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June 07, 2012

去年夏に見た長岡の花火が、昨日完結した想いに浸る、

昨日、「この空の花」と云う、長岡の花火に込められた戦争犠牲者鎮魂の映画(大林宣彦監督)を見て、やっと、私が去年8月3日に見た長岡の花火の真の意味を感じた。

1945年8月1日夜10時半、長岡の街の80%が焼け野が原となる空襲が始まった。戦後50年を経て、やっと長岡空襲の残酷な体験を語り始めた七里アイさん(87歳)は、この映画のモデルとなった人。今年2月のこの映画の試写会を見届けて永眠されたとのこと。

激しい炎から逃れようと1歳半の娘・美智子を連れて飛び込んだ先は"死の川"だった。「ブーブーブー」、美智子が爆撃機の飛行機を真似た。「ブー・・・・」その声はやがて途絶した。顔と手が真っ赤にただれていた。揺すっても目は閉じたまま、娘にできるのは、母乳を与えることだけ。返事をするように、1口だけ力なく吸い、こと切れた。気づくと爆撃機は去り、川面に無数の死体が浮いていた。

市内を流れる柿川、は信濃川の支流。私は、何も知らずに、去年その河原で、長岡の花火を見た。共同脚本の長谷川浩治氏は綴る、想像力を駆使して柿川を見ると、"水面から、少女や少年達が、焼夷弾の子弾を抱えて、空に舞い上がって行くのが見えると"。

想像力に於いて、人は他と繋がる。他との繋がりが消えた時、自分のみになった時、怒りや、哀しみや、戦争が始まる。柿川を歩くと、「やっと繋がりましたね」と誰かが囁いてくれているような気がすると、映画のパンフレットに、書いてあった。

2011年8月2日・3日の長岡の花火は、東日本震災の慰霊の特別な花火でもあった。私が去年12月に訪れた被災地、石巻でも、長岡の花火が同時に上げられたと云う。夜空に舞う、世界一の美しい花火、長岡の花火は、仏さまの花火だったのだ。

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