦"参加者募集中のポスターが貼ってあって、心が和んだ。

東武宇都宮駅前の大きな眼科医院のビルの外壁には、大きな目の検診のマークが描かれていて、それは48メートル先から見て、検診するように描かれていると解説されていた。通行人が、立ち止まって、一瞬、目の検診の遊びを楽しめるとは、粋な遊びだと笑った。

JR宇都宮駅前のレンタサイクルは1日、100円。田川沿いを走ったり、県庁展望フロアから宇都宮市内の全貌も眺めた。

那須へ向う、途中下車の小さな旅。餃子の街、宇都宮。初めての宇都宮の旅だった。

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July 03, 2012

龍安寺の石庭、逸脱の美学、無造作の中の調和、

先日、ビジネス交流会那須合宿で、懇親会の席上、ある先輩が、京都・龍安寺の石庭の石のように、不規則に並んでいるのが人生の歩みではないかと云う発言にハッと驚いた。無造作に置かれた石、それが何故か調和している。

現実の人生の歩みは、規則的な、予測できる歩みではなく、一つ歩みを進めると、そこから、全く新たな展開・視界が広がって来る。それは、不連続、非対称の世界。

色んな予期せぬ展開があり、その歩みに戸惑っても、それでも、人生全体の景色としては調和している。

自分の人生も、枯山水と想えば好い。何か、整ってはいないが、何か調和している。そんなに見えなくもない。

春は花、夏ホトトギス、秋は月、・・・・・と。無常の中の安らぎのような調和、そんな調和を感じながら、自分の不幸も不遇も、眺めれば好い。不幸も幸運もない。ただ坦々と坦々と、あるべきようにある。

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July 02, 2012

初めて見る自生のホタル、生田緑地、

昨日は、向ヶ丘遊園の生田緑地の"ホタルの里"のホタルを見る会の今期最終日であった。

九州の実家付近でもホタルを見たことはなく、まだ人生で、一度も自然のホタルを見たことのなかった私は、昨日夕方、また向ヶ丘遊園にホタルを見に行くことにした。東京では、飼育されたホタルを放して見るホタルの会はあるが、自然に生息するホタルを見る場所は殆ど無いと云う。

小雨の降る中、林の中を歩き、湧き水の小さな清流が流れるスポットで待機すること30分、19:30頃、遂にその瞬間は訪れた。小さな、雪の結晶のような灯りが、茂みの中、林の中をゆっくりと舞った。 初めて見るホタル。

警備員の方によると、このホタルの里で見れるホタルは約30匹くらいで、少ないのだそうだ。ホタルを見る会は、6月中旬から下旬の2週間。この森の自生のホタルが見れるピークは夏至の頃、6月22日頃とのことだった。

ホタルは成虫として飛ぶのはたったの数日、せいぜい1週間と云う。幼虫で約1年を過ごす。ホタルが幻想的に光を放つのは、死ぬ前の数日間のこと。この世の名残りの灯りのようにも思える。

自然界は不思議だ。よく見れば、実に驚きに満ちている。 まさに日常から逸脱した別世界の美を感じる。

自然に生息するホタルを、今まで見る機会のなかった私の人生。そんな忘れ物をしちゃいけないなと想った。

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July 01, 2012

囲炉裏端で民話を聴く会、

私は、ずーっと、囲炉裏端で民話を聴く体験に憧れて、まだその機会がなく、情報を捜していた。

最近、那須での研修に行く途中で立ち寄った宇都宮の、旧篠原家住宅(明治時代の醤油屋さん)で、栃木の民話を語る会の方が、毎月2回、民話の集いを開いてらっしゃることを知った。

そして、東京・向ヶ丘遊園近くの生田緑地の中にある、民家園(沢山の江戸時代の古民家の展示)の囲炉裏端でも、時々、日本昔話を、語りの会の方がやっておられることを昨日初めて知った。

立て続けに、民話を聴く会の情報を得て、私は、大喜びだった。

やっと、囲炉裏端で、民話を聴く夢が実現しそうになった。

古民家の、暖かい飴色の木目の耀き、囲炉裏の匂い、そんな中で、お国言葉の民話の語りに耳を傾ける。

何とも云えない、人生のノスタルジアではないかと想う。

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