80年目に明かされる満洲建国の真実、
雑誌、歴史街道(PHP出版)7月号に、満洲建国の真実と題する特集が組まれていた。
「日本人が広野にかけた夢」、「満洲建国は、明治維新の理想実現に向けた最後の一歩だった」、こんな見だしが躍る記事に、満洲に住んだ私の両親の時代の一面を、真実を、知りたく、読んでみた。
1895年日清戦争で日本は遼東半島と南満洲を清国から割譲された。その後、ロシアの南下の野望は日本への三国干渉で、その地を日本から取り上げ、ロシアの租借地として奪ってしまった。さらにロシアは朝鮮半島にまで襲いかかろうとした時、日本はロシアの南下を食い止めるために1905年、日露戦争で国土を防衛する。
その日露戦争の結果、ロシアが清国から租借していた権益を日本はそっくり譲渡された。日本は、当時の欧米列強の帝国主義侵略の野望に、脅かされながらその権益を、平和的な満洲の経済発展で乗越える理想を描いていたと云う。日本は満洲を武装化せず、満鉄を軸に経済発展の道を選ぶ。それがアジアの覚醒・近代化に繋がる明治維新の理想だった。
満洲を廻って、日本・ロシア・中国・アメリカが権益を争った。(歴史的に満洲は漢民族の国ではなく、清朝の滅亡した満洲は中国の領土ではなかった。毛沢東の中国は、歴史的に漢民族が支配したことのない地域、モンゴル、ウイグル、チベットなどまでも、その後呑み込んでしまった)。
当時の弱肉強食の帝国主義侵略の世界で、明治維新後、やっと日清戦争に勝利した日本は、平和外交主義で、国際関係を乗越えようとして、ドンドン権益を奪われて行った。 幣原軟弱外交(事なかれ主義)は頂点に達し、欧米ロシア列強の圧力を排する動きで、憂国の軍部青年将校・関東軍の満洲事変・満洲国建国に繋がった。1932年、満洲建国の知らせに、日本国民の殆どは歓喜した。
"蒙古、日本、朝鮮、漢、満洲"の五族協和の理想を掲げた日本。どう猛野蛮な帝国主義社会に、ナイーブに生きた日本のぎこちなさを感じる歴史観であった。(京都大学・中西輝政名誉教授)
私は、満洲に住んだ両親を、少し、内心非難する気持が和らいだ。それぞれの時代を、一所懸命に生きて来た人間のことを想った。
Comments
私もこの本読みました。
満州には、日本人はいろいろな思いがありますね。今後も満州情報交換よろしくお願いします。
Posted by: 島田 潤 | July 16, 2012 10:28 PM
島田さん、満洲のこと、ご関心が深いことを知り、嬉しく思います。情報交換、今後とも、よろしくお願いします。
Posted by: life-artist | July 17, 2012 06:56 AM