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January 31, 2012

白黒結論つけない生き方の素晴らしさ、宇宙の理

何か問題に遭遇して、解決にもがくのが日常であり、それが人生でもあると思う。

ところが、"問題の緩和"と、"現実的な適応"が、自然界の究極的な、素晴らしい解決方法だと、数日前の、ビジネス交流会の時、ハッと気づいた。

それは、福島原発後、世界が、温暖化ガス問題で直面している問題への対処のことだった。昨年12月カタールで開催された世界石油会議の席上、元・IEA(世界エネルギー機関)事務局長の田中氏から、世界で、2050年までに温度上昇を2°抑える二酸化炭素450PPMシナリオは、もはや達成困難になりつつある。これからは、現実的 に、緩和(Mitigation)と、適応(Adaptation)と、両にらみで政策を執らねばならないのではないかと報告したと云う。

そのとき、私は閃いた。 あらゆる人生の問題も、苦しみも、悲しみも、不幸も、緩和(Mitigation)と適応(Adaptation)のバランスの上に、対応して行けば好いと思った。 完璧に、結果を白黒、はっきりさせようとするから、人は、益々追い込まれて行く。

「不幸を軽減させつつ、不幸にも慣れて行く」、 そんな生き方は素晴らしい。人生の達人。ビジネスそっちのけで、私は、禅を学んでいる様な気持ちになった。


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January 30, 2012

春節、禅、医学、イスラーム、これは旅だ、

土曜日、昼は、春節で賑わう横浜中華街を散策した。厳しい寒さも、祭りの華やかさで、何のその。蘇州小路を、"あんまん"を食べながら歩いた。時折、甘栗の試食を進められたり。衣類の店の、幼児向けの赤いチャイナドレスには、参った。昔、上海出張の時、娘に買って来たチャイナドレスを想い出して。

夜の坐禅の会は、住職から聴く講話と、懇親会での住職との会話に、自然と気が丹田に落ちるようで、心地好かった。

日曜日午前中の、新潟大学・安保徹先生の講演会(新宿・明治安田生命ホール)は、安保先生の、人類の細胞の起源の、そのシステムの解明に関する大発見の感動の話を初めて聴き、凄いと思った。2008年1月10日、早朝2時頃、突然脳裏に閃いて、その時の感動が、今、安保先生の書籍に書かれて出版されている。人は、二つの全く異なる生命体が合体して生まれた。解糖系(無酸素系)と、ミトコンドリア系(酸素系)。この二つのシステムのバランスを保つことが健康と云うこと。悪化した環境に適応するために、解糖系が、ミトコンドリア系を減らして拡大することが癌と云う病気。これは、じっくり、勉強する価値ありと思った。癌も正常な自然界の働き。

日曜日、午後は初めて東京のイスラム寺院、代々木上原の東京ジャーミーを訪れ、トルコ・日本の交流史の講演を聴いた。美しい、イスラム寺院の尖塔が、夜空の月に映えて、コラーンの響きも、まるでアラブへ旅してる気持になった。

こうして、たった2日の土日の休日なのに、私の人生のスクリーンに、沢山のシーンを焼き付けて、過去に蓄積された私の印象・気分にさらに、新たな色合いを重ねて行く。平安を求めて、今日も、私は、街道を行く。

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January 29, 2012

インド渾身の「神の詩」、バガヴァッドト・ギータ、

先日、住職は、たった一冊だけ、無人島に本を持って行けるとしたら、私は、バガヴァッド・ギータ(インド古代の戦乱時代の詩)を持って行くとおしゃった。

マハトマ・ガンジーは、生前しばしば苛酷で、混沌とした日常にあって、繰り返し襲う悲劇と失望落胆に遭遇したその時を振りかえって、後年、次のように述べている。

「私は、バガヴァッド・ギータの詩句の中に、常に無限の勇気を生み出す尽きせぬ源泉を見出した」と。

私は、住職から坐禅会で学んで来た、ギータ(前田行貴訳)の本をパラリとめくったら、偶然、6章17項が表れた。

「苦は貪欲や執着や前世・過去の因縁に起因するが、人間はこの世で修行して、更に高い霊性を目指して向上するため、自ら苦難の世界に生まれ来ている。苦難は、その人に相応しいものとして、またその人のカルマ(業)を消滅させんがために訪れているのである。」

ガンジーと住職の声が聞こえる。

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January 28, 2012

勉強三昧、締めくくりは、忠臣蔵・英語版

昨日は、終業後、虎ノ門でエネルギー関連・異業種交流勉強会に出席、たっぷり、最近の内外情勢を勉強した。

自分で勉強するより、人の話を聴き、学び、気づくことの方が愉しく感じる。

エネルギー業界で、今、起きてるシェールガス革命は、米国の石油輸入を減少させ、米国を近い将来エネルギー輸出国にも変化させてしまうほどのインパクト。それは、世界のエネルギー情勢を塗り替え、政治にも多大な影響を及ぼす。昨日は、イラン原油禁輸問題、ホルムズ海峡情勢も、自分なりに現状を整理した。

勉強会終了後、懇親会で一杯飲んだ後、友人と同じ東横線で横浜方面の電車で帰る時のこと。友人が最近仕入れたジョークで、「AKO・47(エーケーオー47)」とか云って、それは赤穂浪士と説明していたら、電車で後ろのつり革につかまっていた、大きな、若い西洋人男性が、我々に、48、48 と話しかけて来た。彼は、「AKB 48」のことだと思い、我々の間違いを正してやりたいと思って話しかけて来たのだった。 そこから、電車の中で、Revenge(仇討ち)だの、Loyalty(忠義)など、そんな英語を 使いながら、英語で忠臣蔵を話すこと10分くらい。

その外人も、47の意味を知り、電車の中の日本史講座を無事終了して、ニコニコして電車を降りた。

そして、締めくくりの忠臣蔵は可笑しな展開だったなーと、一日を振り返った。

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January 27, 2012

ロシア流の壮行の儀式、黙って向かい合って目を閉じて沈黙の時間

先日、ヒッポクラブの例会で、ロシアの女子大生をホームステイさせた人の話を聴いた。

その女子大学生は、ロシアへ帰国する別れの日、お世話になったホストファミリーのお母さんに、手を取って、「何も云わないで、ただ向かい合って座って下さい」と、頼んだとのこと。

お互いに、向かい合って、目を閉じて、黙って、座って、数分。

数分静かな時間が流れ、そして、「成田へ行きます」と、出発したと云う。

ロシアでは、家族で、誰かを送り出す時も、輪になって、同じことをすると云う。

黙って、向かい合って、目を閉じて、旅立ちの祈り、別れの祈り。

日々の慌ただしさに、ひと時の大切さが伝わる儀式。初めて知った、心の交流の儀式。

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January 26, 2012

大学時代のクラブの後輩、シェル元CEOと3人の記念写真、

昨日は、ホテルオークラで開催された石油関連の国際セミナーに出席し、シェルの元CEOや、OPEC事務局などの講演を聴いた。

夜、のレセプションでの出来事。何と、大学時代の民族舞踊研究会で、大手銀行に入った筈の後輩と偶然会場で会ってびっくり。何故と思ったら、最近、関連の大手プラント会社の役員になって、このような石油のセミナーに出席していたとのこと。この後輩とは、大学卒業以来2回も、偶然に会った。もう一度は、1991年頃、アブダビから休暇で豪州へ旅行中、シドニーで、偶然にも、この後輩に会い、この時も驚いた。彼は、その時、日本から出張中で、不思議な縁があるものだと思った。

そのプラント会社は、LNGのプラントなどでも、有名でもあり、レセプションで近くにいたシェルの元CEOと3人で、話したり、記念写真。

来日中のシェルの元CEO(オランダ人)と、話したり、記念写真を撮るのも、全く思いがけない出来事だった。世界の石油メジャーのシェルやエクソンやBPの、そのシェルのCEOと記念写真など、初めての光栄だった。

「シェルの元CEO、大学時代のクラブの後輩、私」の3人の写真、この記念写真を、帰りに何度も、何度も、繁々と眺めた。朝、出勤する時は、このような写真を撮る日になろうとは、夢想だにしなかった。

縁は、人を引き離したり、人を会わせたり。日々の神秘的とも思える、新鮮な展開を思う。

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January 25, 2012

自他一如、無我へ向かうと云うこと、

人は、自由を求め、かつ人との繋がりを求めている。

自由になればなるほど、孤独が増す。

人との繋がりを求めれば、求めるほど、不自由が増す。

だが、それは修行していない、凡夫のはなし。

五感六識に振りまわされて、安らぎは絶望的に来ない。

"自他一如""無我"の世界では、自由で、そして人と繋がっている。その世界は、永遠なる安らぎの世界。

一念を以って万念を制し、そしてその一念も、最後には消し去る。

それが、修行の道だと、私は感じている。

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January 24, 2012

安らぎへの道、

人は安らぎを求めて必ず歩かされる道があると云う。

祈り、働き(作務)、哲学、坐禅。確かに、人は、苦しみもがいている時、どれかを選んでいる。

どの道からでも、自分にあった道を選べばよし。

住職は、日々、樹木や草木とも対話している気持だとおっしゃる。

気が丹田にしっかり落ちて、生活すれば、さぞ、穏かな日になるだろうと、私は憧れる。


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January 23, 2012

たなびく赤いハチマキ、都道府県対抗駅伝

昨日、TVの都道府県対抗の駅伝(広島)中継で、後半の5区で、熊本・九州学院高校3年の久保田選手が、赤いハチマキをたなびかせて、トップとの49秒差の13位から12人をごぼうぬき、1位でたすきを繋いだシーンを見た。

その軽快な走りと、たなびくハチマキに、私も高校1年生の時、大牟田市立記念グラウンドで行われた陸上競技の大会の3000メートルで、校内で1位になった時の高揚感が蘇った。

私は、赤いランニングで、軽快なピッチで、ただ、ひた走りに走った。2位を一周近く引き離しての優勝だった。

たなびくハチマキが、私の高校時代を想い出させてくれて、感動した。

人生に於いても、ハチマキをたなびかせて走り、たすきを繋げたら凄い幸せだと思う。

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January 22, 2012

映画「めぐみ」、江ノ島にて、

昨日、江ノ島で、映画"めぐみ"の会場で、「めぐみへ、横田早紀江、母の言葉」と云う本を買った。「どんなにめぐみが、ぼろぼろになっていても、必ず命を与えて返して下さい」と云う言葉が、表紙の親子の写真に添えられていた。

ある日突然降って来た、大きな苦しみ・悲しみ。人生に重く圧し掛かって、残り、その後の人生から安らぎを奪ってしまった出来事。

自分の娘が幼かった頃、13歳の頃、ある日、行方不明になったらと想像すると、私は、気が狂い出すように苦しい。

これまで、30年以上、めぐみちゃんの救出に闘い続けて来られたご両親。横田夫妻を見ていると、まるで、自分が愛されているようで、神々しささえ感じる。

戦争時代でなくても、現代でも色々な人生の事件で、同じような、苦しみ・悲しみを、ずっーと背負い続け、生きている人も世の中には、数少なくはないと思う。

それでも、めげることなく一途に生きて、そして気づき、学び、いつしか、宇宙に理のようなものに導かれ、安らぎの日が来ることを、私は、念じている。

全ては、神の御心のうちに。全てを神に委ねる。

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January 21, 2012

大晦日のように挨拶、春節、

昨日、韓国・台湾の人達と仕事で話す時に"Happy New Year" と云うと、とても喜んでくれた。仕事のEmailにも、必ず、Enjoy your New Year Holidayなど入れると、とても喜んでくれた。

来週前半まで、韓国・台湾は旧正月で休みになる。

インターネットで、横浜中華街の春節の行事を見ると、沢山のイヴェントがある。22日夜24:00はカウントダウンとあった。1月22日は大晦日であることを知った。

山下公園のステージでは、28日、29日にも、獅子や龍の舞いのショーもあるらしい。

私も、時間を見付けて、横浜中華街に春節のお祝いに、顔を出してみたくなった。

私の知らない世界が、何か、いつになく新鮮に感じる。中国・韓国の人達を深く知れるような気がする。

自分以外のことを、知ることの驚き、清々しさ。そうだ春節に行ってみようと思う。山下公園の海、氷川丸の海、お正月、おめでとうございます。

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January 20, 2012

懺悔と感謝で一日を始める、そんな日々が安らぎへ

先日、住職に、私のノートに直に、毎朝唱えるとよいと云われる「懺悔文(さんげもん)」を書いて貰った。

「我 昔より造れる諸々の悪業は、皆、無始の貪瞋癡(とんじんち)に由りて、身と口と意よりの生みものなり。一切、我、今、懺悔したてまつる。」(貪瞋癡=怒り・貪り・愚痴:即ち人間の三毒)

両親へのお礼を尽くせなかったこと、今までの人生での、色々な人間関係での不義理の数々など、懺悔することは、修行の入り口だと思う。

毎朝、懺悔の言葉と、有難うございますと、何度も唱え続ければ、新たな境地が開ける気がする。

懺悔と感謝が、やがて、無我への扉を開くと思う。それは、光に包まれていくと云うこと。

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January 19, 2012

遺品、

先日インターネットで、遺品整理士と云う資格があることを知った。孤独死との関係で、そのような資格認定協会もできて、市町村などの依頼で、実際に活動されているとのことだった。

誰しも、死ねば、誰かに遺品の整理はして貰わねばならない。 なるべくならば、身内の誰かや、親しかった人に遺品の整理をして貰いたいだろうと思う。

そして、日頃の自分の人間関係のことを振りかえる。

私の母が亡くなった時、弟が、「これ兄ちゃんが産まれた時の"臍の緒"」と云って、母の遺品を見せてくれた。カラカラに乾燥した"臍の緒"を私は初めて見た。満洲の引き揚げの苦難の中で、幼児の男の子を亡くした母は、引き揚げ後、日本で再婚して、私が生まれた時、どれだけ、嬉しかっただろう。亡くなった男の子が、だぶって見えたことだろう。

それから、母が使っていた、小さなガラス容器入りのハンドクリーム。蓋を回転して開けると、私が子供時代に甘えていた母の香りが、一杯に広がった。今でも、そのハンドクリームの蓋を開けると、母と会える気がする。

遺品って、凄い。人生が凝縮されて、一杯に詰っている。自分は、どんな遺品を遺すのだろうと、不図考える。

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January 18, 2012

夕日に向かっての旅立ち、タゴールの詩との出会い、

昨日は、終業後、丸の内カフェで行われた、英語で俳句の講演を聴いた。

芭蕉がBanana,一茶がCup of Teaとか、面白い表現に先ず、笑った。俳句の伸び伸びとした、自由な自然の表現に、清々しさを感じた。英語で表現しても、感動に於いては、同じだとも感じた。

講演の中で紹介して貰った、インドのタゴールの詩が、何故か禅的なインスピレーションに富み、強烈に印象に残った。

"Mind's underground moths grow filmly wings and take a farewell flight in the sunset sky". 地面の下の蛾の幼虫が羽を伸ばし、夕日の空に向かって最後に飛び立つ様子を想う。"夕日に向かって飛び立つ門出の飛行"と云うシーンが凄い。始めと終わりが一体化している。まさに禅の世界のようなシーン。

"The butterfly count not months but moments ,and has time enough" 蝶は、月でなく、瞬間を数える、それでも蝶にとっては十分な時間。 蝶にとっては、月とか云わなくても、瞬間、瞬間が十分な時間。 何十年も生きる人間が、一体、はかないと云えるのだろうか。

壮大な気づきに導かれるタゴールの詩との出会い。

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January 17, 2012

雲外の人、禅の真髄

太田洞水老師の説法の中で、昭和を代表する禅僧・沢木興道老師の言葉が紹介してあった。「ちっぽけな後天的な業生は、坐禅することで、いっぺんに吹っ飛ぶ」、「坐禅は透明でなければならぬ、悟りとは明々白々でなければならぬ。少しでも濁ったものがあれば、それは人間臭みのあることで、坐禅ではない。坐禅が、方向が間違ったものであれば、何万年座っても坐禅にならない」と。、

沢木興道老師の弟子であられた太田洞水老師の言葉は、次のように続く。

「たかが知れた自己にしがみついている限り、雲外の世界はわかりません。百尺竿頭さらに一歩せぬ限り、雲外の世界の素晴らしさは、知ることはできません。坐禅は人間内の出来事を一切感知しないのです。

如何なるかこれ祖師西来の意?(問い) → (答え) 庭前の白樹子。

如何なるかこれ「道」?(問い) →(答え) 大道は長安に通る。

何とほがらかな、澄みきった答えでありましょう。坐禅は、何物にも汚されない、何物にも垢つかない澄んだ世界なのです。あるとおりに生きる、あるとおりにある、これが坐禅の正体なのです。 」

雲の外とは、無我の世界、永遠にして安らいでいる世界。自分が消え去った果てにしか見えて来ない世界。禅の真髄を、力強く説かれる太田老師の言葉に、住職の顔が浮かぶ。

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January 16, 2012

太田洞水老師、渾身の説法、

一昨日の坐禅会のこと。静かな語りながら、太田洞水老師の、30年以上も前の肉声テープが響きわたる。

「坐禅は、瞑想でもなければ、心を一点に集中することでもありません。キリスト的な祈りでもありません。

禅は悟ろうとする心さえも排除します。坐禅は、人間の営みの外に出ることです。

仏道は、人間の高度な生活の延長上には無いのです。人間の生活・人間道とは、全く隔絶したものなのです。

仏道は人間道の否定なのです。

人間道に立つ限り、仏道は全くわかりません。

その全くわからないと思われる仏道に立ったものが坐禅なのです。坐禅は微塵の人間臭さも許しません。その人間臭さを無いところに、坐禅の正体があるのです。」

説法の、ほんの最初の部分だけだが、修行の末の、気迫溢れる禅の高僧の命がけの言葉だとわかる。流石、住職が正師と云われる方だと直感する。

仏道は、自己を学ぶことなり、自己を学ぶとは、自己を忘れることなり。まさに自他一如、無我の世界を感じる力を、人間が持つことの証し。私は、無我と云う光に導かれる。

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January 15, 2012

中途半端な別れ、

昨日は、昼から、各地の坐禅のサンガ(集まり)に参加し、昼から一日中、ずーっと住職と一緒だった。

昨日、住職の若かりし頃の師、太田洞水老師の30年以上も前の講話テープを初めて聴かせて貰った。

20年間、山に篭られ、住職が出家していた寺の丸山英智老師を、ある日尋ねて来られた日のことを、住職はよく想い出すとおっしゃる。擦り切れた藍染めの衣を着て、雲水の格好で、山から降りて尋ねて来られた時の姿に感動された日のことを。これこそ、気骨なりと云う、修行の覚悟だったとのこと。

当時、住職は、まだ若く、その後、インドへ行ったり、台湾へ行ったり、太極拳を勉強したりしたことを称して、太田老師には、「あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、"まるで野良犬の残飯あさり"」と云われたことを、今でも住職は苦笑される。

その太田老師が亡くなられる直前の命がけの講話のテープが最近見つかり、今はその話の内容の凄さがよくわかると、住職は、テープおこしの文章を紹介して、その当時の講演のテープを聴かせて下さった。

それだけの凄い師でらっしゃったのに、太田老師とのつきあいは、中途半端な別れであったと回想される。

"中途半端な別れ"と云う言葉が、私には、妙に心に響き、人生と云う街道を行く旅人の姿を想った。大切に想う人との関係ほど、想い出せば、中途半端に感じられるもの。ざんきの念に駆られるもの。句読点のない別れ。それは、今でも、共に街道を歩いらっしゃると云うことではないかと想った。

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January 14, 2012

NHKドラマ・カーネーション、母との時間、住職との時間

私の母は、NHKの朝の連続TV小説を、生前よく見ていた。今、私の、妹も、その時間には電話をしない方がよいほど、いつも見ていると思う。

私も、時々見ては、寧ろ、母や妹のことを想い出していた。

最近、住職が、今放送中のカーネーションが好きで、よく見られていることを知った。住職が生まれ育った、場所や、当時の街、登場人物の方言、人間模様などが、自分の子供時代の記憶が蘇って、好きな番組とのことを聴いた。

それ以来、私も、朝、カーネーションを見るようになった。

ヘえー、住職が育った環境は、こんなだったんだと、感慨深く、番組を見る。

カーネーションは、母の時間、住職の時間。

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January 13, 2012

人生にも天変地異、ただ淡々と、

昨日昼、会社のビルで、緊急地震警報が鳴り、昨年3月の震災の記憶が甦った。さほど大きな揺れもなく、ほっとした。

昨日、インターネットには、「東海地震の30年確率88%に上昇、南海は10年20%程度に」政府調査委員会と云う記事が出ていた。日本のどこにも、大災害が来るかは、誰にもわからない。

政治では、イランの核兵器開発阻止の米国の動きが、現実味を帯びて来た。同盟国のイラン原油輸入削減のステップは、米国・イスラエルが、軍事行動へ移る警告でもあり、その準備期間に入っているようにも感じる。軍事行動があれば、世界中は混乱すると思うが、何かに引き寄せられるかのように、政治が動いている。

今まで、非現実と思っていたことも、現実化する可能性が増している。東日本震災以来、何事もあり得ると云う、人生観が、強く根付いたように思う。

与えられた環境の中で生きる。死であっても、淡々と受け入れる。そんな覚悟を新たにする。

尊敬する住職にも持病がおありで、五感六識で感じる住職との時間は限りがあると覚悟している。「万物は、無常にして無我なり」、この言葉に救われる。無我とは永遠である。

今朝も、この朝日の神々しさに感動する。今 ここを生きる。

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January 12, 2012

久しく見ていない紅白歌合戦、

そう云えば、紅白歌合戦は、もう何十年も見ていない気がする。

紅白歌合戦は、子供時代に家族で見た想い出。家族の状況が核家族化してしまって、その家族でさえバラバラになってしまったら、家族団欒の象徴たる紅白は、辛くて見ていられない。他の番組が面白くなくても、紅白は避けることが常態となってしまった。

それでも、慣れて来ると、最近は、もう紅白に関心さえ無くなっている。それで好しと思う。家族団欒は求め過ぎたら子供っぽくて、辛い。元々、人は、一人を楽しむくらいの気持がなくては幸せとは云えない。誰かがそばにいないと寂しいと思うことは、精神が高められていないと思う。

自分が寂しかろうが、寂しくなかろうが、そのことよりも、身を捨てて、気になる想いが他にあるだろうか。その想いが、仏性(自他一如)に通じていると想う。

紅白を見ても、何も寂しさを感じなくなったら、私の修行は進んだことになる。私は、また淡々と、笑いながら紅白を見れる日も来ると、私の心の地平線の先に描いている。

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January 11, 2012

ヴァイオリン・リサイタル、幼児の時の娘の光景、

昨日、娘が幼児の頃、会社の同じアパートの棟で友達だった女の子のヴァイオリン・リサイタルが表参道のコンサートサロンで開催され、わくわくしながら出掛けた。

終業後、直ちに、ちょっと気になる仕事も放っぽりだして、表参道へ向かった。娘も横浜から表参道へ。会場は、約150人くらいの方々で満席で、元の会社の懐かしい面々の方々との再会にも、当時を思い出して、胸が一杯になった。

女の子は成人して、今は米国のオーケストラに所属し、ニューヨークを中心に活動して、今回は初めて、日本でのリサイタルとのことであった。渡米して初めてオーケストラと演奏したロンド・カプリチオーソと云う曲など、ヴァイオリンを学んで来た、想い出の曲を沢山聴かせて貰った。

娘と遊んでいた、当時4~5歳だった女の子が、今、こうして、本格的なヴァイオリンを奏でていると、その光景を感慨深く眺めた。女の子も、親の転勤で、海外生活が長く、もう20年くらい娘とも会ってなかったから、二人は幼児の時以来の再会だった。

演奏終了後、まるで、子犬が、お互いを確かめるような、再会のシーン。

人生の、それぞれの想い出のシーン。心は、自由自在に、時を飛び回る。

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January 10, 2012

命日と云う緊張の日の存在、

人は、自分の命日を知らず、意識せずに生きていることが不思議に思う。

誕生日は十分意識して生きて来て、命日は、死ぬまで知らずに生きるのは、何か中途半端で、落ちつかない気もする。身体の寿命の完結する日としての命日。何か完結する日が決まってスッキリするような気がする。

毎年、自分の命日であろう日を知らずに、意識せずに、淡々と平凡に過ごし、その日を素通りさせてしまう、その大胆不敵さ、無神経振りにも驚く。

その誕生日も、命日も、それを眺めているもう一人の自分もいるような感じもする。身体と云う"波"が、"大海"と云う仏性(宇宙意思)に返る日が命日かと思えば、確かに、淡々と返れば、それで好しとも思う。

自然の理、バイオリズムでは、人は、誕生日の半年後くらいが命日になることが多いと云う。私の場合は、年末が誕生日だから、私の命日は、夏頃かと、ふふーんと夏の情景を想像する。

自分の命日を想像して、生きることは、人生の充実には大切なことだとも思う。

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January 09, 2012

"片想い"が人生

人間関係の本質は、"片想い"だと思う。

親が子に対して想っていることは、子供は気づかない。誰しも、振りかえれば、自分もそうであったことに気づく。生物として、そのように刷り込まれている個としての生物のさが。哀しい片想い。

他人との関係に於いても然り。こちらが想っている時に、相手はその想いに気づかない。 反対に、自分も想われている時に、自分は気づかない。哀しい片想い。

人は、いつも片想いの悲哀と共に生きている。幻を求めてるように彷徨っている。

遺伝子に刷り込まれているような、片想いの性分。そう気付けば、人生に優しくなれる。

苦悩に満ちた自分の想い、周りの気持に気付かない無神経な自分、それが人間の実像。

片想いが人生。哀しくも愛おしい人生。

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January 08, 2012

小雪舞う故郷・大牟田だった、新幹線・新大牟田駅

1月4日、今年の正月の九州・大牟田への帰省から、横浜へ帰る日、大牟田は小雪が舞っていた。

寂れた街の、小雪の光景も、正月の想い出になる。

帰省は、都会の生活から、時に自分の原点を見るようで、ハッと自分に気づく。

帰りは、初めて新幹線・新大牟田駅から、全線開通したばかりの九州新幹線を体験した。博多まで今までの半分の33分。駅の周りや内部、新幹線の車両など、好奇心一杯に眺めまわした。

大牟田では、かなり郊外の田舎の風景の中に、出来た新大牟田駅も、大牟田らしくて好い。

新大牟田の次の駅が、"筑後船小屋"と云うのが驚いた。大牟田から近くて、久留米の手前の船小屋も、かなり田舎なのにと思った。子供時代に家族で行った船小屋温泉センターがあった場所。船小屋と云う響きが懐かしい。

これから田舎が、徐々に、新たに開発されて、街の中心が代わっていくのかも知れない。

私の人生の旅の車窓にも、心地よく、小雪が舞う。

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January 07, 2012

映画「めぐみー引き裂かれた家族の30年」、是非、見なければならない映画

最近、自宅の近くの図書館で、広報掲示板に、映画「めぐみー引き裂かれた家族の30年」の映写会の案内ポスターを見た。まだ見てはいないが、近々是非、見に行かねばと思う。

1977年11月15日、13歳の横田めぐみさんは新潟の海岸の通りで拉致された。私は、新潟に1974年~1977年まで住んだことがあり、護国神社そばの拉致されたと思われる場所も、昨年新潟へ旅した時に訪れ、この事件の身近さを感じた。

もし、私の娘が13歳の時、拉致されたとしたら、想像するだけで、気が狂い出しそうになる。

数年前、偶然、横田夫妻がJR川崎駅の東海道線のホームにいらっしゃって、私は思わず近付いて、「頑張って下さい」と、声をかけ、握手させて頂いたことを想い出す。

もし叶うなら、出来るなら、私が、めぐみさんになって、ご両親の前に現れたいと、云う気持になる。

心の中では、めぐみさんも、ご両親も、ずーっと繋がっていると想う。その親子の魂がずーっと、繋がっていることが私には、見える気がして、ジーンとする。

ご両親は、たぶん支援者の中に、めぐみさんの幻がはっきり見えてらっしゃる気がする。ご両親の姿は、神々しく見える。

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January 06, 2012

大手町の光景、大手町の夜景

昨日は昼、大手町・経団連会館で、石油連盟の賀詞交換会に出席した。最近は、ビジネスに関する意欲より、ただ、懐かしい人と会うのが楽しい。仕事に留まる人間関係と、仕事を越える人間関係のことを思う。

夜も、再び大手町へ行って、丸ビルで開催中の日本クラフト展と云う催しを見学した。色々なアイデアの細工の数々に、脳が活性化される思い。碁盤の碁石を、ウサギの顔にしてあるのには、着想にハッと驚いた。

大手町を歩くと、西には皇居が見え、東には改装中の東京駅、冬の寒い空気の中、ビルの灯りが幻想的で、暫く立ち止まって見上げた。行き交うビジネスマン達の、「今日は寒いねー」と云う声が聞こえて来ても、私には、寒さが寧ろ心地好いほどだった。コートにマフラー、手袋をして、大手町の灯りを楽しんだ。

今日も、昼は、新橋第一ホテルで、LPガス協会の賀詞交換会が行われる。仕事ドップリだった頃の自分を想い出しながら、今日も懐かしい人との再会を楽しみに、行ってみようと思う。

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January 05, 2012

哀しみも、幸せも、恰も呼吸のように、

哀しみは、紛らわせたり、忘れたりするする時、穏かな気持になり、時に幸せも感じたりもする。

哀しみを想い出したり、紛らわせたり忘れたり、それは恰も呼吸のように。

哀しみを紛らわせたり忘れなければ生きて行けない。哀しみがなければ、生きてる実感もない。

人それぞれに、神から与えられた哀しみ。そして、厳然として、生きている実感。

床の中で、そんなことを、朦朧と想いながら、今朝目覚めた。今日から、2012年の平常な日々が始まる。

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January 04, 2012

横浜へ帰る日、新たな旅立ち

1月4日、九州から新幹線で、横浜へ帰る日。

心の中の龍が、可愛らしく見えるような、そんな生き方をしたいと思う。

数々の仏縁に触れて来たのだから。

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「自分の龍を飼い慣らしなさい」、ブータン国王の話

去年11月来日したブータン国王が、福島県・相馬市・桜ヶ丘小学校を訪問した時、小学5、6年生、157人に、国王は、ブータンの国旗にも使われている龍について、こう話はじめたと云う。

「皆さん、龍が存在すると思っている人は手をあげて下さい。 じゃー龍の存在を信じない人は? 私も王妃も見たことがあります。龍は何を食べて生きていますか?」、子供達が一斉に、「草!」、「肉!」 など答えると、

龍は自分の体験の上に存在します。私達一人一人の中に龍が存在するんです。私達の中に人格と云う龍が住んでいるんです。年をとって経験を積むと、その龍も大きく、強くなって行く。大切なことは、自分の感情とか、湧いて来るものをコントロールすることです。」

仏教の根本が、語られていると感じた。

確かに、誰しにもある心の中の龍。龍が暴れるに任せると破滅だが、これを飼い慣らすと、龍ほど可愛いものはないのかも知れない。いずれにせよ、生きてる限り、つき合わざるを得ない"心の中の龍"と云う生きもの。


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January 03, 2012

お正月のお笑い番組、

お正月には、お笑い番組が多い。私は、子供時代からお笑い番組が大好きだった。今でも。

多くの人が、お笑い番組が好きだと思う。人間には、根本に寂しい気持もあるから、笑って、憂さを晴らしたいと云う、その反射作用なのかも知れない。

自分が悲しみの津波に、さらわれない為の、バランスかも知れない。

そう思って、せっせと今年も、ギャグを考えようかとも思う。

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森鴎外、夏目漱石、不幸な結婚、

先日、上野・森鴎外の住居跡の碑を読んでいたら、鴎外が結婚後、すぐ離婚する不幸な結婚をしたと云う記述を見た。

夏目漱石も夫婦の仲は極めて悪かったと云う。

ただそれだけでも、不幸な結婚も悪くないと、自信が湧いて来る。

相性が良いのか悪いのか、それもわからずに結婚してしまう愚かさが、そのおっちょこちょい振りが、滑稽で、親しみが湧く。

鴎外や漱石の当惑が、目に見えるようで、仲間意識が湧いて来る。

そして、結局は、全てから学べば、それで好いのだと思う。

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January 02, 2012

師弟関係、永遠の修行

住職は、この正月、5年振りに、小浜の仏国寺に、原田湛玄老師を訪ねられる予定と聴いた。

お二人の再会のシーンは、想像するだけでジーンとして来る。

「今世では、貴方が私の弟子だが、来世でも墨染めの衣を来て、今度は私が貴方の弟子になっているかも知れません。生まれ代わり、死に代わり、生々世々、修行は限りなく続けて行くものです」

あのお二人の会話には、無言のうちにも、こんなやり取りをされて、微笑まれていると想う。

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不忍池・弁天島、長谷川利行の碑

師走に上野を散策した時、不忍池の弁天島に、長谷川利行と云う放浪の画家の短歌の碑があった。

「人知れず 朽ちも果つべき 身一つの 今がいとほし 涙ぬぐわず」

「この身の影も とどめず 水すまし 河の流れを 光てすべる」

昭和15年10月12日、49歳で没するとあった。

長谷川利行(1891~1940)は、日本のゴッホと云われるとのこと、いつか絵を見てみたいと思う。


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January 01, 2012

2012年、年賀状

日常が、小さな驚きに散りばめられた、平穏な日々、そんな人生が幸せなのではないかと思いつつ、新鮮な気持で、2012年の始まりを迎えます。

そして、波が大海を感じるように、"自他一如"に憧れて、今年も精進出来ればと希望しています。

ご交誼に感謝して、ご挨拶申し上げます。今年も宜しくお願いします。 2012年 元旦、

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大晦日、上野散策

今年の年末年始は、帰省をずらせて、1月1日のフライトで福岡に帰り、4日の新幹線で横浜へ帰って来る計画を立てた。今年は、久しぶりに横浜で年越をした。

大晦日は、上野・アメ横の喧騒を体験し、不忍池の一面の枯れた蓮を見ながら池の周りを散策した。森鴎外住居あとにある、ホテル鴎外荘も訪ねてみた。快晴の冬晴れの日、心休まる不忍池の光景だった。

夜は、町内会で、年越し蕎麦を作って振舞う行事があったので行ってみた。近くの公園に、焚き火で暖をとり、野外で蕎麦を食べる体験だった。寒い公園で、近所の人と世間話をしながら、暖かい蕎麦を頂く。これも、町内の大晦日の新鮮な体験だった。

除夜の時刻は、自宅からすぐの白幡八幡神社で、初詣、松明などでライトアップされた幻想的な神社の境内で、列で、待つ事15分、無事2012年正月の参拝を済ませた。参拝の後、振舞いのお神酒、甘酒を頂いて、静かな気持で、2011年を見送り、2012年に気合いを入れた。

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