生きる苦しみ、そして冬の日の陽だまり、
先日訪れた小田原の妹に、生老病死の中で、生の苦しみとは何か?と問われた。
母の体内から生まれ落ちた時に、母と一緒の大安心の世界から、自己と母親とが分離し、別れる苦しみが始まると、云う喩えを想い出した。
生まれてから、その後、ずーっと人間は、何かに執着して生きて行く。
生きる苦しみとは、即ち、その正体は「執着」。
「大死一番」、せねば、執着から解き放たれない。
自己の救済を求めないのが菩薩。自と他の区別なき世界が無我。
無我でなければ、生きる苦しみから逃れられない。無我とは、執着することが消えた瞬間。だが、それは、元に返るだけのこと。
住職は、冬の日の陽だまりの,何も考えない、ぼんやりした時間のようなものと、イメージさせてくれた。
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