無限、永遠性への扉、
"無我"、"空"とは、"何も無い"と云う意味ではない、「同じ」と云う意味。全ては、大海、仏性、神性、アートマン、と云う意味。
救済とは、こちらの岸からあちらの岸へ連れて行ったりするものではない。「そのままでよい」と悟らせてあげることが救済。
坐禅は、何かをやるものではない。全てをやめること、全てを取り払うことである。
宇宙は"開"と"合"からなる。呼吸と同じ。種子と樹木。陰と陽。プラスとマイナス。
「ニワトリが先か、玉子が先か?」こんな身近な聴きなれた疑問に、住職は、ニワトリが"開"、玉子が"合"と説明してくれた。
最近の住職の言葉は、無限、永遠の世界を垣間見させてくれる。
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