« 太田洞水老師、渾身の説法、 | Main | 夕日に向かっての旅立ち、タゴールの詩との出会い、 »

January 17, 2012

雲外の人、禅の真髄

太田洞水老師の説法の中で、昭和を代表する禅僧・沢木興道老師の言葉が紹介してあった。「ちっぽけな後天的な業生は、坐禅することで、いっぺんに吹っ飛ぶ」、「坐禅は透明でなければならぬ、悟りとは明々白々でなければならぬ。少しでも濁ったものがあれば、それは人間臭みのあることで、坐禅ではない。坐禅が、方向が間違ったものであれば、何万年座っても坐禅にならない」と。、

沢木興道老師の弟子であられた太田洞水老師の言葉は、次のように続く。

「たかが知れた自己にしがみついている限り、雲外の世界はわかりません。百尺竿頭さらに一歩せぬ限り、雲外の世界の素晴らしさは、知ることはできません。坐禅は人間内の出来事を一切感知しないのです。

如何なるかこれ祖師西来の意?(問い) → (答え) 庭前の白樹子。

如何なるかこれ「道」?(問い) →(答え) 大道は長安に通る。

何とほがらかな、澄みきった答えでありましょう。坐禅は、何物にも汚されない、何物にも垢つかない澄んだ世界なのです。あるとおりに生きる、あるとおりにある、これが坐禅の正体なのです。 」

雲の外とは、無我の世界、永遠にして安らいでいる世界。自分が消え去った果てにしか見えて来ない世界。禅の真髄を、力強く説かれる太田老師の言葉に、住職の顔が浮かぶ。

|

« 太田洞水老師、渾身の説法、 | Main | 夕日に向かっての旅立ち、タゴールの詩との出会い、 »

Comments

悟りという目的はなければならない。
その上で悟りを求めない修行がある。
「ただ坐ればいいんだにあぐらかく私」が残るから、
万法が縁になり
「虚空世界を想う私」「私を消したいと言う私」が消し去られる。
消し去られましたと言うと、
消すべき私はもともとなかったんだよと。

Posted by: 三 聖 | September 24, 2012 at 09:18 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 太田洞水老師、渾身の説法、 | Main | 夕日に向かっての旅立ち、タゴールの詩との出会い、 »