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May 31, 2012

旅の日は、朝風呂と、朝の散歩、座り込んだ畑の畦道の想い出、

旅は、沢山の小さな驚きが散りばめられて、旅の後も、時折、その情景が浮かんで来る。

先日、熊本へ旅した時の玉名の畑の中の旅館。早朝の朝風呂の後、静まり返った旅館のロビーを抜け、外へ出ると、もう草の香りと、川の土手の風景。

ゆっくりと、遠くの山々、畑、を眺めながら、畦道を歩く。

畦道は好い。とにかく好い。しゃがみこんで、目線を低くして、畦道の先を眺めると、何か"大地と、我が道"のようなものを感じて、心が安らぐ。

遠くに、子犬を連れて散歩してる人などは見えるが、周りに人影は無い。そんな時、私は、畦道に座り込んで、暫く、その大地の感触や、草の香、見える風景を楽しんだ。チョロチョロと灌漑の水の音も。畑の上空には、ピーチク・パーチクと小鳥の声が忙しかった。小鳥は、夜が明けたら、もう、その時間から働いていたのだろう。

自分と云う存在を、畑の畦道の中で感じると、昆虫も、草の葉も、土も私。

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May 30, 2012

終末糖化酸化物、"AGE"とは、

昨日、健康に関する書籍、「老けたくないなら"AGE"を減らしなさい」(牧野善二医学博士著、ソフトバンク新書)を読んで、初めて、AGE(終末糖化酸化物 Advanced Glcation End-products)と云うものの存在を知った。

タンパク質と糖質を同時に加熱することで、大量にこのAGEが発生して、身体を老化・劣化させるとのことであった。

美味しそうな焼き色が、実は活性酸素より遥かに老化を促進する元凶物質"AGE"であるとのこと。パンケーキ、食パン、焼きおにぎり、お好み焼き、・・・・、タンパク質と糖質を含む食材を同時に加熱した時に褐色になるメイラード反応、これが"AGE"を作る。ポテトチップス、フライドポテト、ハンバーガー、チキンナゲットの類は、AGE食品そのもの。

"AGE"を避けるには、糖質の摂取を極力抑えるのがコツであるとのアドバイスであった。現代人の食の問題点は、糖質の過剰摂取の害が主な原因。

また、ビタミンB群(大豆、緑黄野菜、魚介類など)やポリフェノール(お茶など)の摂取で、AGEの害を防ぐとの方法も紹介してあった。

会社の昼休み、何げなく、書店で見かけたこの本との出合いは、人生において、とても大事な出合いの一つであったかも知れない。

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May 29, 2012

良寛さんの言葉や、人生の田原坂、

昨日、深夜、比較的大きな地震で目が覚めた。暫く揺れは続いた。

それでも、別に、床から起きずに、電気もつけづ、時間も確かめなかった。床の中で、静かに想った。

良寛さんの言葉. 「災難にあう時節には災難に あうが良く候、. 死ぬる時節には死ぬるが良く候、. すなわちこれ災害を逃るる妙法にて候 。」

そして、また、ひと寝入り。

何とか、今日も生きて目が覚めたかと、あり難く想う。

今朝、先日、熊本で買った田原坂の本を、パラリとめくると、「人生の田原坂は断じて越すのです。」と著者の言葉が書き添えられていた。

「人生の田原坂」、越すに越されぬ、苦戦の戦い。そうだな、その覚悟は、鼓舞されるなーと想う。

前途ある若者、先人達を飲み込んでしまった田原坂、つい先日訪れた、花の咲き乱れる美しい丘の情景も想い出す。

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May 28, 2012

三浦一族鎮魂祭、道寸祭り、平安・鎌倉絵巻、

昨日は、初めて、三浦一族鎮魂祭・道寸祭りと云う三崎口・新井浜で行われる傘掛け(流鏑馬)に行ってみた。

横浜から1時間もすれば、こんな、気持の好い海辺の旅ができることを知った。三浦半島に約450年続いた三浦一族は弓上手で、三浦一族のお家芸だったと云う。流鏑馬はショーを目的とした神事であったが、砂浜で行う笠懸けは、実践的な弓馬術であったと云う。

初めて降り立つ三崎口、油壺行きのバスで15分、そこは、ヨットハーバーの見える、海と緑の景勝地だった。戦国・北条氏に囲まれ3年間も三浦一族が篭城した新井城の跡も散策してみた。

三浦一族は、源頼朝を支えた側近で、鎌倉時代の北条氏に一度滅ぼされ(1247年宝治合戦)、北条側に組して、かろうじて生き延びた一族が再興して、戦国時代まで続いた。そして、戦国時代の野心家・伊勢新九郎(後の北条早雲)の攻撃を受け、3年間もの新井城での篭城を経て1516年に、約450年続いた三浦一族は滅び去ったと云う。

その最後の三浦一族の棟梁、三浦道寸を偲んで、道寸祭が、毎年、5月の最終日曜日に開催されているとのこと。青い海、白い砂浜に、勇壮な騎馬武者が、弓を掲げて疾走する様は、平安・鎌倉時代の絵巻のよう。

新井浜には、民宿"ヒゲ爺の宿"など、海の家も少し並び、海鮮料理が楽しめた。油壺には、マリンパークもあり、潮観荘と云うホテルが、日帰り温泉もやっていた。ヨットが浮かぶ海を眺望する露天風呂は、また、海辺の街のメルヘンだった。京急電車の終点三崎口、三崎マグロ、岬めぐりの歌♪、など想いながら、また身近なところに別世界があったことを知った。


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May 27, 2012

三池高校・大同窓会、市ヶ谷アルカデイア2012年5月26日、

昨日は、市ヶ谷アルカデイアで開催の毎年恒例の三池高校の大同窓会に参加した。もう市ヶ谷アルカデイアは、故郷を、すぐ連想させるくらいの存在になった。

この同窓会は、妹の友達、亡くなった姉のご主人、離婚した姉の相手の子供さんなども毎年会える。同郷ならではのこと。私は、茶目っ気で、忍者シューズ(足の指が別れたシューズ)で、ワインを片手に会場を回った。

高校時代、病気で留年した私は、2学年が同期でもあり、会場では忙しい。

スクリーンには、懐かしい校歌の台詞♪。テーブルには、大牟田名産、草木饅頭も。

同窓会は、何故、参加する人のテンションが上がるのだろう?。 「私」と云う存在を、同窓の中に、客観的に見る力が、元気を与えるのだろうと思う。 同窓の顔々は、心の中にその当時の風景さえも、連れて来る。

それは、自分も、発している力。お互いに発している力。気づかない力なのだなーと思う。

同郷の同窓会は、日常の場面がパッと切り替わり、故郷の山々を眺めた時のような気持になる。

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May 26, 2012

「朝風呂や、笹の葉ずれと、鯉登り」、熊本・玉名、人生の旅、

熊本県・玉名は、福岡県に近い、西南戦争の時、薩摩軍が北上した一番北の地点・高瀬の近くであった。畑の真ん中に竹水館旅館はあった。

全国からと云っても14名の満洲・鳳城関係者が玉名に集まり、昭和33年(1958)から続くと云う鳳城会。私が参加し始めた2003年からも、毎年誰かが亡くなって行く高齢化。私のように、メンバーの子供の代、親戚の方の参加者も少し含めての会である。今参加されてる方々の大半は80前後、それでも予科練だった方々など、やはり、眼に力があり、キビキビされてるところがスゴイなーと想った。

宴会の前の記念写真、そして、再会を喜ぶ挨拶、来年また会いたいとの挨拶が恒例で、ちょっと侘しさもある。だからこそ、その宴が、心に焼きつく。今回は、地元もメンバーの方の妹さんやその知人の方々の地元民謡の舞踊も見せて貰った。ステージには、自分達が折り紙で作られた、小さな傘が敷き詰められ、あでやかな衣装で、民謡や荒城の月など、踊りを披露して頂いた。

客席で、日本酒の杯を傾けながら、私は、感慨に耽った。当時の満洲・鳳城は、終戦までは、天国のような、豊かな生活だったと聴いていた。たぶん、こんなにして、私の父も、家族も、満洲の生活を、日本の民謡などを楽しみながら、宴会もしていたことだろうと想った。その時の私は、当時の父、そのものになっているように想った。

宴会のお開きの後も、名残惜しく、夜遅くまで、部屋で話し込んだり、それでも朝6時から、朝風呂も楽しんだ。メンバーで俳句好きの方が読まれた句、「朝風呂や、笹の葉ずれと、鯉登り」。露天風呂の庭には、小さな竹が植えられ、笹の葉が揺れていた。近くに見える家には、旧暦の祝いらしく、鯉登りが棚引いていた。

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May 25, 2012

アラビスト・最首公司氏講演会、プレスセンタービル、

先日、社外の勉強会で、初めて最首公司氏の講演を聴くことができた。アラブ関係の書籍を何度か読んだことのある方で、一度お目にかかって、お話を聴きたいと思っていた人だった。1934年生まれの最首さんは、始めに、ご自分がもう父の年齢に達したことに触れ、云うべきことを云っておきたいとの境地とのことであった。

最近のエネルギー革命(シェールガス)が米国の中東へのプレゼンスを薄める流れ、その流れに応じて、イランのシーア派の台頭を怖れる湾岸王政諸国が、イスラムの教えの糸で連合の動きを強めている話(不敬罪などの復活)など、確かにと思った。

印象に残ったのは数年前(2009年)、日本からサッカーの名古屋グランパスがサウジを訪れ試合して大敗した時の、日本のサポーターの行動に、サウジ国王は痛く感動されたとのエピソードも聴いた。負けた後、日本のサポーター達は、観客席の掃除をして去った様子に、国王は感動して、その後のサウジの大祭典(ジャナトリア祭)に日本を急遽招待することにしたと云う。

出席者は、如何にもビジネスマンばかりで、色々な政治経済の話は期待してのことだっただろうけど、私には、最首さんの"限界効用逓減の法則"の紹介に、人生論として感銘を受けた。(貧乏な人には僅かな金でも有難く、金持ちには、他人から見れば大金でも、有難くない)。 「ものが貧しい方が、心は豊かになる」。

そんなことを云う最首さんが、益々好きになった。

2012年5月23日の朝・記ー

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May 24, 2012

全盲の赤ちゃんの天使の微笑、外国の動画、

数日前、ユーチューブの動画に、"母と子の奇跡のような笑顔"の動画を見た。

若い20代の米国人女性が、全盲の赤ちゃんを生んで、自らの心の変化を綴る内容だった。

周りから、何故堕胎しなかったのかと云われたり、周りから同情されたり、奇異な母子と見られたが、「どうですか、この子がクスクスと笑ってるこの笑顔。」と云って、目が潰れて無い赤ちゃんの男の子を抱いて、画面に向って、「私は世界で一番の幸せです。」と宣言するお母さん。

その強さに、私は、私を守ってくれた母親を想い出した。

障害があっても、その赤ちゃんの笑顔を見ていると、確かに、幸せの感動に包まれる。

http://www.godvine.com/Mother-s-Inspiring-Video-About-her-Blind-Baby-Boy-1484.html

ー2012年5月23日(水)朝、記ー


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May 23, 2012

九州・熊本・玉名への旅、

今日から、年休を取り2泊3日で、熊本(玉名)で開催の満洲・鳳城会に出掛ける。 西南の役の激戦地、田原坂などの見学もあると云う。

父が生きていた頃は、私は、戦争中の話など全く関心も示さず、何も父の話相手にならなかた私。

今、こうして、今頃になって、父を偲んで、父が住んだ鳳城の街の同窓会に出ていることを父が知ったら、どんなに驚くことだろう。

父が住んでいた場所は、鉄道駅前の敷島町と云うところだったらしい。今回の同窓会の出席者の方々の両親も、みんなお互いが顔馴染みだったかも知れない。

鳳皇山と云う山が聳え、街には川が流れ、戦争中の割には平和な日本人社会があったことだろう。

そんな話を聴きながら、酒を酌み交わす愉しみ。 さぞ父も加わりたかっただろうなー。そんな感慨に耽りながら、九州への旅に出る。

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行政書士の仕事の話の筈なのに、感動の涙が、

昨日は異業種勉強会で行政書士の方の話を聴いた筈なのに、何か、お釈迦様の手の平の上にいるような感動と安らぎのひとときだった。昨晩は、こんなことがあるのかと想うほど、予期せぬ話を聴いた。

行政書士の仕事は、弁護士と違って紛争ではない法務を扱うことから、「間口が広く、極めて多岐に亘り、庶民が気軽に、予防法務的に使って貰える仕事である。」とのこともわかった。そして、その講師の方の関わる業務の話が、福祉にまつわる感動的なエピソードの数々であった。

身よりのない人が病気になられた時の、成年後見の仕事。そのような人が亡くなられた時の葬式の話。お金が無い人でも、タダで入院させてくれる人道的な病院の話なども。

講師は点字の名刺が何故、安く作られているかも説明してくれた。知的障害のある方々などが、国から補助を貰っている福祉作業所で作られている様子を、自ら見て来た体験を語ってくれた。

ひたすら箱に入れる人、それをまとめる人、健常者なら1人でやれる仕事を、5~6人でやっている様子。それでも、それは、"社会に役立っていると云う生きがいなのです"とおっしゃった。非効率な仕事ですが、障害のある人にも夢と希望になっているのですとのことだった。

会場には、障害者の方を70%も雇用されてる、クレヨンの工場の方も見えていた。その方も、おっしゃっていた。就職は無理と思われていた障害者の方々が、せめて働くことをして、社会に役立つことをして死にたいと云う切なる願いがありますとの話を聴いて、私は、どっと涙が出るのを堪えた。その時、私は、お釈迦さまの手の平の上にいた。

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May 22, 2012

「実は、天国ではないか?」の思い、

昨日、通勤で歩く駅までの小路で、後ろから、父と幼児(女の子)が手を繋いで歩く会話が聞こえて来た。「えへん」と笑った、ちっちゃな女の子の安心しきった、甘えたような声が、何故か、衝撃的に、私に、私の娘の幼児の時の甘えた声を想い出させて、夢みたいな気持になった。

お父さんの3分の1くらいの背丈の小さな女の子が、自分の背丈ほどのリックを背負ってる姿自体が、もう愛くるしい。

ゆっくり歩く私のそばを、その二人の親子が通り過ごして行くのを、その後ろ姿を、うっとりとして見ながら私は歩いた。

あの何十年前の私がそこにいる。夢が、現実として、私の目の前に、現われていると思った。小路のそばの草木も、風も、全て現実。ここは、実は天国なのではと思った。

"今ここ"の中に、私は、何十年前の過去も、現実の情景のように呼び出していた。私は、気づかないうちに、実は、天国に住んでいるのではないかとさえ思った。

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May 21, 2012

インドネシア留学生と茨城の旅、120メールの大仏も、

昨日は、知り合いのインドネシアの留学生2名を連れて、茨城・大洗水族館と、牛久大仏の見学に出掛けた。水戸から乗る鹿島神宮線は、2輌編成の可愛い赤い電車で、車体に魚のアニメの絵が描かれていて、もう遊園地気分。

彼女達は、インドネシアでは、内陸出身で、魚への興味が強いのだろう。水族館では、入り口付近の展示から、もう中々動かないくらい興味を示して、同行者の私も内心、こんなに魚が面白いんだと、彼女達の見物振りを見詰めた。

アシカやイルカのショーに、大歓声。イルカが水面で立ち歩きするような場面は、確かに私も、凄いと思う。ラッコも、クリオネもマンボーも見た。

帰りに、牛久の大仏(立像)を、私も初めて見た。何と、120メートル。奈良の大仏は約15メートル。凄いスケールに改めて驚いた。目でさえも2.5メートル、鼻1.2メートル、耳10メートルなど。ブロンズの象としては世界最高と、ギネスブック認定とのこと。内部には、85メートルの高さに展望フロアがあり、遠くは筑波山なども見えた。快晴の時は、スカイツリーまでも見えるのだそうだ。

大仏の周りには、花々が咲き乱れ、池には鯉が沢山、餌を求めて、見物客のいる陸に、まさに上がらんばかりのひしめきだった。留学生達も、大喜び、沢山の記念写真を撮っていた。

彼女達が時折喋る日本語に、「人々」と云う言葉をよく使うので、私は、その度に大笑いをした。インドネシア語では、「オラン・オラン」と云うらしい。お菓子をインドネシア語で「クエ」と云うのも、参ってしまう。帰りには、「サンペイ・ジュンパー」(また会おうね)と云って別れた。"三平さんのジャンパー"と覚えて、これも可笑しかった。

そんな、想い出一杯の、茨城の旅だった。

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May 20, 2012

海外ミステリー・ツアー、

昨日は、横浜で開催のパソコンの会の総会の後の懇親会で同じテーブルに座られた年輩の女性の発言に驚いた。海外へのミステリー・ツアーに参加してヨーロッパに行って来られたとのこと。

行き先を明かさず、参加者を募る方式のツアー、"ミステリー・ツアー"は、国内では、はとバスなど聞いたような気がするが、そんな勇気のいるツアーの海外版を、ご年輩の女性が愉しそうにおっしゃる姿に、度肝を抜かれた。

何処へ連れて行かれるか、わからないツアー。私は、そんな旅はしたことはないが、考えてみれば、人生もミステリー・ツアーみたいなものかも知れないと思った。

行き先は、神に任せる。私は、ただ人生と云う旅を愉しむ。そんな境地だったら、スゴイなーと思う。

その方も、何か、旅の主催者を信頼されてるからこそ、そんな旅を楽しんでおられるのだろうと思った。

私が、過ごしている日常の、時間も空間も、初めて放り出される未知の領域、ミステリー・ツアー。

そんな旅を、目を輝かせて報告するような人生を送りたい。

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May 19, 2012

永遠に変わらない感動を求めて、日本画家・高山辰雄

今朝・早朝のNHKで、あの人に会いたいと云うNHKアルカイブの番組で、日本画家・高山辰雄(1912-2007)の放送があった。95年の生涯で、彼の絵の描き方、彼の言葉に、仏性への直感に導かれた足跡を感じた。それはまるで、禅僧の修行ような覚悟でもあった。

彼が、若い頃、読んで、救われたと云うゴーギャンの伝記。「捨てないものがある、それが生きている証」と気づいて、自分の画家の道に覚悟ができたと云う。それは、自分が何かに執着する過程で、彼が学んで行く入り口になったのではないかと思う。

心象的風景画と云われる彼の絵には、人間的な安らぎの中に何か深い心が沁み出し、それは道を渇望するかのようなエネルギーが漂っている。音の無い、雪景色の中、人の気配を感じる「白い道」。

彼は、個性と云う言葉は嫌いだったと云う。彼は、個性より、共通なものを求め続ける生き方であった。晩年、何処へ辿りつきたいかわからないが、それが確かにある。それがわかれば、自分の筆が自然にそれを追いかけることができるのに、とも云っている。永遠に変わらない感動が、きっとあるはずだと・・・。彼は、修行し続けて、95年の生涯を終えた。

彼の感じ方、言葉は、はっきりと、仏性の灯りをとらえて生きたのではないかと思った。高山辰雄を導いた灯りの耀きを、彼の絵を通して見ることができる。彼の絵は、そんな安らぎを与えてくれる気がする。


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May 18, 2012

世界最長寿の木4800年、蜘蛛の巣についての発見、

昨日、森林インストラクターの方からの話を聴き、驚いた。

木は、年輪を作って大きくなって行くが、芯の部分は死んでいるのだそうだ。中が空洞になって立ってる木をよく見かけるが、大丈夫なのだそうだ。植物は、大概、一年で死に、年輪は作らず、毎年生まれ変わって来ると。多年草と云われる植物(ネギ)などは、根を遺すとまたその根から生まれて来るとのこと。

日本の木で一番の長寿は、屋久島の大王杉3000年、縄文杉2800年、世界ではアメリカ・カルフォルニアのイガゴヨー杉(Bristle Cone Pine?) が4800年。

一番背が高くなる木は、日本では杉で58メートル、アメリカではRed Wood が110メートル、110メートルまで地下の水を汲み上げる木の力に驚嘆。 木の回りの大きさでは、日本では楠木が25メートル、世界ではマダカスカルのバルバオの木の40メートルとのことだった。

4800年生きてる木があるんだ・・・・。唯々、自然界の神秘に驚く。

そう云えば、蜘蛛は、一部例外種を除いて、殆ど蜘蛛の巣に逆さまに留まっていることも教えて貰った。その留まっている位置は、中心よりやや上寄り、何故なら、そこからさっと重力を利用してすばやく降りて行けるように逆さまにいるらしい。そして厳密にはあれは巣ではなく蜘蛛の網、網は蛋白質でできていて、使用後は、また食べるのだそうだ。

何年生きてても、気づかなかったことへの神秘。自分が生きてる世界は、私が作っているだけで、実体は、全く違うのかも知れない。

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May 17, 2012

源平合戦、平家の勝利の驚き、1183年水島の戦い、金環日食、

1183年11月17日、京を追われた平家一門が、この日、水島で源義仲軍と戦い、戦いの最中に、金環日食があり、驚いた源軍は敗走し、この期に一時、平家は勢力を盛り返したとのこと。

源平盛衰記は、「闇夜の如くなりたれば・・・」と伝えているとのこと。

金環日食と平家か。今度、5月21日に、再び、日本でも見れると云う。

落ち目の平家が、戦いに勝てたと云う史実への驚き、金環日食が平家を一時的にも助けたと云う史実が面白い。

そりゃ、源義仲軍は、驚いたろうなー。神仏の怒りにでも触れたと想ったかも知れない。

その当時、誰かが、金環日食について説明でもしたら、源平双方、ちんぷんかんぷんで、全員落第生だったろうなー。当時の貴族は賢そうに和歌でも詠んでいるが、人間も、結構、猿並みに未だに宇宙の論理からすれば、トンチンカンをやっているのかも知れない。

因みに、金環日食は英語で、"Gold Ring Solar Eclipse" と云うらしい。人間社会も、考えてみれば、滑稽で面白い。

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May 16, 2012

青春時代の動画のような、そして大自然の美、

昨日は雨、会社帰り、行きつけのJazz喫茶に顔を出した時、小説の題材になるような話を聴いた。

青春時代、憧れた初恋の男性の息子さん(ミュージシャン)のライブを、この店に時折、聴きに来る中年の女性の話だった。息子さんの姿に、好きだったお父様の面影を想い出しながら、Jazzを聴くなんて、何と豊かな人生なのだろうと想った。ライブの案内のミュージシャンの名前を見て、もしかして思い、来てみて知ったとのことだった。

そんな話を聴いてるうちに、私の思考は、日常生活に、そんな忘れかけていた大切な想い出の人のことを想った。人生には、たとえ二度と会うことはなくても、死んだ時には、自分の死亡通知を出して欲しい人はいるように思う。人生に大きな足跡を残してくれた、大切な人の遺族から、死亡通知を受け取る時、その時の辛さは何かジーンとくる。何故か、心の中には、厳しくとも大自然の美しい光景が、圧倒的に広がって行く気がする。

二度と会えない人でも、一緒に生きて来た証、何かほんわかと、優しい光に包まれているような気がする。

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May 15, 2012

「~に似たもの」、名前からの解放、個からの解放、

「~に似たもの」と、云って全てを見ていけば、ものの名前が消えて行くと、住職に教わった。

鏡を見て"私に似たもの"、時計を見て"時計に似たもの"、お酒を見て"お酒に似たもの"、・・・・、実体は何か????、

分け隔ての無い「存在」に行き尽くように思う。

ダイヤモンドも石ころも同じ。

"全てが同じ存在"になった時、それは「無我」。

「無我」は、安らいでいる。絶対的に安らいでいる。

ただ、「~に似たもの」と、つぶやいて、外界を見て行けば、空が見えて来るような気がする。それは、「色即是空」を感じるための、入り口の言葉。

「色即是空・空即是色」とは、「波は大海、大海は波」と唱えていることか。「~に似たもの」、安らぎの言葉。

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May 14, 2012

太極の道、禅の道、

昨日、午前中、住職の太極拳の指導の前の気功の会に参加した時、つい先日の5月5日、住職の太極拳の師、馮志強大師が(80代半ばで)、中国で亡くなられた話をされた。

馮大師は、云われていたと云う、「私は太極拳は極めたが、太極は、まだ入り口だ。私は、これから1000年かけてこの道を極める」と。これは、太極拳でも大成され、また僧侶である住職にはわかってもらえると、馮大師は云われた言葉であろう。

住職は馮大師が亡くなられる数日前に、馮大師の夢を見られたと云う。馮大師の太極拳の左手の力強いスーッとした運びの姿もはっきり見えたとのことだった。

住職は、天城山で、馮大師が亡くなられた報を受け、直後、混元式・太極拳の追悼演武をされたと云う。その16分間の演武は、最高の演武ができたと述懐された。(その演武は、ユー・チューブでも見れます。) http://www.youtube.com/watch?v=j0dClxZ9stQ

住職は、時空を越えて、太極拳の中に、馮先生と共にあることがわかる。二元の世界では、悲しみで溢れても、一元の世界では、びくともしない安らぎ。

太極を極める道は、禅を極める道と同じであることを感じた。

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May 13, 2012

真っ白な一日の気分、キシリトール・ガムの贈り物、

数日前の東横線・通勤電車の中、東京(神谷町)へ向う途中、綱島から80歳くらいのおばあさんが乗って来られて、私は、咄嗟に席を譲ったことがある。菊名発の電車もあり、満員電車ってことはないが、それでも席は当然全部埋まっている。

席を譲られたおばあさんは、とてもにこやかな人で、席に座った後、1分くらいして、バッグからキシリトール・ガムの小さな1箱を私にお礼にとくれた。私は、驚いたが、心よく有難うございますと頂いた。

電車が次の日吉駅に着く直前、おばあさんの前の席の人が降り、席が空いて、おばあさんは、私に座るように促してくれ、また私はすぐ座れることとなった。結局、ほんの一瞬の出来事のキシリトール・ガムの貰い得の出来事。

おばあさんにガムをお返ししても好いくらいに思ったが、あばあさんの好意でもあり、笑顔を確かめて、ガムを開封して食べ始めた。おばあさんは、「よしよし」と云っているような、優しい穏かな表情だった。

おばあさんは、田園調布で下車する時、私に、深々とお辞儀をして、電車を降りられた。私のポケットには、キシリトール・ガムが残った。キシリトール・ガムを噛むと歯が真っ白になると云う。私の、心も真っ白に磨かれる想いだった。

私が、月に2回、坐禅会で訪れる綱島、綱島から乗って来られた「ほとけ様」との数分間の遭遇だった。私の様子を見に来られた「ほとけ様」の表情が鮮明に心の中に残った。

そして真っ白なキャンバスに、新たな一日が始まった。

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May 12, 2012

通りがかりの母子の会話の安らぎ、

昨日朝、通勤で駅へ歩く小道で、後ろから歩く母と子の会話が聞こえて来た。「明日は何にち?」 →明日は12日。「明日の次は?」 →明日の次は13日。 「ヤッター、お母さんと一緒にいられる。早く明日の次になって欲しい。」

幼稚園生の女の子を送りながら、仕事へ向う母親と女の子の会話だった。

その時、私は自然に、母親の気持にもなってみたり、女の子の気持にもなってみたりした。たとえ、幼稚園とお母さんとの離れた時間がきても、大丈夫。そんな時に、母と子が一体の生きもののように感じた。

何だか圧倒的な母と子の一体感が満ちていた。

愛別離苦とか、今生の別れとか超越した自他不二の世界のような安らぎを感じた。何ものも恐くない安らぎを感じた。通りがかりの母子の会話に、そんな大袈裟なほどの安らぎを感じながら歩いた。


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May 11, 2012

チャンネルの切り替えのように、一元論の領域へ、

人間の普段の生活は、好き嫌い、損得良し悪しの、五感六識の世界にドップリ浸かって生活している。二元の世界。天国も地獄も、輪廻転生もある。

凡夫が現実に生きて行くには、二元論の中でしか生きて行けない。

だからこそ、人は修行に憧れ、苦しみの果てに、一元(自他一如)を知る。

「自」が無い世界、「自」が「全て」、「全て」が「自」。そこには、生老病死は苦しみではなくなる。生老病死は単なる四季の移ろいのように味わえる。「生ぜず滅せず」の世界。

大災害や、耐え難い苦しみには、一元を知ることなしには救済されない。住職から聴いた、渾身の教え。

全てを宇宙一杯の調和の中でとらえる思想は、二元の世界ではない。生老病死は消滅している。

日常生活でも、不図、宇宙を思い浮かべるようにすれば、確かに、永遠にして安らいでいる世界を感じることが出来る。二元の中に生きる人間が、大災難・大苦難に遭遇した時、一元のチャンネルが開かれる。

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May 10, 2012

"新型うつ"の話に驚き、

昨日深夜番組で、"新型うつ"の話を初めて知った。たまたま就寝後、深夜に目が覚め、つけっ放しで寝ていたTVで、食い入るように見てしまった。

小学生が書くような悪口ノート、周りにちょっとしたことでムカつく、批判っぽく、すぐ怒る、社会・会社に適応できなく、"うつ"を理由に会社を休職してしまう。そして、旅行や遊び、ブログなどでは活動的だと云う。

心理学者・精神科医は、これを精神的な幼さと云っていた。いい子供で育って来た家庭環境で、打たれ弱いのだそうだ。

その"新型うつの体験者"の人からのメッセージは、甘えや怠けと決め付けないで欲しいと云うことだった。

全てを人のせいにする生き方は、さぞ辛かろう。仏性(自他一如)の正反対なのだから。

同じように、全てを自分のせいにするのも辛かろう。自他の区別の中にこそ、苦しみ、悲しみが存在する。

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May 09, 2012

家光の梅、水戸浪士、西郷・勝海舟、愛宕神社の昼休み

昨日は快晴の東京、昼休み、愛宕神社境内のレストランの庭の野外テーブルで昼食をした。緑の木々に覆われた境内で、赤ワインを飲み、スパゲテイー。(昼はメニューがパスタのみ)

木々の間から空を見上げると、子供時代に、蝉取りでよく見上げた木々の枝を想い出した。当時は、木々の枝に目ざとくすぐ、蝉を見付けた。私は蝉取り名人だった。

愛宕神社は、1634年、徳川三代将軍家光が父秀忠の墓参に増上寺に行った帰り、愛宕山の梅の花に惹かれ、あの梅の枝を誰か馬でかけ上がり、持って参れと命じた時、誰もが尻込みするなかで、讃岐藩の曲木平九郎が、馬で86段・斜度40度の急階段を、駆け上がり、将軍をたいそう喜ばせたと云う逸話がある。

1860年3月24日、季節はずれの雪の早朝、水戸浪士達18人がこの愛宕山に集結し、一気に桜田門へ向い井伊大老を討ち果たした逸話もある。

1868年12月池上本門寺や三田薩摩屋敷で、西郷隆盛・勝海舟が会談し、一緒に愛宕山(標高26メートル)に登り、江戸の街を眺め、江戸を火の海にするのは止めようと、江戸城の無血開城を決めたと云う。

その愛宕山の山頂のカフェテラスで、私はワインを飲んで、木々の緑を愛でている。家光公や水戸藩士、勝と西郷と、その時々の場面を想像しながら、その表情までも浮かんで来る。「ワインなんか飲んで、お前は、何をしとるんじゃ、」と一喝されてしまった。ぺこっと頭を下げる想いだった。

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May 08, 2012

泣き笑いの凄さ、

昨日、帰宅してニュースを見ていたら、5月6日の茨城県の竜巻で、公営住宅住まいの、福島・波江町からの被災者の方がインタービューに答えておられた。

震災・津波・原発事故から、やっと逃れて、住み始めた茨城の公営住宅が、今度は竜巻で、目茶目茶な被害に合われて、瓦礫を処理されてる主婦の方のシーンだった。

深刻な顔で涙ながらに話した後、何と、泣き笑いのような顔になられて、「やるしきゃないですね」と云われた言葉に、救われた。

試練に泣き、試練に苦しみ、それでも、何だそりゃと笑って見せる・・・・。

泣き笑いの凄さ、ただただ、凄いと思う。

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May 07, 2012

また、タゴールの詩との出会い

昨日、二日連続の大掃除を夕方までに無事済ませ、入浴し疲れを癒し、リラックスして、近所の行きつけのジャズ喫茶に出かけた。

ママさんと世間話をしていると、最近出た幻冬舎の新刊の話を聴いた。ママさんが娘さんに薦められて読み始めた本、"木村秋則さんの林檎"の本だった。無農薬で林檎を育てた奇跡の林檎の話は以前TV放送で見たことがあった。

本を直に、パラッとめくってみると、出だしに、何とタゴールの詩が書いてあった。

「人生と云う戦場で味方を捜すのではなく、自分自身の力を見出せますように、」

「不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取るために、耐える心を願えますように」

「成功の中に貴方の恵みを感じるような卑怯者ではなく、失意の時にこそ貴方の御手に握られていることに気づきますように」

思い掛けない時に、タゴールの詩が、時折、私の目の前に現われる。私は、縁に於いて励まされている。

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May 06, 2012

掃除も小さな驚きだらけ、自分の生きかたさえ見える、

昨日は、天気に恵まれ、一日中、自分の書庫兼倉庫の整理・掃除をした。疲れて、早くから寝た。たまに、自分の持ち物を整理するのは、自分史を見るようで、小さな驚きが沢山あった。

旅行のパンフレットも、映画のパンフレットも、写真も、そのころ読んだ本も、倉庫には、忘れ掛けていた自分を発見出来る。そうだったんだと、私自身が、懐かしい。

残すべきもの、捨てるべきもの、そして、どう生きて行くべきかを、書庫の掃除は教えてくれる。

今朝、早朝のNHKのこころの時代は、愛知尼僧堂の青山俊薫師の話であった。番組の最後に、尼僧堂の門に書かれていた言葉が、丁度、今の私には励ましとなった。「人生はやり直すことはできないが、見直し、出直しは出来る。」

今日も、更に、掃除をして、自分の人生を見直し、出直そうかと思う。

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May 05, 2012

妹と人生の散歩道、満洲の会・昼食

昨日、銀座で満洲・鳳城会の東京のメンバー数人で昼食会があり、小田原の妹も呼び出して、参加した。

父が住んだ鳳城(大連から車で4時間)に住んだ人達の同窓会、私も妹も、戦後生まれだから、満洲は知らないが、父の満洲での生活を知る貴重な手がかり。引き揚げまでの地獄の苦しみの逃避行のことは、父の手記に残っているが、終戦までは、鳳城は"桃源郷"のように素晴らしいところだったと聴いて、少し慰められた。

想い出話は、何となくの記憶を辿るもので、子供ながらリヤカーを引いていると、日本の兵隊さんがリヤカーの下を目掛けて、滑り込んで来て、思わず笑うと、「馬鹿者!」と叱れたとか、兵隊さんは、戦車目掛けて体当たり攻撃の訓練をしたのだとか。 また馬車社会であった街の様子など聴いていると、街の情景さえ浮かんで来た。

会食の後、妹と二人、銀座から丸の内まで歩いた。妹は東京駅さえ驚いていた。新装丸ビルの2つの棟も案内した。幼児時代には、いつも一緒だった妹と、銀座・丸の内を歩くか・・・・、これも人生の散歩道。両親も、兄妹が銀座・丸の内を二人歩く姿を、天から微笑ましく眺めたことだろう。

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May 04, 2012

わが母の記、川崎はいさい映画祭、仏性の日

昨日は横浜も大雨につき、小田原の北条祭りへ初めて行ってみる計画を、やむを得ず、来年の楽しみに変更した。だが、それはその後の昨日の展開は、思いがけない神からの贈り物の日だったのだと想う。

朝、NHK連続TV小説の「カーネーション」の総集編の前半を偶然見れて、全ては見ていなかったのでとても嬉しく、TVに釘づけになった。住職の父親とそっくりだったと云う小原糸子の父親の頑固短気親父振りを、微笑ましく、鑑賞させて貰った。

その後、前日に知った「わが母の記」と云う映画を、川崎チネチッタに見に出かけた。行きつけの川崎チネチッタは、丁度、沖縄のはいさいフェステバルと云う祭りイヴェントをやっていて、屋台や模擬店が沢山出て賑やかだった。雨の中、傘もささずに、ミス沖縄が黒砂糖のキャンデイーを配ってくれていた。

わが母の記は、母親に捨てられたと思い込んで生きて来た息子が、子供時代に寂しさに耐えて公園で書いた詩を、自分も忘れていた詩を、呆けた母親が不図、口にした時、息子の心は号泣する。お母さんと行きたい世界の何処にもない海峡の詩だった。

映画の後、涙目で、チネチッタのステージに立ち止まると、石垣島出身の成底ゆう子と云う歌手の歌だった。大学進学で上京し、開放感から飲んだり遊んだりして、石垣島へ初めて夏休みで帰省した時、見たものは、懐かしい故郷の情景と、農作業に勤しむ両親の姿でした。東京へ帰る時、空港にかけつけた父が手渡したのは、土がついたお金でした。そんな歌詞の自作の歌だった。「真っ赤なデイゴの咲く小路」。行ったこともない石垣島の情景が、私には、一杯に広がった。

昨日は、雨の休日。そして、人間の持つ神々しい仏性を感じる日でもあった。

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May 03, 2012

昇る夕日、沈む朝日、横浜は大雨の朝

「夕日が昇る、朝日が沈む」、こんな表現を、数日前の伊豆・天城山からの帰りに思い付いた。

沈む夕日の先を見る。昇る朝日の先を見る。そんな境地。

そして、それは、四季にも似た、味わいのある移ろいであることに気づく。

「朝日に元気を、夕日に寂しさを」では、単純過ぎて、修行の跡が見えない。

朝日でも、夕日でも、見えるものに囚われず自在に、楽しめることが、道を極めることではないかと想う。

今朝は横浜は大雨。朝日も夕日も見えないくらいの大雨の日。それでも、朝日も夕日も見える気がする。雨も、自然の時折の素晴らしい演出。

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May 02, 2012

私の直筆の感謝状を贈る境地、

昨日は、連休の合間の出勤日で、リラックスして仕事出来た。早目に帰宅、休息していると、TVから、感謝状と云う歌(歌手、島津亜矢)が流れて来た。

そう云えば、自筆の感謝状を贈るなんて、素晴らしい境地だなーと憧れた。

亡くなった母へ:「貴方は、この私に人間として生まれて来る幸せを与えてくれました。ただそれだけで、もう何も、それ以上は、望むことは無いくらいの恩恵です。」

亡くなった父へ:「目立つことなく、かげで、一杯、私を愛していてくれて、気づかずにゴメンなさい。じっと見ていてくれて有難う。」

兄弟姉妹へ:「頑張るエネルギーを一杯くれて、まるで応援団をやってくれて、何度救われたことか。心から有難う。」

親しい人へ、「私の目の前に現われてくれて有難う。私の人生の目撃者になってくれて、一人で生きて来たんじゃないことを、実感させてくれて有難う。」

「ここに、永遠の感謝を込めて、感謝状を贈ります。」、私の直筆の感謝状を、何枚も何枚も書いて行く人生を送りたい。

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May 01, 2012

天城、菜の花の歌、

連休始めの28日、29日と天城も快晴に恵まれ、絶好の布団干し日和となった。禅堂の屋根には、約30枚の布団が並んだ。物干し竿にも、一杯の洗濯物。畑の回りに鹿よけ網を吊るした竹の囲いにも、沢山の毛布類を干した。

のどかな春の日、豆桜の花びらに蜂が舞い、もくれんが禅堂の清楚な佇まいを引き立たせていた。

住職をいれて8名、それぞれの作務に勤しんだ。日中は作務、朝夕は坐禅。励ますのは、ホーホケキョとしきりに、こだまする森の応援団達。可愛らしい応援団達、早朝から日没まで、ホーホケキョの曲を演奏し続けてくれて。

禅堂前には、鹿よけの網に囲まれた小さな畑があり、鮮やかな黄の菜の花や、大根、小松菜などが生育して、安らぎを与えてくれていた。住職は、大根の葉を、さっと塩でしめて食べさせてくれた。その美味しかったこと。

近くの林には、竹の子が出ていて、私は、初めて竹の子掘りもやってみた。地面に微かに出ている竹の子の先端。その先端のちょっと傾いた向きの方は、竹の根が無く、掘り易いことも体験した。

野生の鹿が、ドンドン食べに来るのだそうだ。イノシシも竹の子を鼻で掘り起して食べるのだそうだ。その日は、我々が、鹿になったつもりで、竹の子を食べてみた。生の竹の子を食べると、まるで自然を食べてるようで、山を食べてるようで、自然の一部である自分を懐かしく想い出すような体験だった。

帰る日の30日の昼、天城山には雨が降った。住職にバス停まで、送って貰う車の中、天城の山々も、雨ですっかり洗われて、みずみずしく見えた。掃除が済んだ天城山。私も、天城山。

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