« May 2012 | Main | July 2012 »

June 30, 2012

都会の山小屋、子供時代の憧れ、一人の棲家と云う発想、

6月28日(木)、29日(金)、会社を休んで、那須で行われたビジネス交流会(11名)に参加し、45年以上続く、ベンチャー企業の先駆けとなったコンピューターソフト会社の創業社長(80歳)の話を聴いた。

今度、会長職も全て辞めて、都心に山小屋(マンションの一室)を借りたのだそうだ。子供時代、山野を駆け巡った時の山小屋への憧れを実現したく、それを、都会のマンションの一室だが、山小屋のような憧れで、最近借りたのだそうだ。

会社や、家族、色々なしがらみから離れ、子供時代の棲家、洞穴・木の上のように、自分だけの場所をやっと実現されるとのこと。時に、我々のような友人を呼んだり、する場所にも使いたいとのことだった。

私は、その着想に、ハッと気づくものがあった。人は、時に、全てのしがらみから解き放たれ、一人にないたい希望もあることを。 寧ろ、孤独な空間への憧れ。孤独で、安らぐ場所が確かにある。

80歳になって、やっと、そんな心の安らぐ山小屋を、新たに持つなんて、素晴らしいと思った。

私も、いつか、どこかに、質素な山小屋を持ち、時に大自然の中に溶け込んでしまえたら好いなーと憧れる。それは、木の上にあるような、子供時代の冒険心が溢れるような、しかも、安らいで、満天の星が眺められるような、そんな憧れの、心の山小屋。孤独だが、静かに宇宙と一体化するような場所、即ち、"孤独にあって孤独ではない境地"になれる場所。

今の時代、孤独死を恐れる時代の世相の中、孤独の山小屋への憧れは素晴らしい発想だと想う。

早朝、朝もやの中、小鳥のさえずりを聴き、那須高原の森の木々を眺めながら、そんな生き方もあるなーと、日常からの逸脱のひとときを味わった。

| | Comments (0)

June 29, 2012

呉汁(大豆の味噌汁)の安らぎ、

先日(6/17)、横浜みなとみらいで開催された食育フェステイバルで、呉汁(大豆の味噌汁)の素を発見した時は、とても嬉しかった。

私の子供時代、故郷で、母がよく作ってくれた呉汁。大人になってからは、殆ど食べていなかったので、懐かしさひとしお。色んな種類の呉汁を買って、今、少しづつ、楽しく試している。

中には、「みそフラボン」と云う、味噌汁の素になっている製品もあって、笑ってしまった。

これを機会に、今度は、自分でも、大豆をすりつぶして、作ってみようと思う。

大豆は、健康の王道を行く食べ物。

思いがけない呉汁との再会に、心が踊った。

| | Comments (0)

June 28, 2012

飲酒で死刑、イランのニュース、

私が仕事で毎朝見るBloombergニュースに、先日(6/25),「飲酒で死刑(イラン)」と見出しにあって、驚いた。

読み進むと、1回の飲酒で80回の鞭打ち。 3回飲酒を見つかって死刑を求刑された話が載っていた。

執行猶予もあり、まだ死刑が確定、刑が執行された訳ではないが、飲酒で死刑が求刑されることが凄い。

ちょっと、にわかに信じられなくて、笑ってしまう。

世界は、考えられないほどの別世界が、一杯に広がっていることを思う。 本当は、笑ってられない。

世界の人々は、同じ時代に生きてるようで、実は全く違う時代、次元に生きている。

| | Comments (0)

June 27, 2012

玉川上水、神田川、サイクリングの旅、

先日、玉川上水・神田川・善福寺川のサイクリングの会に参加した。風情のある川沿いの道を、初めて自転車で走った。

京王線・桜上水駅からレンタサイクルを借りて、川沿いに、井の頭公園へ向い、そして、神田川の源流を見て、また川沿いの道を、往復約24キロを走った。

玉川上水沿いには、林の中を走るような場所もあり、畑が広がり、農家の人が道で野菜も売っていた。東京にも、こんな風景があったのかと、すっかり旅心地にもなった。

神田川の久我山付近には、ホタルの鑑賞会もあることを知った。6月始めの休日に、飼育したホタルをここで放すのだそうだ。神田川のホタルか。さぞ、幻想的なことだろう。 来年は、神田川のホタルを見に来てみたいとも思った。

神田川は、隅田川を経て、東京湾へ注ぐ。 神田川は、都会の中の故郷みたいな安らぎを人々に与えているように想う。初めての、神田川を感じる旅だった。

| | Comments (0)

June 26, 2012

人生の1%の期間なのに、永遠のようなシーン、

子供が「パパー」と云って、抱きついて来てくれるのは、大体小学校に行くまで、6歳くらいまでと云う。

先日、インターネットで、育メンと云われる男の子育ての記事に、"日曜日は年に50回あり、それが6年間で300回ある。約3万日と云われる人生の約1%の期間である"と書いてあった。

休日の朝、子供にせがまれて、公園に行ったり、動物園に行ったり。街へ行くと、すぐ抱っこをせがまれ、ヘトヘトになったり。

私が昔、娘と休日に2人で行った向ヶ丘遊園は、その後、閉園され今はもう無いのだと云う。グルグル回る"コーヒーカップの乗り物"にのって、ケラケラ笑って、はしゃいでいた娘とのシーンは、今でも私の心に焼き付いている。向ヶ丘遊園は、今は、寧ろ無くてもよいと想う。もし、時を経た向ヶ丘遊園の様子を見たら、想い出が廃墟のように、風化しているように感じるかもしれない。

子供とベタベタした時間は、人生で1%にも満たない短い期間の出来事だったのだと改めて想う。

人生には、一瞬でも、永遠のシーンがあることを想う。

| | Comments (0)

June 25, 2012

横浜・日吉、5キロに及ぶ広大な地下要塞の街、

一昨日、日吉地下壕保存の会の方々の主催で、太平洋戦争末期、日本海軍の司令部が置かれた、地下の大要塞の一部に、私は、初めて入った。

それは、私が、慣れ親しんだ、慶應大学のキャンパスのマムシ谷と云われる坂の下のテニスコートのすぐそばに入り口があった。 保存会が見学会をやりはじめたのは24年前とのことで、私が大学生の頃には、この広大な地下要塞は、先生達から聞いたこともなく、世に知られていなかった。私は、当時、全く知らずに、日吉に住み、日吉で学んだ。

地下約30メートルに、幅4メートル・高さ3メートルの、道路みたいな要塞が延々と張り巡らされ、海軍の数々の中枢機能が、ここに置かれていたことがわかった。司令長官室は当時、和室に作られていたと云う。

通信兵も約200名がいて、数々の情報・戦況を受信し、また、戦艦大和への最後の出撃命令もここから発信されたのだと云う。トンツー、トンツーと云う無線の発信音が絶えなかったことだろう。終戦の頃は、特攻機が、「我、今、突撃す」と遺してトンツー・トンツーの音が、「ツーー」と云って消えて行く悲しみを幾度となく聴いていた場所。大和が沖縄・徳之島沖で、約300機の航空機の空襲を受け、沈む時、大和が傾いて行く様子を、傾斜10度、傾斜15度と、刻々と受信し、涙で大和の沈没を見送った様子がわかった。

私が、大学時代、走り回ったり、戯れた陸上競技場は、学徒出陣壮行会が行われた場所であった。

何故、教えてくれなかったのだろう。何故、私は知る機会がなかったのだろう。と今でも、不思議に思う。人生には、身近に、自分の知らない世界がいっぱいに広がっていることを思う。受信機を磨かなければ、それを知らないままで人生を終えることになる。 そして、自分の五感六識では計り知れない世界が、そばにも展開していることを思った。

日吉地下壕のことは、私は、最近、区役所の催しもののパンフレットで知った。今頃、私に訪れた、戦争を知る縁。地下壕の壁(40cmの厚さ)のコンクリートを触り、65年前の戦争を、今、触っている感じがした。

| | Comments (0)

June 24, 2012

「私を背負って走って下さい」、それは初めて走る体験、

昨日、喫茶店で、友人が高校時代に、福岡の"しいのみ学園"に、指人形の劇の慰問に、クラブ活動のつきあいで行った時の体験を話してくれた。

私にも小児麻痺のいとこがいて、色々な障害で身体が動かない子供達が"しいのみ学園"にいることは知っていた。指人形劇をやる女生徒達に混じって、一人男性で加わった彼は、広場のような場所で、障害児を、順番に背中に背負って、走ることを頼まれたと云う。

ただ、10数メートルくらいの距離を、子供を背負って、走ってぐるっと回って来るだけのこと。

車椅子に乗った子供達、言葉も麻痺で、はっきりとは聞き取れないが、「走って下さい」と背中でせがまれたと云う。

私は、そのことの意味することが理解できなかった。

生まれてこのかた、この子達は走った体験がなく、走ってみたいんです。だから、背負って、ただ走ると、風を感じて、歓声をあげて喜ぶんですとのことだった。人に背負われて走って、初めて自分が走る感覚に、まるで自分が新幹線にでもなったように感じたのでしょう。それは、どんなに、夢のような体験だったことでしょう。

背負った障害のある子供が、ただ、「走って下さい」と云うシーンの感動。 今の私には、もうわかる。 私は、この話を友人から、たまたま聴いて、何か目からうろこが落ちるような、人生で全く知らなかったシーンを見る想いだった。

| | Comments (0)

June 23, 2012

失業保険辞退の訳の驚き、

昨日、友人である若い共働きの夫婦で、去年、仕事を辞め主婦専業になった奥さんが、不図、もらした言葉に驚いた。

仕事を辞めたので、ちょっと節約の生活をしていますと云うのだが、失業保険は申請しなかったと云う。せっかく今まで、保険料を払い込んで来たのだから、再就職の意思ありと表明して、失業保険を貰えば良かったのにと、もったいなく、奇異に感じた。

ところが、「去年は東日本震災で、多くの人が失業したので、そのような被災し失業した人のことを思うと、被災していない自分の分まで、失業保険を申請する気になれなかった」と彼女は云った。聴いた、他の友人達も、私も、一瞬、戸惑って、「すごーい」と驚いた。

お金が無く、節約しなければと嘆いている若者が、自分の失業保険の分は、申請する気になれなっかったと云う。世間には、金持ちでも節税対策や税金逃れなどに腐心する成功者達が多いのに、普通の平凡な主婦のこの生き方は何だと、強い衝撃を受けた。名利にあくせくする生き方とは全く別世界の、高い価値に導かれた命のレベルを、私は垣間見た思いがした。

就職活動していなくても、再就職活動をしているように装って、失業保険は当然貰うのが世間一般の常識だと私は思っていたが、こんな人もいたんだと、そんな人と友人であってよかったと思った。

爽やかな、仏性の一撃だった。

釈迦の言葉にある。 「一切衆生ことごとく皆如来の智慧、 徳相を具有す」。

| | Comments (0)

June 22, 2012

「波」と「大海」の詩、

何事も思い通りにならないと思う時、私は「波」。 思い通りになろうが、ならなくても、どちらでもよい時、私は「大海」。

とても寂しくて、悲しい時、私は「波」。 一人でいても、寂しくもなく、どんなに哀しくても,絶対大丈夫と思う時、私は「大海」。

深刻に病や死と対峙する時、私は「波」。 病や死も、仰々しく、とらえない時、私は「大海」。

無常を悲観的に感じる時、私は「波」。 無常と無我が同時に見えて、安らいでいる時、私は「大海」。

五感六識は、「波」を感じる器官。 五感六識の運転を止める時、「大海」が広がる。

日常の中で、五感六識の運転を止める瞬間が少しでもあれば、それが仏性の光。

| | Comments (0)

June 21, 2012

天気は、良くも、悪くもない、

昨日、天気は本来、「良くも、悪くもない」と云うことを、つぶやいた人がいて、私は、ハッとするやら、唖然とするやら。

凄い気づきだなーと思った。

自然現象は、海水が蒸発し、冷やされて雨として、また海へ戻って行く。また蒸発して、雲となり、夏の雲にも、雨雲にもなる。山の木々の葉、草花の上の可愛い雨粒となり、長い旅の末、また海へ注ぐ。

嵐も、台風も、空気の温度さの加減で、調和するために起きている。

ただ、淡々と、悠々と、自然の営み。

その、自然の営みの一場面を、好きだとか、嫌いだとか、つぶやいている人間。

生死も、好きとか嫌いとか叫んでみても、天気が生、雨が死、みたいなものではないか。

雨を、「H2Oが、地球の中心に向って移動しているな」と云った、ロボット博士の森政弘先生の言葉を想い出した。

"至道無難・唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)"、 「揀択(けんじゃく)即ち、好き嫌い、を離れたら、道は難しく無い」と、禅の"三祖大師信心銘"の冒頭に書かれている。

| | Comments (0)

June 20, 2012

台風の中、哲学カフェ、代理キックオフトーカーの縁、

昨日、終業後、雨の中、新宿哲学カフェに出掛けた。台風の上陸は関西の方で、しかも深夜のことだろうとの予想で、ちょっと思い切って行ってみた。横浜への帰りは、9時半くらいになり、傘は壊れる、全身ずぶ濡れで帰宅した。こんなずぶ濡れは、子供の時以来かと、我ながら苦笑した。

哲学カフェでは、本来のキックオフトーカーも台風懸念で急遽欠席とか、いつもより少ない約20名くらいの話し合いになった。昨日のハプニングは、私が喫茶店に到着するや否や、座長の横山紘一先生に、キックオフトーカーを急遽依頼されてしまったこと。

私は、戸惑ったが、日頃考えてるテーマを想い出し、「社会奉仕は、人のためか、自分のためか?」のテーマを出した。ボランテイア活動をする時、人のためか、自分のため(偽善・自己満足)かで、よく議論・喧嘩にもなる場面が多いと感じていたので、そのテーマを出してみた。私が、苦しんで来たプロセスを、この議論で、多くの人も、この問題から解放されればよいと思って提案した。

やはり、ボランテイアを人のため、自分のためかと区別している人達も多かった。色々な感情的な議論も経た上で、私の体験も話した。マザーテレサを想像すると、自分のためとか、人のためとかの区別を越えている。マザーテレサにとっては、自分も他人も区別がない域に達していると思う。奉仕は、自他の区別がなくなってこそ奉仕だと思う。真の奉仕には、自分・他人を区別して議論する余地はないと思う。

また、私は昨日、人は助け合って生きている意味では、気づかない内に、人はお互いにボランテイアをやっていることにも気づかされた。気づかない内に、自分と他人の境目がなく生きている部分がある。まさに仏性だなーと思った。

台風で雨が強まろうとする中、会社帰りに、ちょっと思い切って出掛けた哲学カフェ。傘は壊れ、ずぶ濡れになって帰ったが、これは、私の縁であったのだなー、と一日を振り返った。

| | Comments (0)

June 19, 2012

点字の名刺の手ざわり、初めて作った点字の名刺、

昨日、大学時代の同じクラス6人の同窓会を銀座でやった。今月末、上場会社の社長に就任する友人、これから再婚する友人など、それぞれに、色んな人生が展開していた。大学卒業の時の成績のこと(評価Aの数)を申告し合ったり、入試の時の小論文の題が「母について」だったことなど、取りとめのない話をしながらワインを傾けた。

帰宅すると、大きな封筒の郵便物が来ていて、中を開けると、数日前に注文した"点字の名刺"200枚が送られて来たのだった。NPO法人、障害者雇用開発ネットの方の工房で作られた点字の名刺だった。

「文字等の印刷がつぶれないように、細心の注意をして加工しました」と書いてあった。名刺は25枚づつ、まるでお金の新札の様に、丁寧に小さな半紙の帯に留められ、それをまた、100枚単位で、透明のビニールに入れ、丁寧にテープで留められていた。

このような作業をしてくれた、工房の方々の姿が浮かんで来て、使うのがもったいないくらい、尊い名刺の様に想った。

名刺を眺めると、何か、母が私に作ってくれた物の様に、何か暖かいものを感じた。「♪母さんが夜なべして、手袋編んでくれた、木枯し吹いちゃ冷たかろうって、せっせと編んだだよう♪」と云う歌のような気持だった。

色々な人が、母のような暖かさを持っているように思えた。

| | Comments (0)

June 18, 2012

ハーバード大学・幹細胞研究者に禅を伝えた、そんな日曜日

昨日の朝、東神奈川から東京方面へ向う京浜東北線の電車の中で、たまたま私の横に座った米国人男性が、電車の行き先の確認で、私に話かけて来て、その後30分くらいも、色んな話をする偶然の展開が遭った。

これから東京駅で友人と待ち合わせて、京都へ行くと云うのだが、彼は、ハーバード大学の大学院の研究生(ボストン在住)で、国際幹細胞(IPS 細胞、Stem Cell)学会に参加来日して、学会が終わり、ちょっと京都観光をして米国へ帰る途中に、電車の中で、私に話かけて来たのだった。

確かに、後で調べてみると、国際幹細胞学会は横浜で、国内外の3200人の研究者が参加して6/14-16まで開かれ、治療への応用を目指した研究など1000を超えるテーマで報告されたとNHKニュースは伝えていた。ノーベル賞有力候補の京都大学の山中伸弥教授が今年学会の理事長になられたと云う。

電車の中の会話で、私は、IPS細胞研究の人類への貢献の、研究者としてのロマンについて質問した。医学、薬の開発への応用で、数多くの病気の患者を救えると語ってくれた。私は、彼は哲学的な話ができる人だと直感し、筑波大学の村上和雄先生のSomething Great(神のような偉大なもの)について説明し、自然に、禅の世界、ヴェーダンダ哲学、一元論の世界の話をして行った。住職の云う、"波と大海"、"蜘蛛の巣を揺する時のように伝わる、世界中に伝わる縁"についても話した。彼は、インド哲学と禅の思想に、身を乗りだすように真剣に耳を傾けた。

これは、縁だと、私は想った。住職の説く、"自他一如""無我"が、横浜の京浜東北線の中で、地球の裏側に、昨日、確固として伝わったのだ。アメリカのハーバード大学の研究生に伝わったのだ。

彼と、連絡先の交換をして、別れた後、私は、ジーンと来た。私が、指で空気を押すと、地球の反対側でブラジルの空気が押される。この縁は、一体何なのだろうと、しばらく、嬉しくで呆然としてしてしまった。

昨日は、本来朝から天気が好ければ、サイクリングクラブのサイクリングに出かける日だった。天気までもが、この縁を引き寄せたのだった。

| | Comments (0)

June 17, 2012

永遠の援助とは、飢えはまた戻って来る、

飢えた時に感じる不幸は物を食べることによって満足せしめられる。だが、飢えはまた戻って来る。

「知恵(知識では無い)の贈り物」は、食物や衣服より一層高等なものである。「知恵の贈り物」は、「永遠の援助」である。「精神的な知恵」こそ、不幸を永久に除き去ることのできる唯一のものである。

「精神的な知恵」とは、無我のはたらきのこと、一元の世界を見る力。

人に精神的援助を与える人間こそ、人類最大の恩人。

飢えは私を不幸にしない。もはや、災害も悲哀も、私を動かすことはできない。

人間の生命は、知恵から出来ている。無知は死であり、知恵は生命である。

スワミ・ヴィベーカナンダの「働きの秘密」を昨日、住職に教えて頂いた。

物質的な安らぎは、飢えを癒すことに似ている。愛への渇望も、寂しさも、人間に繰り返し、繰り返し襲って来る。その時々に、癒しを求めていたのでは、生きる苦しみから逃れることは出来ない。

物も我も忘れる境地、宇宙一杯に広がる境地は、もはや援助される人も、援助する人もいない。

それを、道元禅師は、「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えてすずしかりけり」と詠まれた。

| | Comments (0)

June 16, 2012

「両親に贈りたい旅26選」、安らいで、自分が消えて行くような旅、

書店で見かけた、「両親に贈りたい旅26選」(A-Works発行)の書籍は、人生で夢のような旅の情景が掲載されていた。これらの旅は、写真を見るだけで、ワーとため息をつくほどのメルヘンの世界になれる。

(1)中国・100もの湖泉の奇跡の色彩の山奥の秘境"九塞溝(きゅうさいこう)"、(2)タヒチの水上コテージ、(3)蜂蜜色に耀く英国の美しい村"コッツウオルズ"、(4)海に浮かぶ幻想の城、フランス、モンサンミッシェル、(5)ハワイの島々の海にかかる虹、

(6)悠久の歴史、ナイルを往く、エジプトの旅、(7)降龍伝説、水墨画のようなベトナム、ハロン湾、(8)レトロな街並みの台湾のグルメ旅、(9)息を飲むカナデイアンロッキー、(10)巨大な一枚岩のエアーズロック、豪州、

(11)ジャングルの中の偉大なる王都、カンボジア、アンコールワット、(12)地球の鼓動を感じる野生の王国、南アフリカ、(13)地球・宇宙からの贈り物オーロラの旅、カナダ、(14)永遠の都、ローマの休日、(15)地球が生んだ芸術、ニュージランド、

(16)文明の十字路イスタンブール、奇岩群カッパドキア、トルコ、(17)世界最大の建築、万里の長城、(18)神々の島、インドネシア、バリ島、(19)キャンピングカーで往くアメリカ西部の旅、(20)オリエンタルエクスプレスで往くマレー半島縦断の旅、

(21)天空のトレッキング、ネパール・ヒマラヤの旅、(22)縄文杉の島、神秘の島・屋久島、など・・・・・であった。

これらの場所の内、いくつか訪ねられたら、人生に乾杯、バンザイ三唱ではないかと思う。生命への感謝、宇宙への感謝、そして、大自然に自分が溶け込んで消えて行くような安らぎ。

そして、この文章を書いて、約1時間後、27番目の場所が、私の"今いる場所"であることに気づいた。それは、26選の場所を全部、飲み込んだ場所が、「今ここ」に、目の前にあることだった。 それに気づかずして、住職の元、修行している意味がない。

| | Comments (0)

June 15, 2012

利他のよろこび、日本理化学工業との出会い、仏縁

昨日、終業後のビズネス交流会で、"障害者雇用率7割のチョーク工場"で有名な日本理化学工業の方の話を聴く機会があった。そのような会社を築きあげた大山泰弘会長の書籍もあり、「働く幸せ」、「利他のすすめ」と云う題で、私は、とにかくどう云う人なのか、早速会場で買って、帰りの電車の中で読んでみた。

福祉のことを考えていた訳ではないチョーク工場の大山さんの元に、ある日、近くの養護学校の先生が訪ねて来て、生徒の就職を懇願されたと云う。大山さんは、断り続けたが、先生は何度も何度も会社を訪れ、遂に「もう就職とは申しません。でも、せめて働く体験だけでもさせて頂けませんか?あの子達はこの先、親元を離れて地方の施設に入ることになります。そうなれば一生、働くと云うことを知らずに、この世を終わってしまう人になるのです。一度だけでも、働くと云うことを経験させてやりたいんです」 とおっしゃったと云う。・・・・・・・・・。

その後、2週間の就業体験に2人の15歳の少女がやって来て、シールを貼る最も簡単な仕事だったが、ただ黙々と昼休みを忘れるほど、一心にシールを貼り続けたとのこと。2週間後、周りの従業員達が、心を打たれ、あの子達を私達が面倒みますから、雇ってあげて下さいと申し出たと云う。

働きはじめてから、どうしても云うことを聴いてくれないと、「施設に返すよ」と云うと、彼女達は泣いて嫌がった。施設にいれば、楽に過ごすことができるのに、何で辛い思いをしてまで、彼女達は働こうとするのか?、これが、大山さんには不思議でしょうがなかった。たまたま法要で訪れた禅寺の住職に、そのことを話すと、"人に役立つことの幸せ"に気づかさせて貰ったと云う。そして大山さんは、少女達が今、懸命に握り締めてる幸せを守らなければならないと思うようになったと云う。

それが、今、従業員74人中、55人が知的障害者で、日本でチョークのシェア32%の会社を作りあげた。大山泰弘会長の本の中に、「自分を去れば、強く生きられる」と、珠玉の言葉が書いてあった。

この様な縁に触れた私は、お釈迦様の手の平を感じた。私は、どこで、何をしても、お釈迦様の手の平の上にいると想った。

| | Comments (0)

June 14, 2012

品川が兄弟の聖地に、

九州の弟が、6月から東京に単身赴任になり、品川のマンションに住むことになった。毎週末、九州に帰るパターンで、住むと云う。大変だが、サラリーマンはやむなし。それでも、私は嬉しい。

同じ東京で、弟との時間が持てることになったのだ。子供時代には、私に子分・家来のようにくっついて歩いていた弟。「俺の命令に基づけ!」と私が、からかうように弟と遊んでいた。

先日、出張で東京に来た時は、品川で飲んで、一元論、二元論の話で、ケンカになり、席を立ってホテルへ帰って行ったことが、もうすっかり忘れるほど、昨日の居酒屋では、元の兄弟のまま。

昨日の昼、電話して、「今日飲むか?」、「よし品川で」で決まった。初めて、弟が住み始めたマンションも見に行った。まるで、母親か父親のように、マンションの様子を観察した。娘が大学で一人暮らしを始めた時も、同じように娘のアパートを観察した。

兄弟にしかわからないようなギャグ、言葉、内容で話しながら飲んだ。弟は、いつまでたっても、幼児に見える。からかいたくなる。そういう弟も、兄貴をからかっているのだろうと思う。そんなシーンに、母も父も、妹も姉達も加わっているように想った。

弟のマンションから、品川の近代的なインターシテイーを歩いて駅に向う時、ビルの灯りが幻想的に綺麗だった。品川は、兄弟の聖地になると想った。

| | Comments (0)

June 13, 2012

健康レポート、疲れない生き方、癒すヒント、

私は健康に関する気になった本からの抜粋を、健康に関する小さな驚きとして、毎月レポートにしている。今月の、健康に関する気づきは、規則正しい生き方のこと。

―「”疲れ易い”が治る本」(鴨下一郎著、大和書房)から抜粋―

1.バランスが崩れると疲れが溜まる。 “活動”と”休息”のバランス。「活動=通話中=交換神経。 休息=充電中=副交換神経」、の関係。
2.全力疾走で、マラソンができる人は居ない。
3. 朝起きる理由? 朝、「起される人」は、人に「させられる」人生。 朝起きる理由は、生きる理由。“困るのは自分”と気づいてから、自分の人生が始まる。
4.不規則な生活が、身体の中の自然破壊を引起こす。

― 「からだと心を癒す30のヒント」(樋田和彦著、地湧社)から抜粋-

1.病気も健康のうち、病気は、身体のバランストを回復させようとする働き。
2.風邪の効用、身体は風邪を引くことによって、重い病気になるのを防いでる。
3.心が、加熱するほど、自らストレスを作る。
4.丹田を意識する。臍の下、3cm~5 cmのところに、気を鎮めるツボがある。丹田を意識した人は、軽く押されても、倒れない。
5.重みは下に置く。 心身統一の法則、「身体の重みは常に、下に置く。
6.足は親指に、手は小指に力を込める。
7.姿勢術、頭と肩をできるだけ離す。 → 自然と腰も伸びる。

全て、禅の修行にも似たところが面白い。新しい発見。

| | Comments (0)

June 12, 2012

韓国の人々に敬愛され続ける浅川巧と云う日本人がいた

5月末の三池高校の大同窓会で会った先輩に、映画「道ー白磁の人」(高橋伴明監督)のチケットを貰った。高橋伴明監督は映画「禅」も作った人とのことで、早速、先日、見に行った。

日韓併合時代(1911年~1945年)に、1914年朝鮮に植林技術者として渡って、朝鮮をこよなく愛し、朝鮮に溶け込んで、朝鮮人に敬愛され、1930年に肺炎で40歳で亡くなった山梨県出身の日本人の実話だった。

戦争で禿山となった朝鮮の山々に、苦労の末、チョウセンゴヨウ松の大規模植林に成功する。朝鮮の山々を緑にするのが夢だった。そして今、韓国の林業研究院長は云う、「韓国の人工林の37%は、浅川先生が手がけたものです」と。

彼は、兄・浅川伯教と同じく、朝鮮の民芸品の芸術性に造詣が深く、朝鮮の白磁の美を世に紹介した。「疲れ果てた、朝鮮よ、今ある大切なものを失わなければ、近く自信に満ちた日が来るだろう。これは工芸に限ったことではない」と朝鮮文化の美を称えている。(彼は、白樺派の柳宗悦と共に、1922年京城で李朝陶器展なども開いている)

2011年11月10日、日韓合同追慕祭が披かれたと云う。林業研究院の親友・イ・チョンリムとの強い絆は、民族の対立・戦争を越えたものだった。明日、世界が滅びても、今日、彼らは木を植え続けた。彼らが植えたチョウセンゴヨウ松が、今のソールのビルの谷間に、公園に聳え立つ。

浅川が遺した日記に曰く、「自分の友であり、指導者である雀よ、鶏よ、クサヒバリよ、向日葵よ、花蓼よ、松林よ、向こうの草家よ、大地よ、蒼空よ、今日も日中暑いだろう。健闘を祈る」。 彼が、大地にじゃれつく子犬のように、朝鮮の大地に生きたことがわかる。

浅川巧と云う人がいたことを、私は縁に触れる機会を得たことを、光栄に思った。

| | Comments (0)

June 11, 2012

原発事故現場作業員の方の言葉、雑誌Big Issue6月1日号、

昨日、街中で、街頭で売られている雑誌"Big Issue"最新号を買って、電車の中でパラパラめくっていたら、原発事故現場の作業員の方(40代)の、インターヴュー記事が、実名・写真入りで載っていた。

「恐怖や不安は一切ない。"これが本当の話なんだよ"と伝えたい。」そんな見出しに、奇異に思い読み進んでみた。

「実は、親には第一で働いてるとは云っていません。富岡町のちょっとした仕事をしていると話しています。生きてる間に、地元のことを何かしらやっていきたい。いずれ10年後、20年後、障害が出たとか、そう云うことがあったとしても、その病状が今後の指針になって、何か活用されれば、それも本望。」

「事故現場だから、放射能の健康被害があって当たり前だと思っています。作業中に震度6強の地震があったらどうなっちゃうんだろうなと考えることはありますね。でも、恐怖とか不安は一切ない。何かできればいいなと思うんです。」

これだけの言葉が、ほとばしり出る人がいることに、ただただ愕然とした。珠のような、仏陀の言葉のようにも思えた。原発事故現場に、このような人がいたのだ。このような人に支えられ、人は生きている。一人ぼっちで生きてるなんて思ったら、大間違い。

会ったこともない人、会うこともない人であっても、私を支えてくれていることに気づいた。それは、哀しくなるほどの、強い懺悔と感謝であった。

| | Comments (0)

June 10, 2012

気体となって、執着に遊ぶ、風のように、

「無我」とは、目の前に立てた一本の指に、宇宙一切が凝縮して飲みこまれてしまうようなもの。

全部飲みこむから、変化しようが無い。時空は存在しない。

「無我」を知れば、執着に遊ぶことができる。

執着は、"個"があるから生まれる。

人間は固体ではない、エネルギー体。エネルギー体は、波動として宇宙一杯に広がっている。

身体を持った人間は、生き死にと云うより、固体(粒子)から気体(波動)、気体から固体へ単に転生していると云った方が科学的には正しい。

人間の生まれる前の途方もない長さ、肉体が死んでから後の、果てしない長さ、生きている間の業(執着)なんて、吹っ飛んでしまう。

目の前に立てる一本の指、「一指頭(いっしとう)の消息」、個体たる人間が、気体となって宇宙一杯に広がる。

昨日、住職の立てた一本の指には、宇宙がすっぽり飲みこまれていた。生きてもいない、死んでもいない世界が広がる。

| | Comments (0)

June 09, 2012

禅の真髄、ただ坐る、五感を越える世界、

「行った」、「行きつつある」、「まだ行っていない」。過去形、現在形、未来形、これは、五感の世界。日常の世界。

禅は、ただ、「行く」の世界。時間も空間もない世界。禅は、五感の対極にある世界。

「私」がある間、禅にはならない。

昨日、住職の坐禅会に出席した。

中国の女性の方も坐っていた。

坐禅の後、"目的を持たず、ただ坐る禅"に、この中国の女性は驚嘆していた。

"目的"は"私"がある証拠。「私」があるから、世界がざわめく。

禅は、私を消し去ること。永遠にして安らいでいる虚空世界を想う。

| | Comments (0)

June 08, 2012

B29のパイロットへの犠牲者の言葉、長岡花火物語、

終戦の年、昭和20年8月1日夜の長岡の上空に125機ものB29爆撃機が現われ、16万発余もの焼夷弾を落とし、長岡は火の海と化し、約12、000戸の家々が消失、1、480人が亡くなった。その犠牲者を弔うために長岡花火は毎年、曜日には関係なく必ず、8月2日・3日に打ち上げられる。

その空襲の夜、1歳半の赤ちゃんの女の子を背負って、炎を逃れて柿川へ入った母親。その日沢山の人が柿川でも亡くなった。灼熱の中、死んで逝った赤ちゃんの子供の命日が8月2日。そんな日に空に舞う花火。

今年3月15日、87歳で亡くなられた七里アイさんは、長岡の花火は、「嫌いらね」と、よく新潟弁で云ってらっしゃったと云う。

その彼女が晩年に、云った言葉、「飛行機からは、私達が見えなかったんです。見えなかったから戦争になったんです。でも、どんなに離れていても、見える力を私達人間は、持っているんですよ」。

この言葉に、私は神を見る想いだった。

七里アイさんも、解脱された人"妙好人"でらっしゃったんだと確信した。

| | Comments (0)

June 07, 2012

去年夏に見た長岡の花火が、昨日完結した想いに浸る、

昨日、「この空の花」と云う、長岡の花火に込められた戦争犠牲者鎮魂の映画(大林宣彦監督)を見て、やっと、私が去年8月3日に見た長岡の花火の真の意味を感じた。

1945年8月1日夜10時半、長岡の街の80%が焼け野が原となる空襲が始まった。戦後50年を経て、やっと長岡空襲の残酷な体験を語り始めた七里アイさん(87歳)は、この映画のモデルとなった人。今年2月のこの映画の試写会を見届けて永眠されたとのこと。

激しい炎から逃れようと1歳半の娘・美智子を連れて飛び込んだ先は"死の川"だった。「ブーブーブー」、美智子が爆撃機の飛行機を真似た。「ブー・・・・」その声はやがて途絶した。顔と手が真っ赤にただれていた。揺すっても目は閉じたまま、娘にできるのは、母乳を与えることだけ。返事をするように、1口だけ力なく吸い、こと切れた。気づくと爆撃機は去り、川面に無数の死体が浮いていた。

市内を流れる柿川、は信濃川の支流。私は、何も知らずに、去年その河原で、長岡の花火を見た。共同脚本の長谷川浩治氏は綴る、想像力を駆使して柿川を見ると、"水面から、少女や少年達が、焼夷弾の子弾を抱えて、空に舞い上がって行くのが見えると"。

想像力に於いて、人は他と繋がる。他との繋がりが消えた時、自分のみになった時、怒りや、哀しみや、戦争が始まる。柿川を歩くと、「やっと繋がりましたね」と誰かが囁いてくれているような気がすると、映画のパンフレットに、書いてあった。

2011年8月2日・3日の長岡の花火は、東日本震災の慰霊の特別な花火でもあった。私が去年12月に訪れた被災地、石巻でも、長岡の花火が同時に上げられたと云う。夜空に舞う、世界一の美しい花火、長岡の花火は、仏さまの花火だったのだ。

| | Comments (0)

June 06, 2012

小学2年生のナスの栽培、佐分利信と云う俳優、そんな組み合わせの夕べ

昨日、終業後、7時から10時までの短い時間に、1歳から81歳の人までの人との幅広い交流に恵まれる体験に驚いた。

ヒッポファミリークラブ(語学クラブ)では、1歳(男の子)、小学2年生(男の子)、中学1年生(女の子)が来ていて、その行動や、笑顔、発言が、私にとっては、天使のようだった。小学2年生の男の子は、学校の校庭でナスを作っている様子なども話してくれた。ナスの葉っぱにギザギザがあることなどを話してくれて、そんなことさえもウキウキする想いだった。

8時半に、ヒッポクラブを終え、地元の行きつけのジャズ喫茶へ入ると、しばらくして、二次会の流れの女性二人連れが店に入って来た。ウィスキーのお湯割りなど注文して、ガールズトーク。その二人は近くで、賑やかに話をしていたが、年齢を知って愕然、81歳と70代前半の女性とのことだった。

80代の女性が、きちっとした品のある身なりで、お化粧もして、かっこよく飲んでるのだ。その光景に、それは愕然とした。静かに、一人でコーヒーを飲んでいた私は、「佐分利信に似てますね」と云われて、私は、ちょっと、顔が赤くなる想いだった。佐分利信とは、初めて云われたが、何だか光栄に想った。

会社が終わって、ほんの数時間に、こんな、数々の人間の姿を見せて頂けようとは、やはり、人生の光景は、メルヘンのようにも想える。

| | Comments (0)

June 05, 2012

撮影現場のカチンコ(拍子木)の音、「スタート」、

映画など、撮影現場の道具で、白黒の模様のついた拍子木のようなものをカチンコと云うらしい。(英語では、"Clapperboard"と云うらしい)

ロケで、"撮影スタート"の合図に、このカチンコが鳴る。

毎朝、家を出るとき、心の中で、"撮影スタート"とつぶやき、心の中で"カチンコ"を鳴らせば好い。

気持が引き締まると思う。

そして、自信をもって自分を演じれば好い。イヤな役柄でも、名優のように演じれば好い。

演技にダレが見え、集中力が欠けると、もう一度やり直し。台詞も間違えるとやり直し。

そう思うと、自分の役柄を他人ごとのように笑える。「こんな役柄の人生かよう?」と情けなくもなったりする。「まー、演技だからいいか」と気を取り直したりも。そして自分に、「役者やなー!」と声をかけてみると楽しい。

自分の役柄を想い、また何を伝えるための名演なのか?と自問すると、やはり仏性の安らぎ。

| | Comments (0)

June 04, 2012

荒川上流、3日間、550ミリの雨で、東京は水没するリスク、

昨日、本所(押上、錦糸町)の防災館と云う消防庁の施設を初めて見学した。スカイツリーが眼前に聳える場所だったので、初めて、スカイツリーを近くで見上げる機会ともなった。

防災館の中は、災害の体験コーナーや、色々な展示が充実していて、楽しく学べる穴場だとも思った。

昨日、実は、東京の水害の危険が迫っていることを初めて知った。3日間で550ミリ以上の雨が、荒川の上流、秩父などに降ったら、荒川の堤防の決壊のリスクが高まる。今までも、3日間400ミリの豪雨は既に起きている。

成田エキスプレスの線路などの鉄道・鉄橋付近の堤防が、構造上弱点らしい。鉄道の線路の嵩上げ工事なども、堤防の補強が必要と云われる。堤防は、水が越える決壊だけではなく、数日雨が続き、水かさが増した状態が続くと、浸透決壊が起こる。水かさは堤防の高さに達しなくても、水分が堤防内部に浸透、堤防は決壊してしまう恐さがあると云う。防災館では、その実験の映像も見れる。

荒川の堤防が決壊したら、その水は、地下鉄のホーム・線路を水没、さらに、銀座・東京駅付近にも、床上浸水の高さ、あるいわ数メートルの高さの水が押し寄せる。

これは、単に、荒川上流で、3日間で550ミリの雨のリスクでも起き得ること。

市民が、殆ど知らないところで、都民の大災害を救うために、堤防補強工事を黙々と続ける国土交通省、消防関係者がいる。私は、無知で生きていることを思った。子供の時に見上げた、お父さん、おじさん達がそこにいた。

| | Comments (0)

June 03, 2012

ただ、サラサラと水の流るる、

「岩もある、木の根もあれど、サラサラと、ただサラサラと水の流るる」、昨日、住職から、過去の禅師の言葉を聴いた。

水は無心。水は無我。ただサラサラと、水の流るる情景を想う。

昨日は、ちょっと、久しぶりに住職とお会いした。

人間は、"個体"と考えてはいけない。人間は"気体"と云った方が分かりやすい。

毎日寝る時は、死と似ている。 全てを委ねないと、寝れない。無心にならないと寝れない。

死は無い、ただ転ずるだけ。

一つ一つの言葉に、修(修行)することの大事さ、証(実行・証明)することの大事さを想う。

「仏性は修せざれば表れず、証せざれば、得ること無し」、道元禅師の言葉を想う。

| | Comments (0)

June 02, 2012

写真パチ、ビー玉、六文字、泥饅頭、夕焼け、カラス、ごはーん、

幼児、小学生時代の遊び、"写真パチ"。写真の付いた名刺くらいのサイズのカード。これを地面に置いて、勢いをつけて別のパチを叩きつけて飛ばしひっくり返す。云わば、幼児のギャンブル。とにかく、パチを沢山持ってるヤツが尊敬の対象だった。パチに油を塗ったり、工夫したり、今考えれば、馬鹿じゃないのか?と思う。

"らんめんたん"、ラムネの玉のこと、都会では、ビー玉と云う。これも、並んだ玉をめがけて、別の玉を投げて命中させる技術が競われる。

簡易野球のような、"六文字"、軟らかいボールを、手や腕で打って飛ばし、ベースを回って点を稼ぐ。

泥饅頭を作って、泥饅頭どうしをぶつけて戦う。壊れた方が負け。泥饅頭の水加減の技術。今でも、良い泥饅頭を想像すると、「うふふ・・・・」と嬉しくなる。馬鹿みたい。それも、真面目な私自身だったのだ。

考えれば、色んなステージの人生のシーン。可笑しくも、メルヘンの人生。

裏山のふどさん(不動尊)の前の小さな境内、夕焼け空に、カラスが帰る頃、母の、「ごはんー」の声が聞こえる。

| | Comments (0)

June 01, 2012

紫陽花の6月、雨が似合う花、

今日から6月、もう天気予報は雨だらけ。それも、私は、全然うっとうしくはない。梅雨の季節なのだから、それで好し。雨を、カエル達のように、時に、嬉しくさえ思う。

紫陽花は、特に雨の鎌倉の寺の風情が好い。

異母兄弟の姉達にとっては、紫陽花は哀しい想い出。姉達が幼い頃、実母が病気で亡くなったのが6月だったと云う。病院から、母の遺体がリヤカーに乗せられ、帰って来た時、子供ながらの哀しみが、紫陽花の花に、凝縮されていると云う。

私の母が満洲で、引き揚げの苦難で、亡くした幼児の男の子は、6月に亡くなったと云う。夫と死別し、戦後再婚した私の母は、過去を引きずらない生き方が徹底していた。母の死後、弟から聴いた。母は、6月になると、命日にいつも仏壇に特別な供え物をしていたと云う。

色んなことに気づかなかった私。紫陽花は、私の母にとって、哀しみの花だった。

紫陽花は、哀しみの花。それを、雨が慰めて、シトシトと降る。大丈夫、大丈夫と。あの雨に映える紫陽花の美しさは、神々しいとさえ想う。

| | Comments (0)

« May 2012 | Main | July 2012 »