中途半端な別れ、
昨日は、昼から、各地の坐禅のサンガ(集まり)に参加し、昼から一日中、ずーっと住職と一緒だった。
昨日、住職の若かりし頃の師、太田洞水老師の30年以上も前の講話テープを初めて聴かせて貰った。
20年間、山に篭られ、住職が出家していた寺の丸山英智老師を、ある日尋ねて来られた日のことを、住職はよく想い出すとおっしゃる。擦り切れた藍染めの衣を着て、雲水の格好で、山から降りて尋ねて来られた時の姿に感動された日のことを。これこそ、気骨なりと云う、修行の覚悟だったとのこと。
当時、住職は、まだ若く、その後、インドへ行ったり、台湾へ行ったり、太極拳を勉強したりしたことを称して、太田老師には、「あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、"まるで野良犬の残飯あさり"」と云われたことを、今でも住職は苦笑される。
その太田老師が亡くなられる直前の命がけの講話のテープが最近見つかり、今はその話の内容の凄さがよくわかると、住職は、テープおこしの文章を紹介して、その当時の講演のテープを聴かせて下さった。
それだけの凄い師でらっしゃったのに、太田老師とのつきあいは、中途半端な別れであったと回想される。
"中途半端な別れ"と云う言葉が、私には、妙に心に響き、人生と云う街道を行く旅人の姿を想った。大切に想う人との関係ほど、想い出せば、中途半端に感じられるもの。ざんきの念に駆られるもの。句読点のない別れ。それは、今でも、共に街道を歩いらっしゃると云うことではないかと想った。
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