わが母の記、川崎はいさい映画祭、仏性の日
昨日は横浜も大雨につき、小田原の北条祭りへ初めて行ってみる計画を、やむを得ず、来年の楽しみに変更した。だが、それはその後の昨日の展開は、思いがけない神からの贈り物の日だったのだと想う。
朝、NHK連続TV小説の「カーネーション」の総集編の前半を偶然見れて、全ては見ていなかったのでとても嬉しく、TVに釘づけになった。住職の父親とそっくりだったと云う小原糸子の父親の頑固短気親父振りを、微笑ましく、鑑賞させて貰った。
その後、前日に知った「わが母の記」と云う映画を、川崎チネチッタに見に出かけた。行きつけの川崎チネチッタは、丁度、沖縄のはいさいフェステバルと云う祭りイヴェントをやっていて、屋台や模擬店が沢山出て賑やかだった。雨の中、傘もささずに、ミス沖縄が黒砂糖のキャンデイーを配ってくれていた。
わが母の記は、母親に捨てられたと思い込んで生きて来た息子が、子供時代に寂しさに耐えて公園で書いた詩を、自分も忘れていた詩を、呆けた母親が不図、口にした時、息子の心は号泣する。お母さんと行きたい世界の何処にもない海峡の詩だった。
映画の後、涙目で、チネチッタのステージに立ち止まると、石垣島出身の成底ゆう子と云う歌手の歌だった。大学進学で上京し、開放感から飲んだり遊んだりして、石垣島へ初めて夏休みで帰省した時、見たものは、懐かしい故郷の情景と、農作業に勤しむ両親の姿でした。東京へ帰る時、空港にかけつけた父が手渡したのは、土がついたお金でした。そんな歌詞の自作の歌だった。「真っ赤なデイゴの咲く小路」。行ったこともない石垣島の情景が、私には、一杯に広がった。
昨日は、雨の休日。そして、人間の持つ神々しい仏性を感じる日でもあった。
Comments