« February 2012 | Main | April 2012 »

March 31, 2012

朝ドラ、「カーネーション」、住職、母、妹

朝の連続TV小説は、亡き母のお気に入り番組だった。時に、涙しながら見ていた。

今放送中の「カーネーション」は、住職が、生まれ育った場所、その頃のことが、余りにもよく再現されていて、住職は、毎朝、見ているとおっしゃって以来、私も見るようになった。当時、食べていたお茶碗や、家の障子など家具、だんじり祭り、父親の頑固で恐かったことなど、みんな当時の懐かしさが一杯なのだとおっしゃる。

母も生きていたら、必ず見て、泣いていたであろう「カーネーション」。今、小田原の妹も、今、毎日見ていると云う。私も、その時間には、決して妹に電話はしないことにしている。私も、「カーネーション」を見てから出勤するようになった。カーネーションが始まる時の音楽を聴くと、住職や、母や妹が浮かんで来る。

昨日、小原糸子が92歳で亡くなった。亡くなる前に、「何でもかんでも、綺麗に見えるようになってしもうた。」と、糸子が云った台詞が印象に残る。 自分への力み、執着が薄れて行く時、人は、外界の美しさを際だって感じるのではないかと想う。全てが、キラキラ輝いているのに、気づかないで生きることの、如何に多いことかと想う。

「カーネーション」は、住職と母と妹と、心の中で、一同にお茶する時間。番組終了が名残惜しい。

| | Comments (0)

March 30, 2012

珠玉の言葉、師の言葉、両親の言葉、

昨日、長く書棚に置いてあった満洲・鳳城会の方の戦争体験記を読み返していた。不図、作者の高木幹夫さんが新人教師であられた頃、教室に飾るために、お父様に書いて貰ったと云う言葉に、暫く、釘づけになるくらい、感動にふるえた。

「憂きことの、尚、この上に積もれかし、限りある身の、力試さん」

儒学者・中江藤樹の弟子・熊沢蕃山の言葉だと云う。「憂きことよ、積もれ積もれ、ドンドンと、私は、それに決して負けはしないのだから」、こんな言葉が、誰に吐けようか。私は、咄嗟に母を想った、住職を想った、父を想った。

自分に艱難辛苦が押し寄せるのを歓迎しているのだ、何でも来いと。悲しみさえも、苦しみさえも、楽しもうとさえしているこの強さは何だと驚嘆する。泣けて来るほどの神々しい強さ。住職が、日頃教えてくれる強さは、この強さなのだ。

蕃山は、貧しい農村に生まれ、子供の頃から野菜の行商をしながら、二つ山を越した中江藤樹のもとへ頻繁に行き、身分が卑しいが故に、庭で武士達への講義を聴かせて貰って学んだと云う。来るのに、二つも山を越しては大変なので、藤樹が、うちの馬小屋に住まぬかと促すと、働いたあと、二つ山を越えてお話を聴きに来ると云うのが、私の学びの励みになりますのでと、答えたと云う。

満洲は、私の両親の人生が詰った場所、満洲で生まれた高木さんが、私に贈ってくれた、珠玉の言葉。それは私の師、住職の言葉、母の言葉、父の言葉。百万の友を得たように、生きる力が、湧いて来る。

| | Comments (0)

March 29, 2012

原発・イラン・シェールガスの刺激、そして友人の社長昇格記事、

昨日、終業後、異業種勉強会とその後の懇親会で、好い刺激を受けた。

先ず原発問題で意見の違う人と隣合わせて、意見を述べあったこと。ケンカ腰な議論をせず、お互いの大人振りを誇らしく思った。日本は、原発に関する議論が真っ二つ。国民としても、今回は、真剣に、どう選択するか、深く考える機会だと思う。私も、最近、よく原発問題を、人生のこととして、真剣に考える。

イラン問題に関して、米国の"Foreign Affairs"誌の、イラン核阻止の為のイラン攻撃の真剣味を紹介され、ハッと私に、現実感覚を取り戻させてくれた。核の蔓延は、どこかで、なりふりかまわず、阻止しなければならない時が来る。そう云えば、今年は大統領選挙の年だなーと思った。

技術革新によるシェールガス(非在来型天然ガス)の米国に於ける大生産は、徐々に米国の中東政策を変え(手を引く)て行くのではないかと云う見方に、刺激を受けた。

ビジネスマンが、夫々の立場で、考えていることを熱っぽく語る姿に、私は、サラリーマンも、なかなか、大したものだと頼もしく感じた。そう云えば、昨日の日経朝刊に、私の大学時代の親しい友人が、ある上場企業の社長になる記事が出ていて、同期の友人が電話連絡網で知らせてくれた。早速、お祝いのメールを入れ、私も、関連ある友人に一斉にメールで知らせ、友人の快挙を祝った。

見る画面によって、人生は、如何様にも見えて来る。昨日はちょっとビジネスに偏り過ぎたかなとも思うが、自分で、バランスを取って何を見るか、それが大事なことかとも思う。見えてる光景に流されず、私は周りで起きることを、森羅万象を、大自然の営みとして見ていきたい。


| | Comments (0)

March 28, 2012

久しぶりの歯医者さん、朝の虎ノ門の光景、

昨日、朝、通勤途上、会社近くの虎ノ門の歯科医院に立ち寄り、歯の治療を受けた。ちょっと、奥歯に虫歯の初期症状を見つけ、久しぶりの歯科医院となった。その歯科医院は、インターネットで調べて、地図を見ながら、初めて行ってみると、何と、私が、以前起業していた頃、よく出入りした、貿易商の知人のオフィスが入っている同じビルでもあって驚いた。

快晴の日の朝、歯科医院の、窓から朝日が一杯差し込む部屋で、診察の椅子に座り、治療を受けていると、何だか、遠い昔の日々を想い出した。

アブダビで、親子3人で、小学1年生だった娘を連れて、アラブの歯科医に行き、娘の虫歯の治療を受けたことを想い出した。治療を恐がる娘に、泣かなかったら、おもちゃを買ってあげるとか云って、両親で待ち合い室で待ったこと。治療の後、おもちゃの店、トイザラスへ行き、おもちゃを買ったことも。

私も、大した治療でもなかったのに、治療の後、何か誇らしい気持になり、意気揚々と、歩いて会社へ向った。愛宕の青松寺の前で、マンダラ手帳考案者の松村先生ご夫婦が散歩中だったようで、偶然に、久しぶりでお会いし、にこやかに、立ち話をした。去年、松村先生の仏教の研究の講演を聴き、大変驚いた。

青松寺には、いつも門に、道元禅師の歌が飾られている。今度、4月8日には、釈迦生誕祭が行われ、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」などの朗読劇も行われると云う。

私が勤務する会社のビルに着くと、見慣れた掃除のおじさんが、黙々と朝からビルの玄関付近を、掃除していた。朝から晩まで、彼は、見掛けると、いつも、黙々と、黙々と掃除している。まるで、禅寺の作務(さむ)のように。

出勤前の全ての光景が、輝いて見えた。私は、仏性のかけらを、日常に見ながら生きる。

| | Comments (0)

March 27, 2012

全てを亡き母へ報告、亡き父へ報告、そんな生き方は安らぎ、

私が、九州から、大学進学で上京した時、日吉での下宿の生活、大学の生活など、もし両親にもっと報告していたら、両親は、さぞ嬉しかったことだろうと今頃になって思う。

それで、今、毎日の出来事を、心の中で、亡き両親に話していると想像すると、何故か、心が安まる。

私の喜びも悲しみも、全ては両親の大きな懐の中に抱かれる。両親は、私が、話してくれることが嬉しいと感じることだろう。

満洲の凄い過酷な体験を経た両親は、微笑んで、私の日々の出来事を、心安らかに聴くだろう。穏かな日々の安らぎの幸せに浸りながら、私の悩みに耳を傾けるだろう。

ありがとう。今でも、ずーと、いつも私を見守ってくれて。

私も、懐の大きい、いつも誰かを見守る人になりたい。 そんな私の姿に、両親は、また微笑むことだろう。その光景の広がりを、仏性と云うのだろう。

| | Comments (0)

March 26, 2012

琵琶・敦盛、そして江ノ島から見る富士、

昨日は、晴れの日に、鎌倉・腰越のサロンで披かれた薩摩琵琶の敦盛、壇ノ浦を聴きに出掛けた。奈良在住の臨済宗の僧、関川鶴祐さんの琵琶と琴、先日頂いた案内に、心が動いた。

平敦盛は、16歳の若さで一の谷に出陣し、源氏の武将・熊谷次郎直実に討たれた。その潔い最後に敵・味方に涙を流さぬ者は無かったと平家物語は伝える。熊谷は、この出会いによって人生の無常を悟り、その後、法然上人の門に入り、"蓮生"と名のって、敦盛の供養にその生涯を捧げたと伝える。

琵琶の音に、「涙ながらにふりあげし、太刀にあわれや、磯千鳥、鳴くも悲しき、須磨の浦」、琵琶法師の声が伝える。一期一会。

敦盛も熊谷も須磨の浦も、全て私。討つ人も、討たれる人も、須磨の海も、今では調和して、無常を越えて、無我を語って耀いていることだろう。

最近娘が転勤した神戸を、訪ねて行く時に、須磨の海を是非訪れたいと想う。

昨日は風も強く、視界がよく、江ノ島から見る富士が、麓まで真っ白に雪を頂いた富士が、大きく眼前に迫るほど見えた。海岸に打ち寄せる波と、大きく迫る富士、眼前に、正に、東映の時代劇のシーンのように思えて、江ノ島の橋の上で、暫く立ち止まって眺めた。人生は、凄いと想う。映画でみたシーンが、今、本物のシーンが私の眼前に現われたのだから。

| | Comments (0)

March 25, 2012

柱時計の音、 太宰治と小田原・曽我の縁など、

昨日、地元の白楽・六角橋商店街のコーヒー文明と云う喫茶店に入ってみたら、丁度、柱時計が、ボーン、ボーンと時を知らせるタイミングに出くわした。

何十年振りだろう、柱時計の音を聴くのは・・・・・・・。

九州の実家にあった、柱時計。もう、今はない。私が、育った時を刻んだ柱時計。チックタック、チックタックと、柱時計の振り子も揺れている。子供時代に見た時のように。

店内には、天井に数本の早咲きの桜の枝を飾り、コヒーの香ばしい香りが漂う。暫く、我の原点を想った。

店を出ると、狭い路地の向いは、"魚利"さんと云う鮮魚屋さん、通りかかりの家族連れの男の子が、おじちゃんと声をかけて、如何にも、古い商店街の風情。店頭には梅干も売ってあり、何故か太宰治の新聞記事のコピーがビニイルに入れて飾ってあった。ご主人は、小田原の曽我の出身で、今年80歳、太宰治と心中した太田静子さんも曽我出身で、娘の太田治子さん(作家)を、子供時代に地元で、よく見かけて遊んでやったとの縁らしい。太宰は斜陽の中で、曽我は、夢のように美しい場所だったと描いていると云う。私は、今年見た曽我の梅林の光景を想い出した。

狭い路地裏、たった1.5メートル程度の路地の両脇に建ち並ぶ風情ある商店街に、柱時計・太宰治と出会ったことが、思い掛けない、心地よい驚きであった。

| | Comments (0)

March 24, 2012

米国型エンターテインメント・ブルーマン鑑賞

六本木のブルーマン・シアターの公演も今月末で終了と聞き、好奇心から、何とか、見に行きたいと思っていた。ハトバスの観劇コースにも組み入れられるほどの人気って、何なのだろうと思っていた。

ずっと満席で、キャンセルチケット1枚が出て、たまたま昨日行くことができた。会場は若者が一杯、開演前から、熱気があり、何となく米国のエンターテインメントっぽいムード一杯。スゴイ音響、大掛かりな舞台装置、青くペイントした3人の米国人の青年が、音楽・太鼓を交えたパフォーマンス。観客席に、しょっちゅう出入りしながら、観客と一体化して行く。

決して笑わず、ニコリともせず、真顔で、観客をネタに、お笑いを交え盛り上げる。インターネット時代の風刺を交えて、人間の滑稽さもネタにする。生物のDNAを模した、長い白い紙を会場一杯に観客の上に垂れ流したり、大きな風船を観客の上に飛ばせて、観客に遊ばせたり、何か、人間の原始的な遺伝子を刺激するかのような、パフォーマンス。

何年か前、ヒューストンへ出張した時に、見たバスケットの試合(ヒューストンロケット)の時、屋内に気球を飛ばす、米国的な大胆な演出に度肝を抜かれたことがあった。昨日、ちょっと、その"アメリカ"的な雰囲気と、久しぶりに再会した想いだった。あの頃の私、アタッシュケースに書類を詰めて、海外出張に奔走し、外人に会うのが楽しくてしかたなかった。行く先々で聴いたジャズの響きが脳裏に流れる。

| | Comments (0)

March 23, 2012

一粒の米、残ったご飯粒を食べる姿、

ご飯粒を、一粒残らず、食べる姿が、人間の謙虚さを表していて、私はとても好きだ。

「お百姓さんが、一所懸命に作ったお米は、勿体なくて、一粒残らず食べないといけない」

子供の頃から、日本人に教えられて来たことだと想う。

ご飯の釜・おひつ・茶碗などに残った数粒の米、あるいわ、テーブルの脇や、自分の膝の上に落ちた一粒の米を食べる姿は、その人が崇高に見える。

私は、何故か、そのような仕草の母の姿を想い出す。

謙虚さ、強さ、そして、一番の優しさも表してくれているように想う。

| | Comments (0)

March 22, 2012

アラブに浸る日、

昨日は、私の人生で、サラリーマンの全盛時代、アラブ時代を、想い出し、ちょっと、心地好い感傷に耽った。

会社の昼休み、六本木ミッドタウンのガレリアの地下アトリウムで開催中のクウェート文化展示会へ行き、アラビックコーヒーを飲んだ時、昔、アブダビ駐在時代、毎日のように通っていたアブダビ国営石油で、いつもご馳走になっていたアラビックコーヒーを想い出した。若い、バリバリの熱血ビジネスマンだった頃の私。アラブでの仕事が、創造的な芸術をのように愉しかったなーと想い出す。

夜は、イイノホールで開催の、クウェート国立民俗楽団の公演を楽しんだ。20人くらいのクウェート人男性のパーカッション、歌、素朴なアラブっぽい踊りなど、懐かしいアラブのリズム。私が、初めてアラブへ駐在して感じた、最初の頃の、異文化の感動を呼び起こしてくれた。

来日中のクウェートの首長(3月20日ー23日滞在)は、昨日午前中、天皇皇后両陛下と無事会談されたとのこと。今日は、野田総理との会談もある予定と聴いている。街は、迎賓館、霞ヶ関界隈の道路には、クウェートの国旗が飾ってあった。

思えば、私はアラブを知り、私の世界観・人生観は大きく変わった。私が転職する時、救ってくれたのもアラブだった。アラブの伝統音楽を聴きながら、アラブとの縁に、出会いに、改めて感謝の念が湧いて来た。

今日も、また、昨日のように、アラビックコーヒーを飲み、アラブ音楽を聴きたいと想う。

| | Comments (0)

March 21, 2012

本来「想定外」が自然と云う気づき、

昨日はヒッポファミリークラブの行事で、オリンピック青少年センターに、生命科学の研究者・中村桂子氏の講演を聴きに出掛けた。

人間の構築物は、何らかの想定の上に作られるが、自然は、もともと人間には思いがけなく動くもの、想定外に動くもの。人間が自然の外にいると想って、想定外と云う言葉を使うが、人間も自然の一部。想定外と云う言葉は、人間の傲慢の象徴。

地球上には、何種類の生きものがいるか、科学はまだつき止めていない。150万種くらいは文献で云われているが現実には、遥かに多くの生きものがいると想像される。例えば、熱帯雨林の1本の木に生きてる生物を調べてみると、現時点で人間が知っているのは、何とたったの3%くらい。 知らない生物が97%もいると云う凄さ。

機械は組み立てられるが、一個の小さな生物でさえ、人間の力で組み立てることはできない。

あらためて、崇高な自然の営みの中に、小さく存在する人類のことを想う。ちっぽけな人間であればあるほど、大安心の、自然の力に身を委ねたい気持になる。

| | Comments (0)

March 20, 2012

再び魚で満ち満ちた海、仏性を見る想い

一昨日講演を聴いた気仙沼の牡蠣養殖業の環境活動家、畠山重篤氏は、「森は海の恋人」と云う著作も出した方で、最近国連で、世界で5人の 「フォレスト・ヒーロー」として表彰された方だった。

私は、彼が云った言葉に救われる想いだった。

畠山氏は、チリ地震の時の津波も経験したそうです。津波の後、牡蠣は例年よりよく育ったとのことでした。そして、今回の震災の後、一時海岸にはフナムシさえいなくなり、みんな死んでしまったかと思ったら、「今では三陸の海は、魚で満ち満ちています」と。

彼が云った言葉に、自然の凄さに、ただ、ただ、合掌する想いで、胸が熱くなった。


| | Comments (0)

March 19, 2012

黄砂の恵み、アムール川の恵み、三陸海岸の大漁場へと注ぐ

昨日は、パシフィコ横浜で開催されたミキ健康セミナーで、宮城の牡蠣養殖業の環境運動家・畠山重篤さんの話を聴き、禅に通じる深い気づきに絶句する想いだった。

畠山さんは、「森は海の恋人」と云う本も書かれ、最近国連のフォレスト・ヒーローと云う世界で5人の栄誉を受けられた方である。牡蠣養殖の漁師であって、漁師の森を作られたり、森が豊かな漁場を造ることを、実践されて来た。
森林の栄養素が川に流れ込んで、プランクトンを育て、それで魚達が育つ。16本の川が流れ込む東京湾は、鹿児島湾と同じ面積であるが、東京湾は鹿児島湾の30倍の魚が採れるとのことを聴いてびっくりした。鹿児島湾は、火山が生み出した湾で、海は綺麗だが、東京湾とは栄養素が全く違うとのことだった。

黄砂は、日本に飛散する時、一緒に、大切な栄養素・鉄分を運んで来てくれるとのことにも私は唖然とし、自分の今までの偏った見方を恥じた。

また中露国境のアムール河は4500キロあり、その周りの森林面積は日本の国土の5倍の広さ、広大な湿地帯もある。その広大な、アムール河沿いの森から流れ出した鉄分(フルボサン鉄)は、魚介類のエサのプランクトンを大量に生み出す。その大自然の栄養分が、オホーツク海を越えて、三陸海岸の大漁場を造る源にもなっているのだと聴いた。男鹿半島の北の漁場で、日本の漁獲高の半分以上は採れるのだと云う。

中国の黄砂と、ロシアのアムール河の森林・湿地帯の恵みに、日本は、こんなに潤って生きて来たのに、自分一人で頑張って生きて来たと想っている。全てが繋がって、優しく包まれて、安らぎの世界に導かれた。気づかなくて、ごめんなさいと、自分の無知を恥じた。そして、全ての存在が繋がっていると云う、「増上縁」のことを想い出した。

| | Comments (0)

March 18, 2012

雨の中、谷中・根津・千駄木散策、谷中の"笠森お仙"

昨日は、雨の中、港区国際交流協会主催の、谷中・根津・千駄木を歩くツアーに参加した。朝10時には、日暮里駅に約40名が集合。早速、協会のガイドさんの案内で、傘をさして、谷中霊園・天王寺・徳川慶喜の墓、五重塔跡、寛永寺、谷中銀座など散策した。

雨の中、傘をさして散策するのも、寧ろ私は、一つの味わいとして愉しむ。雨の谷中も、しっとりとして好い。

谷中銀座では、総菜屋さんの店の軒下で雨を避け、椅子代わりに置いてあるビールケースに腰をおろし、コロッケを一つ食べ、日本酒を一杯。通りを行き交う人々を眺めた。

彰義隊が立て篭った経王寺の門に残る官軍の鉄砲の弾跡を触り、明治維新の頃を偲んだ。江戸の月見の名所であった本行寺は、別名・月見寺、高台から海も見え、さぞ美しい江戸の月見光景だったろうと想う。

本行寺の前で、最後に、ガイドさんが見せてくれた、鈴木春信の江戸の町民の三大美人画。当時の茶屋(喫茶店)の超有名な看板娘達であったと云う。谷中の"笠森お仙"。幻想的な浮世絵に、当時の谷中のロマンを想った。春信は、他に、浅草の"難波屋おきた"、両国の"高島お久"を当時の江戸の男達をうっとりとさせた、三大美人として紹介している。

夕方まで、すっぽりと江戸情緒に浸りながら、夜の坐禅会へ向かった。

| | Comments (0)

March 17, 2012

白楽、千代田湯の落語、

昨日は、白楽商店街の銭湯、千代田湯で開催された落語を聴いた。

約80人くらいの地元の人で、銭湯の席は一杯だった。今度、真打になられた瀧川理橋さんの、千代田湯での卒業落語でもあった。

如何にも、庶民的な、銭湯落語。雰囲気、満点。江戸の武士、庶民の美談に話に、心が高揚した。

貧しい浪人が、屑屋に300文で売った仏像の中から、その後出て来た50両もの大金。

買った侍は、云われなき大金を、屑屋を捜し出して返し、売主へ返せと云う。返して貰った貧しい浪人は、一旦売った仏像にあったものは、もはや自分のものではないとつき返す。仏像を買った武士も、仏像は買ったが、金は買っていないとまたつき返す。屑屋も、自分の金ではないと受け取らない。誰も受け取り手の無い50両もの大金。

武士は、お金を受け取らぬ屑屋を、斬るぞとか脅す。結局、長屋の長老から、大金を3人で分けるように指示され、三方が丸く収まる。"云われなき金は受け取らない"。潔さに、ワー凄い美学だと感動。

落語の中にも、凄い、人間の美学が潜んでいる。 かっこよさに完敗。

| | Comments (0)

March 16, 2012

戦艦大和の対航空機・機銃の増加(8基→52基)が語る歴史教訓

昨日は、私が2003年に、ゲストで来られた住職と初めて出会ったカリスマ会(ニューパラダイム研究会)の講演会を久しぶりに聴きに行った。昨日のスピーカーは、瀧澤中(たきざわ あたる)氏、作家・政治史研究家で、太平洋戦争の敗因の研究の話を聴いた。

中でも、私は、戦艦大和の昭和16年開戦当時の構造(艤装)と、昭和20年終戦間際の構造(艤装)の差に驚くべき教訓を得た。 開戦当初は航空機を狙う25mm3連装機銃が8基、終戦間際には52基まで増やしてあった。

真珠湾攻撃で飛行機による機動部隊の攻撃の大成功が、巨艦時代の終わりを告げていたにも拘わらず、巨艦神話を守り続けた日本。戦艦大和に機関銃をいくら装備しても、守り切れるものではない。航空機攻撃が圧倒的に強いことは、その後のミッドウェー海戦でも明かになった。

やむを得ず、戦艦大和を、少しでも航空機攻撃から守るための機銃増加であったろうが、それは、はかない延命手段に過ぎなかった。歴史の教訓は云う。現代の政治、社会も然り。"戦艦大和の機関銃"のような、場当たり的な政策で、乗越えようとしている悲劇に、いくつか気づく。

年金・福祉・原発など・・・・・。大局が見えない政策は、滑稽で哀れにも思える。

また、人生に於いても、"戦艦大和の機関銃"をやってしまうような場面にならないようにと、つくづく思う。

| | Comments (0)

March 15, 2012

芸能界の体験談に聴き入る、

昨日夜、ビジネス交流会で、映画プロヂューサーの黒井和男氏の話を初めて聴いた。Wikipediaには、主な作品に、南極物語、戦国自衛隊、犬神家の一族など紹介してあった。

1938年生まれとのことであるが、エネルギッシュに芸能界を語るその体験談は、実に面白く、話につい惹きこまれた。

芸能界では、長くいると、職業上の特性がもたらす現象で、女優は次第に男性化して行き、男優は次第に女性化して行く法則があるとの印象も面白い。何故かを、私なりに、考察してみたい現象だと思った。

人は、一人一宇宙とはよく云ったものだ。黒井氏の話を聴きながら、私とは、全く別世界を見て生きて来た人だなと感じた。

時に、全く、別世界を見ることは、脳の刺激に好い。苦笑してしまうほど。

一遍に偏った縁に触れると、力量の無い人の人生は狂うことも多いが、時に、驚きは、人生のバランスを呼び戻す。


| | Comments (0)

March 14, 2012

天城山、雪景色の中で唱えた修証義、

住職の師、小浜・仏国寺の原田湛玄老師は、雪景色の中で坐禅することを、特に喜ばれたと云う。

3月10日(土)、天城山(標高約1000メートル)へ登る道には、雪のため、車のチェーン装着の標識が立っていた。

雪景色の中の坐禅道場で坐ったのは、私にとって、初めてであった。

また私は今回初めて、道場で修証義(正法眼蔵の要約版)を唱えた。

「菩提心を発すと云うは、己れ、未だ渡らざる前に、一切衆生を渡さんと発願し、営むなり」

「もし菩提心を発して後、六趣四生に 輪転すと云えども、その輪転の因縁みな菩提の行願となるなり」

菩提心の発願は、自分自身の執着(エゴ)を打ち砕く。

修証義の中で、私の一番、大好きなくだりである。修証義には雪景色がよく似合う。


| | Comments (0)

March 13, 2012

朝3時から23時まで坐禅、3月11日伊豆・天城山

今回の坐禅は特別だった。昨日、横浜の自宅へ夕方帰宅してから、夕食も摂らずに、爆睡した。約10時間は寝たと思う。

3月11日、追悼坐禅は凄い体験だった。起床3時、3時20分から40分の坐禅を18回、夜11時までやった。途中食事は、朝9時と夕方5時の2回。

震災の時刻には、般若心経、修証義も唱えた。

途中、昼間、一人山中を歩く、歩く禅、"経行(きんひん)"も40分やった。青空に、木々の合間に、白い雲が美しかった。頭上の白い雲が生、雨が死、海が虚空世界など、「生ぜず滅せず」の世界を思った。

坐禅道場の玄関そばに大きな野生の鹿が一頭、出掛ける時、帰って来る時と、私と出会った。

夜、寝る前、夜空を見上げると、都会では見れないほどの星々が迎える。

外は静寂世界。"外が薄まると、我も薄まる"。

坐る度に、徐々に、我と、外が、一歩一歩、近付く。

| | Comments (0)

March 12, 2012

都心の公園でサラリーマンのブランコ、

最近、少し暖かくなって来て、先日、会社の昼休みに芝公園の中を歩いていたら、公園にブランコが並んでいた。周りに、人もいなく、見てる人もいないので、ちょっと、久しぶりに軽くブランコに座って揺らしてみた。

それは、それは、ドキドキして、懐かしかった。

娘が子供の頃、娘と並んでブランコをした想い出など・・・・。

さっと、数分の、都心でのブランコ体験。そんな体験も好い。

公園には、滑り台もあったが、流石に、これはイカンと判断し、断念した(内心、当たり前だ!)

そんなことを考えること自体、私は、お調子者なのかも知れない。

| | Comments (0)

March 11, 2012

人気子役は大成せず、人生の教訓、

人気子役は何故大成しないのか考えてみた。子供であることで人気が出るので、さほど努力しなくて、色んな面で大目に見て貰えて、考え方が、全てに甘くなってしまうのだろう。

それは、美人やイケメンと云われる人にも通じると思う。努力なしに、周りにチヤホヤされれば、人生に甘くなり、とんでもない失敗に堕ちる可能性大である。

長男、長女など、甘やかされて育った子供も然り。

自分が、恵まれて育って来た分、そのつけを払わされるのが自然界のバランス。

苦労は、買ってでもしろとか、よく云ったものだと思う。

| | Comments (0)

March 10, 2012

今日から伊豆・天城山へ坐禅、

また、今日から、私の春・夏恒例の、天城山への坐禅会に出掛ける。

今回は、寒さ厳しそうだが、多少厳しい方が、気が引き締まって好い。朝4時起床も好い。

一念を以って万念を制し、最後にその一念をも消し去る。

両辺にも偏らず、中道を目指し、そしてその中道をも、捨てる。

唯、宇宙に漂う境地。

まどかなること大虚に同じ、欠くることなく余ることなし。

"三祖大師信心銘"を持参して、修行に赴く自分に、なんとなく、安らぎが宿る。

| | Comments (0)

March 09, 2012

広尾に留学気分、有栖川公園、図書館のカフェテリアも、

週末から、震災一周年の3月11日を挟んで、伊豆・天城山へ坐禅へ行く前に、禅に関して、今回どうしても調べておきたい文献があり、昨日は、年休を取り、175万冊の蔵書を誇る広尾の都立中央図書館で一日過ごした。

朝、広尾のカフェテリアでコーヒーを飲み、さー今日は勉強するぞっと、何だか学生気分。有栖川公園の池や咲き始めた梅を見ながら、公園の中の坂道を登り、中央図書館へ。

早速、"三祖大師信心銘"と云う、達磨大師から三代目の師が、書き残された教えの解釈の勉強に取り組んだ。天城の坐禅の時、いつも唱える経文でもあり、詳しく内容を知りたいと思っていたこと。昼食の時間を忘れるほど、その解説にのめりこんで、唱える経文の意味が、そうだったのかと心に沁みて行った。

昼すぎて、5階のカフェテリアに行くと、外国人学生が談笑していて、窓の外には、木々、テニスコート、六本木ヒルズのビルも見えて、何だか大学生に返ったよう。

夕方まで、その他、仕事や英語の調べものをした。帰りに有栖川公園を下ると、インターナショナルスクールの中学生の野外活動らしい集団がいて、欧米人の先生が英語で指示をしていたのが、とても新鮮に感じた。すっかり旅気分。広尾駅前の商店街にある広尾湯と云う銭湯にも入ってみた。外人の街らしく、湯船の壁には、スイスの光景が描かれていた。銭湯の後に入った居酒屋も外人がたむろし、外国のパブ風で広尾らしかった。

通勤で通る広尾の街を、昨日は、初めて満喫した一日だった。広尾に留学した一日だった。

| | Comments (0)

March 08, 2012

芝増上寺、三解脱門をくぐる、

昨日、昼休み、会社近くの、芝増上寺を訪れた。 門を入ると、改めて、壮大な本殿であることに気づく。

増上寺は、オフィスの私の部屋の窓の眼下に、大きくその境内の全貌が見える。

昨日は、珍しく、境内を散策して、パンフレットも貰った。

入口の門は、1622年建立された三解脱門と云うことも初めて知った。

三つ煩悩、怒り・貪り・無知(愚痴)を解脱する門と云う。

人間の持つ三毒のことは、よく住職に何度も聴いていたので、後で知って、その門をあっさりと、くぐったことが、とても嬉しかった。

三解脱門をサラリとくぐった私に拍手。


| | Comments (0)

March 07, 2012

"増上縁"、無我の世界を感じる大安心の縁、

最近、住職から増上縁に就いてのメールを頂き、改めて、仏教に於ける四縁を調べてみた。

"因縁(いんねん)"は、直接の因果関係の縁で分かりやすい。好いことすれば、好い結果。

"等無間縁(とうむけんえん)"とは、前の心からの縁、すぐ過去との切り離せない縁。

"所縁縁(しょえんえん)"とは、心の対象によって生じる縁。心の執着がもたらす縁。

そして、"増上縁(ぞうじょうえん)"とは、自分以外の全ての存在との縁。よきにつけ悪しきにつけ。自然災害との縁、事故、または、思いがけない幸運なども。全ての存在が繋がっている縁。

"増上縁"とは、全ての存在と、切り離しようがない縁。今生の別れなど、粉砕してしまう縁。

芝の増上寺でしか知らなかった、増上と云う言葉にそんな意味があったのかと、改めて嬉しくなった。そう云えば、私が勤務するオフィスの近くの増上寺では、今、法然上人800年祭が披かれている。法然上人さえも、身近に感じる縁かとも思う。

別れや、孤独や、寂しさを粉砕する縁、増上縁。無我の世界、自他一如の世界。増上寺が、一段と耀いて見える。そうだ、今日、昼休み、是非、増上寺へ行ってみようと思う。

| | Comments (0)

March 06, 2012

民話を聴く会の情報に歓喜、

先日、湯河原で民話を聴く会が開かれていることを初めて知って、近々是非行ってみたくなった。"民話名作の語り読み"が日曜日の昼、開かれているらしい。

私が、いつか聴いてみたいと思っていた、"民話の語り"、近々是非実現させたいと思う。

例えば、東北の田舎で、囲炉裏を囲んで、"傘地蔵"の話など聴けたら、もう最高だろうなと思う。

まだ実現していないが、そんなことも、美に惹かれる、憧れの世界。

| | Comments (0)

March 05, 2012

ご近所の友人、ご近所の寿司屋、

昨日夜、娘が小学校時代、同じクラスだった女の子のお父さんと二人、近所の寿司屋さんで、久しぶりに飲んだ。当時、学級訪問・授業参観の後の父兄の話し合いの会で、話合ったご近所のお父さん。

暫く、行ってなかったご近所の寿司屋さん。懐かしい、板前のひろしさんもいた。

夏祭りの神輿、お風呂屋さんなど、色んな光景が懐かしい。

私が、生きて来た町内。路地裏を駆け巡る猫達のように、私が、すっぽりと調和して生きて来た街。不図、我に返る日。


| | Comments (0)

March 04, 2012

大事にしているものは永遠か、

昨日は、午後、ずーっと住職の講話を聴けた。

「大事にしてるものは永遠か?」

「仏道は他を中心とする。」「法は一切を相手にする。部分的には見ない。」

諸法は無我なり。無我とは一切との合一。涅槃寂静、永遠なる安らぎの世界。

坐禅とは、やるものするものではない。唯、やめるもの。

太田洞水老師の言葉をかみ締めるように、住職は語ってくれた。気が引き締まる気概。

| | Comments (0)

March 03, 2012

八幡神社境内で縄跳び、

昨日朝、自宅近くの八幡神社の境内で、縄跳びをした。

前から思っていて、何故か、久しぶりに縄跳びがしたくなった。ぴょんぴょん飛ぶ。久しぶりだからすぐ途切れるが、懐かしい縄飛びの縄の音が、ピュンピュンとリズミカルに心地よい。

朝の神社の境内も心地よい。樹齢350年のケヤキの大木、樹齢150年の楠木もある。

神社の由来曰く、応神天皇を祭る。起源の詳細は詳(つまび)らかではないが、源義家公が、奥州征伐の時、戦勝祈願に立ち寄ったともある。

神社境内は、ちょっと気持も引き締まり、静寂の中、早朝の新鮮な空気も味わえて、そんな場所での縄跳びは、気持よい。 これからも、時折、楽しもうと思う。新鮮な一日を始めたいと思う。

| | Comments (0)

March 02, 2012

映画「ひろしま」、1953年の映画、2008年から公開

昨日、1953年製作の映画「ひろしま」を初めて見た。この映画が、当時公開されていたら、日本の原発はなかったかも知れないと云われる。

当時の広島市民約30万人の約3分の1が無償で参加した映画、灰をかぶった参加者達の銭湯代が、当時3日間に亘ってタダになったと云われる。製作したのは、当時の日本の教職員50万人が50円ずつ出し合って集まった、2500万円の募金によるもの。

被災者達の惨劇・地獄絵を描き出したこの映画は、当時の日本の政策には都合が悪かったのだろう。公開されなかったことは残念に思う。でも、今この映画はやっと、日本全国で、また英訳もされ世界で上映され始めたのだと云う。

人間の業(カルマ)が引き起こす惨劇の酷さを、改めて思う。

映画で見た、原爆被災者の方々の顔、顔、顔が、人類に警告をされているように思う。

私は、この映画を、どうしても、見なければならなかったのだと思う。

| | Comments (0)

March 01, 2012

みかん湯、湯河原、

先日、27日(月)は会社の特別休暇でもあったので、思いきって前日から湯河原の梅林を見に出掛けることにした。幕山の梅林を朝から見るには、旅館に泊まってから行くのが好いと考え、湯河原駅前の観光案内所で、旅館を紹介して頂いた。

梅林とは反対方向の山の麓にある、小さな旅館で、日曜の夜ともあって、御客は私以外は、5~6人しかいなく、まさに静かな滞在だった。朝6時、大浴場に行くと、湯船に橙色鮮やかな蜜柑が浮いていた。約60~70個、湯の流れに沿って、蜜柑が揺ら揺らと流れていた。

たった一人の早朝の大浴場、湯船に浸かると、"蜜柑の天の川"が、私の動きで乱され、形が乱され、湯船に広がった。蜜柑の香りと、窓の外の白梅。日本の美だなーと思った。

蜜柑が、数個ならんで、湯船に流れる様は、子供時代、実家の小さな浴槽にしゃがんで、妹と一緒に、お互いに同じ方向に並びお互いの背中をみて、小さな浴槽の中をグルグル回って遊んでいた頃を想い出した。「♪亀さんよー、お前どこ行ったかー♪」と、兄妹だけしか知らないような歌を口ずさみながら。

初めて訪れた湯河原・幕山(625M)の麓の梅林は、圧巻だった。幕山山頂にも登って、大海原も眺望した。旅は私の知らない世界を、いつも、もたらしてくれる。命に、万物に感謝する気持になる。

| | Comments (0)

« February 2012 | Main | April 2012 »