朝ドラ、「カーネーション」、住職、母、妹
朝の連続TV小説は、亡き母のお気に入り番組だった。時に、涙しながら見ていた。
今放送中の「カーネーション」は、住職が、生まれ育った場所、その頃のことが、余りにもよく再現されていて、住職は、毎朝、見ているとおっしゃって以来、私も見るようになった。当時、食べていたお茶碗や、家の障子など家具、だんじり祭り、父親の頑固で恐かったことなど、みんな当時の懐かしさが一杯なのだとおっしゃる。
母も生きていたら、必ず見て、泣いていたであろう「カーネーション」。今、小田原の妹も、今、毎日見ていると云う。私も、その時間には、決して妹に電話はしないことにしている。私も、「カーネーション」を見てから出勤するようになった。カーネーションが始まる時の音楽を聴くと、住職や、母や妹が浮かんで来る。
昨日、小原糸子が92歳で亡くなった。亡くなる前に、「何でもかんでも、綺麗に見えるようになってしもうた。」と、糸子が云った台詞が印象に残る。 自分への力み、執着が薄れて行く時、人は、外界の美しさを際だって感じるのではないかと想う。全てが、キラキラ輝いているのに、気づかないで生きることの、如何に多いことかと想う。
「カーネーション」は、住職と母と妹と、心の中で、一同にお茶する時間。番組終了が名残惜しい。