柱時計の音、 太宰治と小田原・曽我の縁など、
昨日、地元の白楽・六角橋商店街のコーヒー文明と云う喫茶店に入ってみたら、丁度、柱時計が、ボーン、ボーンと時を知らせるタイミングに出くわした。
何十年振りだろう、柱時計の音を聴くのは・・・・・・・。
九州の実家にあった、柱時計。もう、今はない。私が、育った時を刻んだ柱時計。チックタック、チックタックと、柱時計の振り子も揺れている。子供時代に見た時のように。
店内には、天井に数本の早咲きの桜の枝を飾り、コヒーの香ばしい香りが漂う。暫く、我の原点を想った。
店を出ると、狭い路地の向いは、"魚利"さんと云う鮮魚屋さん、通りかかりの家族連れの男の子が、おじちゃんと声をかけて、如何にも、古い商店街の風情。店頭には梅干も売ってあり、何故か太宰治の新聞記事のコピーがビニイルに入れて飾ってあった。ご主人は、小田原の曽我の出身で、今年80歳、太宰治と心中した太田静子さんも曽我出身で、娘の太田治子さん(作家)を、子供時代に地元で、よく見かけて遊んでやったとの縁らしい。太宰は斜陽の中で、曽我は、夢のように美しい場所だったと描いていると云う。私は、今年見た曽我の梅林の光景を想い出した。
狭い路地裏、たった1.5メートル程度の路地の両脇に建ち並ぶ風情ある商店街に、柱時計・太宰治と出会ったことが、思い掛けない、心地よい驚きであった。
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