韓国の人々に敬愛され続ける浅川巧と云う日本人がいた
5月末の三池高校の大同窓会で会った先輩に、映画「道ー白磁の人」(高橋伴明監督)のチケットを貰った。高橋伴明監督は映画「禅」も作った人とのことで、早速、先日、見に行った。
日韓併合時代(1911年~1945年)に、1914年朝鮮に植林技術者として渡って、朝鮮をこよなく愛し、朝鮮に溶け込んで、朝鮮人に敬愛され、1930年に肺炎で40歳で亡くなった山梨県出身の日本人の実話だった。
戦争で禿山となった朝鮮の山々に、苦労の末、チョウセンゴヨウ松の大規模植林に成功する。朝鮮の山々を緑にするのが夢だった。そして今、韓国の林業研究院長は云う、「韓国の人工林の37%は、浅川先生が手がけたものです」と。
彼は、兄・浅川伯教と同じく、朝鮮の民芸品の芸術性に造詣が深く、朝鮮の白磁の美を世に紹介した。「疲れ果てた、朝鮮よ、今ある大切なものを失わなければ、近く自信に満ちた日が来るだろう。これは工芸に限ったことではない」と朝鮮文化の美を称えている。(彼は、白樺派の柳宗悦と共に、1922年京城で李朝陶器展なども開いている)
2011年11月10日、日韓合同追慕祭が披かれたと云う。林業研究院の親友・イ・チョンリムとの強い絆は、民族の対立・戦争を越えたものだった。明日、世界が滅びても、今日、彼らは木を植え続けた。彼らが植えたチョウセンゴヨウ松が、今のソールのビルの谷間に、公園に聳え立つ。
浅川が遺した日記に曰く、「自分の友であり、指導者である雀よ、鶏よ、クサヒバリよ、向日葵よ、花蓼よ、松林よ、向こうの草家よ、大地よ、蒼空よ、今日も日中暑いだろう。健闘を祈る」。 彼が、大地にじゃれつく子犬のように、朝鮮の大地に生きたことがわかる。
浅川巧と云う人がいたことを、私は縁に触れる機会を得たことを、光栄に思った。
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