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February 29, 2012

横浜、雪景色、心はそわそわして、

今朝、起きて見ると横浜も雪景色だった。降り続く雪。窓の外は、視界は悪く、ただ灰色の世界のよう。

でも、何故か、安らぎを感じるのは何故だろう。

自然が、多様な顔を見せる様子に、自然への愛おしさを感じているのだろう。

こんな日は、冬眠する動物のように、ほら穴の中で、じっとしていたら愉しかろうと思う。

昨日は、九州の弟の誕生日だった。昨日の昼から弟の携帯に10回ほど電話して、やっと夜、電話が通じて、おめでとうと云った。雪の季節の誕生日。

九州育ちの私には、雪は、子供時代へ返れて好い。

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February 28, 2012

"悲しみ"の本質は"所有"、サテイシュ・クマール師講演、

昨日夜、聖心女子大で行われた、サテシュ・クマール師の講演を初めて聴いた。現代エコロジーの巨匠と云われるインドの思想家で、2年振りの来日とのことであった。

彼は、インドの古典哲学書・バガバット・ギータを引用して、生き方を語った。正に、私が住職から学んでいる哲学に通じていて、禅の話を聴いているようでもあった。

講演の前のビデオの中で、加藤登紀子さんから人生の悲しみへの対処のことで聞かれると、「"悲しみ"のもとは、"所有"です。"所有"を残したままでは、"悲しみ"は"悲しみ"のままです。"所有"する気持から解放されることで、"悲しみ"から解放されます。"悲しみ"が、愛や美に昇華されます。」との主旨のコメントをされていた。

私は、"所有"とは、即ち"執着"と解釈して同感した。

本来、"無一物・無尽蔵"の人間が、天から無償で与えられたものなのに、目に見える自分の縄張りを主張するのが、"所有"するエゴ・傲慢、それが"執着"だと思う。

"悲しみの本質は所有"、噛みしめる哲理。


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February 27, 2012

娘を送り出した朝、

昨日朝、娘は、8時過ぎに、新しい転勤先の神戸・芦屋へ出発した。

ちょっと、普段とおり会話して、朝、娘を玄関に送り出した。家の前の通りの角に、娘が見えなくなるまで、玄関で見送った。たぶん、私の父も母も、今の私の気持で送り出したのだろうと思った。両親も、九州の家の前の電信柱の陰でよく見送ってくれた。今でも、残像が脳裏に蘇る。

ガランと、ほぼ空っぽになった娘の部屋。

気を取り直して、他のことを考える。

なさねばならぬことがあることは、気が紛れてよい。自分のことを不図、忘れるほど、なさねばならぬことがあることは幸せである。

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February 26, 2012

小雨の中、曽我梅林、

昨日、朝は雨だったけど、曽我梅林の見学会は行われるとのことで、ノルウェーからの友人を連れて、小田原へ出掛けた。

私の友人の森林インストラクターの仲間の方々が、約20名の参加者を連れて、梅林や近所の寺、神社を案内してくれた 。午後には、雨も上がり、35000本の梅林に、春を感じながら歩いた。ノルウェーの友人も、自然には慣れているので、小雨の梅林も、日本の田舎の田園風景をとても楽しんでくれた。梅の木々には、黄緑色をしたメジロが戯れていた。畑の回りの草花、木々の解説を聴きながら歩いた。新たな発見の数々。

ちょっと高台にある、キウイの畑の地面に"蕗の薹"(ふきのとう)が沢山出てていて、許可を得て、お土産に収穫させて貰った。遠くの海や街の眺望も最高だった。紅梅のつぼみのある小枝も貰って帰った。

梅林の散策の後、下曽我駅の近くのレストランで、梅酒も楽しんだ。ノルウェーの友人は、娘さんが梅酒のファンで、お土産に2本も梅酒を買っていた。

2012年の想い出の曽我梅林の旅。

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February 25, 2012

アラブとの出会い、

昨日夜は、若いアラブ人夫婦の家庭を会社の数人で訪問した。アラブ料理を食べながら、アラブ人のちっちゃな子供達と戯れたり、アラブ音楽を聴いたり、昔、私もアラブに住んだ時代のことを想い出した。

私は、初めてアラブに住んで、アラブ文化に触れた時、人生観も一変した。人生には、とてつもない未知の世界が広がっていることに気づいた。色々なことを、もっと知りたくなった。

その後、会社を途中で辞めたくなったのも、余りにも違った世界を見たから、平凡なサラリーマンを続けるより、新たな発見を求めて生きたいと思った。新たな発見は人生を充実させる。

そして、毎日、新たな驚きに囲まれると、悩みも苦しみも、気が紛れて、多少やわらぐ気がする。

アラブとの出会いは、私の人生の新たな展開のきっかけであった。


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February 24, 2012

突然の英国パブ、英国旅気分、

昨日と今日と、国際LPガスセミナーが新橋第一ホテルで開催され、今年も、両日出席できて嬉しい。海外からの懐かしい友人・知人との再会に、気持も高揚する。

夜、レセプションで話でいるうちに、外国ゲスト達数名が、銀座で二次会をやることを知って、私も誘われ加わった。

行ってみると、約10名のゲストが、まさに英国のパブを思わせるパブで、歓談していた。そこにも、面識のある顔ぶれが数名いて、約10年振りとかの再会に驚いたり、ビールを飲みながら、歓談した。

気分は、まるで、英国に出張しているかのような気持になった。

このような気分に浸りながら、私は、いくつもの顔をもって生きている自分のことを思った。いくつもの気分が、日々、見える場面を切り替え、私の人生を作りあげている。それは、時に、私の精神にバランスをもたらしてくれるとも思う。

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February 23, 2012

午前中は新たな発見の道、午後は想い出に浸る道、

新しい発見に気が取られることは、エネルギッシュで、ちょっとオッチョコチョイなくらい。それが若さ。

想い出に浸り、もの想いに佇むのは、侘び寂びの味わい。落ち着いてて、これも人生にはなくてはならない境地だと思う。

午前中は、オッチョコチョイ。 夕方は、想い出に浸り、感傷的な気持ちになると云う生き方も好い。

毎日朝、新しいもの好きな、オッチョコチョイになり、また毎日、夕方は、もの悲しく寂しい気持ちになる。

そんなことの繰り返しの毎日も、結構、バランスが取れてて、自然の光景と調和してて、いいじゃないかと思う。

朝は登山へ向かう気持ち、午後は、景色を見ながら下山する気持ち、そして夜寝る時は、一旦死んで消える気持ち。そしてまた、運が好ければ、翌日、朝日にハッと、目を覚まさせられる。

今日もまた、出かけるか。

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February 22, 2012

母が宇宙になる時、

母は、絆の象徴。愛や暖かさの感情の源泉。

母と子の関係に於いて、個としての母は執着の象徴でもある。私の母であり、私の子である。

その母への感情が、宇宙に広がり、母が即、宇宙と一体化した時、個としての母は消える。個としの母への執着がなくなる時、寂しさも消える。

宇宙全体が母であり、万物、草木が母でもある。

母が、個としての母である時、執着や苦しみは付きまとう。母が宇宙一杯に広がって、明るい笑顔になれば、・・・そのために、私は修行しているのだと思う。

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February 21, 2012

"はやぶさ"の帰還と思えば好い、

先日、小惑星探査機"はやぶさ"の映画を見て、色々な人生への示唆を受けたような気がした。

宇宙を60億キロ旅して、7年後に地球に帰還したことの凄さ。

その長い旅も、地球からの必死の管制塔からの指示があったからこそ。

一時、行方不明になって宇宙の塵にもなりかけ、満身創痍、ボロボロになって、やっと地球に帰って来た。

人生に擬えると泣けて来る。

管制塔は、両親、仏性。地球への帰還とは、死のこと。仏性へ帰ること。そんな一生なら素晴らしい。

這いつくばってでも、地球へたどり着く。人生は、"はやぶさ"の帰還。

宇宙から見た地球の美しさを想う。

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February 20, 2012

12歳の女の子の衝撃、拉致問題

先日、ヒッポ語学クラブの例会で、12歳の女の子(小学6年)が出席していて、女の子が、12歳と自己紹介した時、私に衝撃が走った。

横田めぐみさんが拉致された時、13歳だったことを想い出して、もう、語学に対する集中心がすっ飛んでしまった。

心が騒いで、騒いで、暫く立ち直れないほど辛かった。

人生の試練の過酷さを思った。横田夫妻は、世の高僧にも優る修行をしておられることを想った。

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February 19, 2012

恐竜絶滅の日、降り注ぐ火の玉、

先日、 "恐竜最後の日、巨大隕石衝突の日"と題して、インターネットに次のように書かれていて、何故か、衝撃を感じた。

「6500万年前、地球に隕石が衝突して恐竜を絶滅させ、ほ乳類の時代が幕を開けたことは知られている。しかし、衝突当日は何が起こったのだろうか。空から火の玉が降り注いだ1日とは? 発生直後の様子は? ほとんどの生物が壊滅した一方で、なぜ一部の生物だけが生き残ることができたのだろうか。わずか一日で世界が様変わりする瞬間に居合わせたとき、いったい何を目撃するのか」

2011年の東日本震災で、多くの人の世界観は変わったと思う。

その日が、来た時は、「ハイ」と云って、良寛さんの言葉のように、潔く、淡々と、その日を目撃しようと思う。

その覚悟が、無我への扉。修行の果ての、永遠なる安らぎへの扉。

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February 18, 2012

自己救済の難行・苦行の果てに、

お釈迦様は、自分自身の悩み・苦しみを解決しようと思って、全てを捨てて出家された。

そして、6年間の難行・苦行しても、悟ることができなかった。

しかし、その難行・苦行の果てに、スジャータとの出会いに、悟り・解脱のヒントがあった。村の女性、スジャータにめぐんで貰った乳粥(かゆ)を口にして、身体中にエネルギーが満ち溢れるのを感じた。

全ては、縁に於いて存在することに気づかれた瞬間であった。悟りの瞬間であった。

先日、龍運寺での、小峰弥彦・前大正大學・学長の講話に中で聴いた、印象深い気づきだった。

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February 17, 2012

一生の内に出逢える人の確率、0.000013%、

先日、妹からある雑誌のコラムの切り抜きを貰った。 一生の内に出逢える人数のことが書いてあった。

人生を仮に80年として考えると、日数にして、約3万日。毎日、新しい人に仮に3人会ったとすると、一生の中で、出逢う人は、約9万人。 地球上の人口67億人で割ると、0.000013%。

今、目の前にある、私の人生の出逢いは、全て宝くじ並みの確率で、出逢って来たのだ。

好くても、悪くても、0.000013%の人々と関わって、今までの私の人生がある。

その0.000013%の出逢いから、何を学ぶかが人生。

そうして出逢った、0.000013%の出逢いなら、たとえ、永遠の別れになっても、嘆くことは無い。今生で、逢えたことが、もう既に、奇跡だったのだから。

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February 16, 2012

「絶後に蘇る」、夕日に蘇るような光景、

「無心の一歩をあゆむ」正眼短期大学学長・山川宗玄先生著(春秋社)の中で、「絶後に蘇る」と云う、素晴らしい禅の言葉を紹介しておられた。森の木々には、自分が枯れたり、倒れたりすると、その場に、子孫が育って行くと云う自然の理がある。

親木が生きている間には、その木の下に苗木は育たない。自然の森では、松の木の下には、槇や椎の木は、人の背丈程、育っているが、松の苗木は無い。

木の子孫は、親木が枝を張る領域内で成長は不可能。親と離れた場所でなくては育って行けない。

自分の目の届く範囲でのみ、吾が子を育てようとするのではなく、自分の力の及ばないところに置き、見守って育てると云うのも大切な道。

山川宗玄先生は、この道を古道(真の道)と称せられていた。

離れた場所で育つ吾が子を夢見て生きる。寂しくても、親なら耐えられる。自然の理に抱かれて。

絶することは親になること、別れることは親になること、それが絶後に蘇ること。夕日に蘇るような光景。

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February 15, 2012

また、ひとつの春の別れ、娘の新たな旅立ちの日、

この一年くらい、同居していた娘が、新たな転職先の配属が神戸に決まり、昨日、静岡での2週間の研修に出発した。

昼の新横浜発の新幹線で研修に出発する娘と、朝、父と娘の会話をした。

思いっきりの祝福の言葉をかけてやった。

また再び、親と同居する日が来るのかは、もう定かではない。娘は気づかないだろうが、娘とのひとつの別れの日になったことを想う。娘にとっては、新しい仕事の環境に慣れるために、緊張の日々が始まるだろう。

朝の浴室・洗面所を、お互いに出勤前に、私と、朝の時間帯を分け合って使っていたことが、明日からは、きっと懐かしくなるだろう。

そう思うと、昨日、会社で、ちょっと、物悲しい気持にもなったが、仕事で気を紛わせた。

昨日、研修に出発する娘から貰ったバレンタインデイのプレゼント。私にとっても、娘にとっても、人生の節目の日の想い出。

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February 14, 2012

無心に歌う、「シャボン玉」の歌

有名な、「シャボン玉」の歌の由来のことを、本で読み、初めて知った。作詞した野口雨情が、初めて授かった女の子の赤ちゃん、目の中にいれても痛くないほど可愛がろうとした矢先、高熱を発し、一週間を待たずに、天国へ召されて逝ってしまったとのことです。夢の中に、お嬢さんが現われ、目に一杯涙を浮かべていたそうです。

その後、有名な童謡作詞家となり、「赤い靴」、「七つの子」、「雨降りお月さん」なども作詞した野口雨情。

「シャボン玉飛んだ。屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、こわれて消えた。 シャボン玉消えた。飛ばずに消えた。生まれてすぐにこわれて消えた。 風 風 吹くな、シャボン玉飛ばそ。」

背景を知ってから、くちずさんでみると、泣けて泣けて、そのことも知らずに生きて来た自分を恥じた。

「シャボン玉」を、歌って、泣いて泣いて、その後に、いずれまた、無心に、子供時代のように、歌えるようになれば好い。人生も、苦しんで、苦しんで、泣いて泣いて、そして、無心に、シャボン玉を、また歌えるようになれば好い。

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February 13, 2012

叶わぬ思いの中の祝福、神への気づき、

昨日、不図、入った書店の中で、「安岡正篤・珠玉の言葉」(神渡良平著)をパラリとめくると、一遍の詩が目にとまった。

「幸せになろうとして富を求めたが、賢明であるようにと貧困を授かった。世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。人生を楽しもうと、沢山のものを求めたのに、寧ろ人生を味わうように、シンプルな生活を与えられrた。

求めたものは、一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられていた。私は、あらゆる人の中で、最も豊かに祝福されていたのだ。」

ニューヨーク州立大學リハビリテーションセンターのロビーに掲げられている詩とのことであった。

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February 12, 2012

世田谷、龍運寺、正眼セミナーとの出会い

昨日は、世田谷・龍運寺本堂で行われたセミナーに初めて参加し、山川宗玄先生(正眼短期大學学長)の話を初めて聴くことが出来た。

山川先生の名前は横山紘一先生(唯識)から何度か聞いていて、いつかお会いしたいと希望していた人物であった。その横山先生のそばで、山川先生の講話を聴くことが出来た。生活の全てが禅の修行であると云う、白隠禅師の話。雲水が衣の上に撒く手巾と云う太い紐を、恰も水引のように、誰かに身を差し出したと云う意味などの話を聴かせて頂いた。

「無心の一歩を歩む」(春秋社)と云う最近お出しになった書籍も、パラパラとめくると、その修行の中で出会われた感動のエピソードが散りばめられていた。「修行は、もう駄目だと思うそこから始まる」、確かにと頷く。

昨日は、私も、出会うべくして出会ったご縁だったのだろうと思う。私の修行の中で、この出会いの新たな示唆を、考える。

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February 11, 2012

早朝・大手町・英語の講演会のすがすがしさ

昨日朝、08:45から、大手町朝日生命ビルの会議室で、海外エネルギーメデイアのPlattsの講演会があり、早朝出掛けて、参加した。

シンガポールから来た、Plattsのスタッフの、米国調のフランクな雰囲気での、英語の小気味好い響きが、妙に、昔、私も、バリバリだった頃、シンガポールにでも出張しているかのような気持になった。

会場には、約100名くらいの働き盛りのエネルギー・トレーダー、研究者など。部屋の片隅には、コーヒー、クッキー、資料が置かれ、如何にも、バリバリの商談の会合っぽい熱気。

色んな、原油やナフサの国際市況関連のプレゼンテーションに、うなずきながら、結構愉しかった。前日夜のアラビア語講座の生徒達の懇親会(池袋)の酒の影響にかかわらず、早朝、大手町で、スッキリと英語の講演会を聴いてる自分が、中々やるじゃないかと云う気持になれた。

終業後は、業界友人有志会6人くらいで、神田の居酒屋にて懇親。業界のこと、私生活のこと、人生模様など、昨日とはまた、気分がコロッと切り替わった。

今週もドップリと、仕事モードだったかなー。今日は、禅の修行に戻ろうと想う。

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February 10, 2012

自由と安らぎを求めて、

幸せの中味は、自由と安らぎ。

その自由と安らぎの獲得しようとする方法が、人によって違うだけ。

お金も、権力も、世の勝ち組とされることも、そこに自由と安らぎがあるように思えるから、人は取りあえず、お金・権力・勝ち組などを目指す。それは、子供にもわかり易い思考。

でも、誰しも、いずれ、そこには自由も安らぎも無いことに気づく。

他に、自由と安らぎが得られる方法を見付けた人は、世間の価値観とは全く違う生き方に変わる。

お金も権力も勝ち組の生き方に、興味を示さなくなったら、ちょっと魅力的な生き方になる。

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February 09, 2012

「身体を持つことは不便なこと」、スワミ・ヴィヴェーカナンダの言葉

インド哲学、仏教、禅の根本思想などをわかり易く説いたスワミ・ヴィヴェーカナンダは、表現力の天才でもあったのだと思う。

住職が、長年修行して来た禅が、ヴェーダンダ哲学と同じだったと、完璧に結び付けてくれたのが、ヴィヴェーカナンダであったと云う。

ヴィヴェーカナンダは、「身体を持つ事は不便なこと、私は身体を捨てて働く」と云っていたとのこと。宇宙の真理は、自己犠牲と云う菩提心そのもの、即ち自他一如。

彼は、肉体的な死にかかわらず、菩提心に於いて生き続けることを知っていたが故に、肉体など不便なものと云い放てたのだと思う。身体は、五感六識に振りまわされるカルマを包む、単なる皮のようなものと云う感じだったのだろう。

彼は、身体を捨てて働いている。今も、住職は、ヴィヴェーカナンダがこの世にいるかのように、ヴィヴェーカナンダの教えを説かれている。私も、ヴィヴェーカナンダと会話してる気持になれる。

それは、スワミ・ヴィヴェーカナンダは、身体を捨てて働き続けていることに他ならない。

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February 08, 2012

仏性の証明、弥咲(みさき)ちゃん

今朝のニュースに、この感動は、早く書き留めておかねばと思った。

「落雪で、女児死亡。岩手、柏から祖父宅に帰省中」と見出しにあった。外で遊んでいる最中、屋根から落ちて来た雪に、5歳のみさきちゃんと2歳のゆうとちゃんが埋まり、みさきちゃんは窒息で死亡したと云う。

NHKニュースは、みさきちゃんは、弟に覆いかぶさり、死んでいたと・・・・。2歳の弟のゆうとちゃんは、命には別状ないとのことであった。

これが、これが、人間の持つ仏性の証明だと思う。

眩しいばかりの、仏性の耀き。

「みさきちゃん、ゆうと君は助かったよ」

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日本軍、ソ連軍、ドイツ軍、そんな人生を送った兵士の実話、

先日、小田原の妹と、曽我の梅林に梅を見に行こうと、会社を休んで小田原へ出掛けた。当日の朝、電話で確かめると、まだ、梅はつぼみで、梅林は、あと2週間ほどしないと見ごろにならないことを知って、さて、どうスケジュールを変更しようかと考えた。

妹が、持っていた映画のパンフレットに唖然。「日本・ソ連・ドイツ、3つの軍服を着ることになった数奇な運命」。1200キロの真実の映画、「マイウエイ」と云う映画のパンフレットだった。

これも縁、妹と見ようと思った曽我梅林を変更して、妹と見ることに相応しい映画だと直感して、二人で見に行った。

1938年中ソ国境、ノモンハンの戦いでソ連の捕虜、ソ連の軍服、ドイツと戦って、ドイツ軍捕虜、ドイツの軍服、1944年ノルマンデイーで連合軍が発見したドイツ軍の中の東洋人。

この数奇な運命を、ある日本兵(オダギリジョー)と韓国人の日本軍兵士(チャン・ドンゴン)が偶然にも共にした。その韓国人の兵士はノルマンデーで戦死してしまうが、その人間としての崇高さに感涙。

ノルマンデイーで発見された時の、その日本人兵士の写真が残されていた。一枚の写真から始まった、真実の物語。こんな過酷な人生があろうかと、生きることの過酷さ、崇高さを、これでもか、これでもかと云うほど感じる映画だった。父が生きた満洲、母が生きた満洲、戦争を生きた人々。

日頃の人生の苦しみなど、かすり傷程度に見えた。妹と私は、この映画を一緒に見るように、神からの思し召しだったのだと思った。両親も、あの世で、子供達の兄妹が、自分達の生きた時代のことを知ってくれて、愛情一杯に微笑んでいるように感じた。

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February 07, 2012

人が咲かせる花、それが笑顔

昨日、新聞の書籍宣伝の文章に、"人が咲かせる花、それが笑顔"と云う表現に出逢った。

荒野に、咲く花を想う。

哀しみにあっても、咲こうとする花を想う。

笑顔も、穏かな、微かな、静かな笑顔が好い。

光に包まれるような笑顔が好い。

街中にも、観音様が歩いている。

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February 06, 2012

今日は聖なる日、突き放す愛、

今日は、亡き母の誕生日でもあり、住職の誕生日でもある。

母の誕生がなければ今の私は無い。住職との出会いがなければ、今頃、私は人生に彷徨い、苦しみの泥沼におちていたかも知れない。

母は、優しくも突き放して、優しさと厳しさの同居したような育て方だった。今では、根性も、脆さも、母ゆずりの自分に苦笑するほど。

住職は、講話をしつつも、いつも釈迦の言葉を引用される。釈迦は弟子達に云ったと云う。「自分について来るな。自分の中に神を見出せと。私が見出したように。」

「突き放す愛」、この愛を感じてこそ、人は、強く生きて行ける。

今日は、そんな、私の人生の指針を与えてくれた母と、住職の誕生日。心静かに、今生の出会いに感謝し、更なる精進を誓う。


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February 05, 2012

生きる苦しみ、そして冬の日の陽だまり、

先日訪れた小田原の妹に、生老病死の中で、生の苦しみとは何か?と問われた。

母の体内から生まれ落ちた時に、母と一緒の大安心の世界から、自己と母親とが分離し、別れる苦しみが始まると、云う喩えを想い出した。

生まれてから、その後、ずーっと人間は、何かに執着して生きて行く。

生きる苦しみとは、即ち、その正体は「執着」。

「大死一番」、せねば、執着から解き放たれない。

自己の救済を求めないのが菩薩。自と他の区別なき世界が無我。

無我でなければ、生きる苦しみから逃れられない。無我とは、執着することが消えた瞬間。だが、それは、元に返るだけのこと。

住職は、冬の日の陽だまりの,何も考えない、ぼんやりした時間のようなものと、イメージさせてくれた。

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February 04, 2012

「雑念・妄想」、 「印象・気分」、

日常起こる、身の周りで起こる出来事は、「雑念・妄想」と云った方が一番ぴったりする。

中立的に云えば、「印象・気分」。

そんな中にも、平安(無我)への道を照らしてくれる人がいる。

そんな人に、出会ったならば、もう安心。

その道を進めば良い。

どんどん、どんどん、心が落ち着いて来る。そんな道が、確かにある。

それは、「雑念・妄想」に惑わされない、「印象・気分」にも振り回されない道。

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February 03, 2012

生命は太古から、ぶっ通しに繋がって、自分は単なる点、

人生の始まりと終わりは、記憶の始まりと終わりのようにも思える。死ねば、すべて記憶がなくなることで、恐怖も生まれる。

だが、ひよことアヒルの子が池のそばで歩いていると、アヒルの子は、誰が教えたり、しなくても、水に飛び込める。

これは、生命が、物理的に生まれて死ぬ単位ではなく、太古の昔からぶっ通しで続いて来た証拠。

こんな例で、住職は、生命の永遠性の一端を、垣間見させてくれた。

無限に続く生命の一点。

肉体の死は,魂の衣替えに過ぎない。魂は誰しも等しく、仏性。

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February 02, 2012

「お母さんが好き、お母さんを助けてあげたい、・・・・ 」

1月31日、衝撃的な事件のニュースが頭を離れない。

大阪で、(精神を病んだ?)お母さん(37歳)に深夜、刺殺された12歳の少女の話を知った。

その少女が、小学校の担任の先生に、以前、「お母さんが好き」、「お母さんを助けてあげたい」と云っていたと云う。とても、母親思いの子供だったと云う。

その、「お母さんが好き、お母さんを助けてあげたい」と聴いた時、私の心は号泣した。

私は何? 私は、今日も、平常にサラリーマンをしている。 私は、こんなことで、いいのだろうか? じっとしていられない気持になる。

こんな、苦しみを放置して、どうして、自らの幸せを求めて、清々しい気持になれようか。神からのメッセージを聴きたい。

これも12歳の少女が、命を賭して、伝えてくれた神からのメッセージが必ずあると思う。それに気づくのが、私の修行。

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February 01, 2012

幸せの孤独、不幸の連帯

幸せな人、幸せな家族は、世間と隔絶して生きているようなもの。それは、恰も、城に篭城しているようなもの。幸せの孤独ようなもの。

不幸な人には、様々な不幸はあれど、人は繋がっている。

そして、人と繋がっている自分の不幸を、客観的に眺められたら、それは、無我の入り口。

無我の平安は、世間的な幸せ、即ち滅び行く城での篭城のような幸せとは、全く違う。それは、絶対的な幸せ。

無我こそ、究極の幸せ。

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