B29のパイロットへの犠牲者の言葉、長岡花火物語、
終戦の年、昭和20年8月1日夜の長岡の上空に125機ものB29爆撃機が現われ、16万発余もの焼夷弾を落とし、長岡は火の海と化し、約12、000戸の家々が消失、1、480人が亡くなった。その犠牲者を弔うために長岡花火は毎年、曜日には関係なく必ず、8月2日・3日に打ち上げられる。
その空襲の夜、1歳半の赤ちゃんの女の子を背負って、炎を逃れて柿川へ入った母親。その日沢山の人が柿川でも亡くなった。灼熱の中、死んで逝った赤ちゃんの子供の命日が8月2日。そんな日に空に舞う花火。
今年3月15日、87歳で亡くなられた七里アイさんは、長岡の花火は、「嫌いらね」と、よく新潟弁で云ってらっしゃったと云う。
その彼女が晩年に、云った言葉、「飛行機からは、私達が見えなかったんです。見えなかったから戦争になったんです。でも、どんなに離れていても、見える力を私達人間は、持っているんですよ」。
この言葉に、私は神を見る想いだった。
七里アイさんも、解脱された人"妙好人"でらっしゃったんだと確信した。


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