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December 31, 2011

大晦日の朝、ブッダの言葉、道元の言葉が溢れて

今日は、2011年の最後の日。

昨日、みなとみらいで、偶然入った書店で、「ブッダの言葉」、「道元の言葉」、「般若心経の科学」と云う本が目に入り、衝動的にそれらの本を買った。

ブッダの言葉、道元の言葉に、ハッとさせられる。やはり私は、導かれているのだと思う。

さて、今日は、ちょっと曇り空に、目玉焼きのような朝日。

私の心を整え、生き方を整え、新しい年を迎えようと思う。 2011年大晦日の朝。

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December 30, 2011

初島への小さな旅、

昨日、冬の朝、妹が住む小田原・開成の、大好きな田園風景を散歩をした。畑の中の小さな小川のせせらぎに、感動で立ち止まる。開成の田園風景は、私の安らぎの風景。

横浜へ帰る寄り道に、ちょっと足を伸ばし、熱海から船に乗り、初めて初島を訪れた。民宿34軒、食堂21軒、人口160名プラス、エクシブ(大ホテル)従業員を入れて合計約200名とのこと。

港で早速、岩海苔ラーメンを味わった。大海原を見つつ、露天風呂にも入った。アジアンガーデンと云う、テントやキャンピングカーのある丘も散歩してみた。こんな自然の中、童心に返り、いつか泊まってみたい気持にもなった。

夕方、港の食堂で炬燵に入り、海を見ながら、熱燗を2合。熱海まで25分の船旅は、夕照の富士山へ向っての幻想的な船旅だった。

2011年が夕日のように暮れて行く、船は富士山を目指して進む。「晴れて好し、曇りても好し、富士の山」、富士は人生の羅針盤。

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December 29, 2011

オレンジカクテルにパイナップルが加わって、朝日が昇る

今年は、久し振りに横浜での年越しになる。今年は、帰省をちょっとずらして1月1日の年賀状を見てから、昼の飛行機で出発することにした。

人生を山登りに例えるならば、年末年始は、峠。 人生を静かに眺望する。

心は禅で整え、身体はミキプルーンで整え、魂は仏性だから、そのままで好し。

日々の生活にも小さな驚きを感じながら、平常心と小さな幸せの感動の中で、生きて行きたいと思う。

漆黒の闇から、朝日が昇り始める早朝の光景を、「オレンジカクテルに徐々にパイナップルが加わって行く」と云う表現に最近出遭った。今朝も、東の空のオレンジカクテルに、パイナップルが加わるまで、眺めていたい。


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December 28, 2011

お年玉の金額の単位を考案、

今日は、仕事納めの日。終業後、小田原の妹の家に泊りがけで行く約束をした。お年玉の準備をして行く。

今年も、妹、弟の子供達の為に、何か突拍子もないアイデアを考えた。お金の単位を、「三郎(ザブロー)」と決めて、それは3600円を意味することとする。私は、昔から、何にでも語尾にザブローと付けて呼んで、子供達と遊んでいたから、何時のまにか、私が愛称で「ザブロー」と云われるようになっていた。

「2三郎」とは=7200円(3600円X2)、 「1.5三郎」は5400円とか面白い。 それを、お年玉の単位として、お年玉袋に書いておく。 お年玉は、10,000円が上限。10,000円なら、「3三郎-800円」と表現する。

子供達の反応が、楽しみだ。 叔父さんは、やっぱり「アホ」だわと思うだろうか。それでも、自分の表情が、今から、ニヤニヤして来るのがわかる。 このひょんきんさは、親父譲りの性格だと思う。

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December 27, 2011

きゅうりは猿に、大根は鹿に、作物を荒らされて、

群馬の吹き割りの滝の近くの田舎暮らしの、病気がちのお年寄りが、ぼやいていたと云う話を、昨日、友人から聴いて驚いた。最近、畑の作物をことごとく、動物に食べられてしまうと云う話だった。

きゅうりは猿に、トウモロコシはクマに、大根は鹿に、じゃが芋はイノシシに。

最近、身体も思うように動かず、動物を追い払えないので、益々、被害が増え、もう作物は作ってられないと、ぼやいているとの話が、思わずメモしたくなるほど新鮮だった。

猿は親子で集団でやって来て、きゅうりを食い散らかして行くと。鹿は、凍りついた大根をむしゃむしゃと食べると。イノシシは、鼻で土を堀り起してじゃが芋を掘って食べると。クマはトウモロコシ畑を、丸く円形に食べ漁って行くと。

こないだ、猿に、「もう来ないでくれ」と頼んだが、また来て、聴いて貰えなかったとか、余りにも、牧歌的で、笑ってしまった。

畑の持ち主は、それでも、動物にしてみれば、自分が生活するのと同じように、一所懸命に生きてるのだろうとも思って、諦めているとのこと。今は、自分の土地だが、本来は、動物達の先祖伝来の土地・縄張りだったかも知れないとも思うとのこと。

何だか、田舎の光景が、耀いて、人間も動物も、耀いて見えた。

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December 26, 2011

「皇国の興廃、この一戦にあり」、死ぬ覚悟

最近また、「坂の上の雲」をTVで見て、日本海海戦の時の東郷元帥の檄、「皇国の興廃、この一戦にあり」の言葉の迫力を改めて感じた。初めて真の意味を理解した気がした。 彼らは死ぬ覚悟をしていたと思う。

この一戦に負けたら、日本は帝国主義ロシアに蹂躙されてしまう危機的状況にあった。捨て身の戦法(敵の標的になり易い、敵艦隊の眼前に横一線に広がる前代未聞の戦法で、集中砲撃の正確さで)勝利した。

その時、海軍の兵士達は、日本国民を背中に背負って、ロシア艦隊と刺し違えて死ぬ覚悟を、していたとのだと思う。対馬海峡にロシア艦隊を見た時、彼らは、死に場所を見付けたりと思ったことだろう。

思う存分戦って、日本を守るこの機会を寧ろ、男子の本懐と思ったとことだろう。このような場面に、身を置けた彼らが見た人生は、どれだけの感動的なものだったか、はかり知れない。

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December 25, 2011

クリスマスの夜の禅の講話

禅は集中ではない。心の統一でもない。ただ、何もしないのが禅。究極の禅の境地の話が心地好い。

「生滅」に対峙して、滅して、滅して、滅して行くか、生じて、生じて、生じて行くか、いずれを見るか。滅ばかりを見てはならない。

薪が灰になるのではない。薪は薪、灰は灰。解脱した人は、過去を引きずらない。未来も願わない。

全てを経験して来た人は、やがて放棄が始まる。執着がなくなって行く。

無執着という静寂の世界。見つつ見ず、「かくの如く、それを見ない」世界。

全てが仏。一切は仏。

クリスマスの夜、住職の話に聴き入った。2011年の暮れ、静寂の境地に憧れる。

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December 24, 2011

クリスマスの朝、娘のパソコンにて、

Merry Christmas !.

今朝、自分のパソコンのインターネット接続が不調になり困った。どうしようかと考えたら、朝、娘に頼んで、娘のデスクトップを使わせてもらう事にして、ほっとした。

土日勤務(火水休暇)の娘は出勤前に、パソコンを準備してくれて、娘の部屋に入った。

娘の部屋で、娘のパソコンで、ブログを書くとは、これも、新たな体験、クリスマスの日の想い出になるかも知れない。

娘は小学1年生くらいまで、サンタクロースを信じていたかも知れない。アブダビに住んでいた頃。サンタクロースを信じている振りをして、親の夢を壊さなかったのかも知れないなど、微笑ましく想い出す。今年は、先月、シンガポール出張の時、サンタクロースの袋にお菓子の入ったプレゼントを買って来て渡した。部屋には、私があげたプレゼントが飾ってあった。

さて、今日は、年賀状頑張らなくちゃと思う。夜は座禅の会。穏やかなクリスマスの朝。

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December 23, 2011

人生のシーン、ベスト10、

ゆっくりと、ゆっくりと、2011年が更けて行く。沢山の「今 ここ」の想い出を残して。

今まで生きて来た人生で、楽しかったことのベスト10とか、ベスト5を考えることは、時に必要なことと思う。

その想い出に、勇気つけられるから。

案外、自分が運が好かったことも、色々あるじゃないかと関心する。

人生のシーン、ベスト10は、いつも、考えて、心に携えておくと好い。生きる力が湧いて来るから。

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December 22, 2011

18歳、大学上京、母との別れ

私は、18歳まで、九州・大牟田で両親と住んでいた。18歳で大学進学で上京し、18歳の時以来、海外勤務の期間を除いて、殆ど横浜暮らし。上京後は、年に一度か二度、たまに帰省する時に両親に会う生活となった。

今思えば、18歳の上京の時が、人生では、"母との別れ"になったのだと思う。

大学の合格通知が来た時の飛び上がって喜んだ母の表情を時々想い出す。息子との別れの悲しみ、苦しみを越えていたんだと思うと、今でも胸が熱くなる。

その時、母は、息子が上京して居なくなってしまう悲しみ、寂しさを忘れるくらい、私そのものと同一化していたのだと思う。"自他一如"の境涯の扉を開いてくれたような想い出。

"今生の別れ"を経ても、その後ずーっと、私の人生を照らし続けてくれている母。今生の別れをも、吹き消すほどの光の中で、私は生きている。

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December 21, 2011

子供が愛おしいのは、不自由への覚悟

子供が愛おしく見えるのは何故だろうと思う。

親を選べず、子供の頃は、絶対的な運命に身を委ねて生きている。それは不自由への覚悟みたいなもの。

だから、潔く、健気で、愛おしくなる。

大人でも、不自由への覚悟が出来てる人は、子供みたいに、愛おしく感じる。

全ての人生の展開を、自分が背負う覚悟が出来てる人を、子供みたいに愛おしく感じる。

それは、その人が、自然界に溶け込んでいるから、自然の光景のように、美しく見えるのだと思う。

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December 20, 2011

無限、永遠性への扉、

"無我"、"空"とは、"何も無い"と云う意味ではない、「同じ」と云う意味。全ては、大海、仏性、神性、アートマン、と云う意味。

救済とは、こちらの岸からあちらの岸へ連れて行ったりするものではない。「そのままでよい」と悟らせてあげることが救済。

坐禅は、何かをやるものではない。全てをやめること、全てを取り払うことである。

宇宙は"開"と"合"からなる。呼吸と同じ。種子と樹木。陰と陽。プラスとマイナス。

「ニワトリが先か、玉子が先か?」こんな身近な聴きなれた疑問に、住職は、ニワトリが"開"、玉子が"合"と説明してくれた。

最近の住職の言葉は、無限、永遠の世界を垣間見させてくれる。

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December 19, 2011

心のコップを上に向ける、

先日の原田隆史氏の講演で、すさんだ子供達の心のコップが下を向いて、前向きに受け止める態勢ができていないので、これらの子供達の心のコップを上に向けるには、どうすれば良いかとの話があった。

偉大な明治の教育者・森信三さんの言葉にあると云う。再建の三原則。

(1)時間を守る、

(2)場を清める(掃除、靴を揃える、椅子を元に戻す)、

(3)礼を正す(挨拶をする)

この三つで、心のコップが上を向くとは、素晴らしい発見。実践・体験から来た、原則なのだろうと思う。

誰にとっても、人格を磨くには、この三原則は、大事な生活態度だと思う。

日常生活への戒めとして、素晴らしい驚きだった。

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December 18, 2011

すさんだ子供達のシーン、そして感動、

昨日は、午前中、初めて原田隆史氏(元高校、体育教師)の講演を聴いて、感動した。

大阪の荒れた中学生・高校生などを、自立させて来た逸話に、人生の厳しさのシーンや、勇気が蘇る思いだった。

ひねくれた、すさんだ子供達の実体が痛々しかった。「店で、ハムとか焼きそばを万引きする子供達は、お腹がすいてるんですよ」、「こんな豊かと云われる国で、食物を満足に食べられず、放置されてる子供達がいるんですよ」と、先生は訴えた。私は、万引きは犯罪と思うけど、僅かな食べ物を盗む子供達が、哀れで、どっと感情が揺らいだ。

親が無保険者で医者にもかかれず、前歯の無い女の子に、歯をいれる手はずをしようとすると、「情けはいらん」とつぱねられたこと。そして、その子に、運動で頑張って賞を取ったら、褒美に一本づつ歯を入れようと云ったら、それならやると云ってくれたこと。

両親が刑務所にいて、先生が挨拶をしても、「死ね」とかしか返さない子供が、運動で頑張ったら、高校も授業料ただで進学出来る話などしたら、頑張ってくれた話。

自分の教え子が、家庭の事情で、親に殺された時、教師として自信を失い、朦朧とした精神状態で、沢山の円形脱毛ができた時もあったとのこと。その時、自分の母親が隣の部屋から黒のマジックをもって来て、円形脱毛に塗ろうとした時、二人大笑いして、そして二人大泣きしたシーンは、すごいと思った。私の母とそっくりだと思った。

大阪弁でポンポン、明るく喋る、如何にも体育の先生らしい、51歳の若々しい先生だった。これも、私の仏縁であった。

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December 17, 2011

自然界の生物としての私、そして自然現象の一部をなしてる私、

今朝の日の出前の、オレンジ色の東の空を、冬のひんやりした空気の中、眺めた。

蟻ん子のような私が、地球で、日の出を待っている。

今日、この蟻ん子は、健康セミナーと、坐禅と、忘年会に行くらしい。

こちょこちょと、歩き回る蟻ん子。

途中で、知合いの蟻と出会ったり、蟻の行列と出会ったり、何か美味しい水を飲んで、赤くなって上機嫌にもなるらしい。

そして、また夜は、同じ巣穴に返って寝るらしい。蟻ん子の観察も面白い。理科の宿題にでもなりそうだ。

蟻ん子は一体、何を考えてるんだろう?

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December 16, 2011

26歳の長寿犬、老衰で死去ニュースに思う

ちょっと前のニュースに、26歳の長寿犬、人間で云えば100歳以上が、老衰で亡くなったと云うニュースがあり、メモした。

"26歳の長寿、老衰"と云う言葉が印象深く、驚きであった。

人間の26歳であれば、耀くばかりの、まだ青春時代のような、エネルギーに溢れる時期なのに、犬では老衰になる時期と云うコントラストが、自然の定めとは云え、すごいなーと思った。

人生も、26歳で、一度、死んでしまったと思えば、私は今、3度目の人生に入っていて、まるで、敗者復活戦みたいにも思えて、可笑しくなる。そして、人生を3度も、やり直せる自分の幸運と生命に感謝する。

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December 15, 2011

崖から這いあがって煙草一服の情景、耀く朝日

「"過って崖から落ちて、運良く、木に引っかかり、助けられ、這いあがって助かって、煙草一服"と云う情景を思い浮かべて下さい」と、先日の哲学カフェで横山紘一先生がおっしゃったことが、印象に残る。

命拾いをして、煙草一服のような安堵感で、日々を生きて行けたら素晴らしいとの話だった。

そうだなーと、共感した。

生きていることを前提として、その上に望むことばかりを考える日々を反省する。

先ず、今朝も、あんなに耀く朝日を見たのに、先ず、今日が始まる感謝が先だろうと思う。

私は、煙草は吸わないが、"崖から這い上がり、煙草一服して"、今日も生きようと思う。


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December 14, 2011

会社関係葬儀参列、新宿哲学カフェ80回記念、

昨日は昼、昭和シェル石油の新美・元会長の葬儀に青山葬儀場に参列した。数日前には親しい友人達とゴルフをされていたが、12月8日に肺炎で75歳で逝去されたとのことだった。2009年まで現役の会長を務められ、約1000人くらいだろうか、大勢のビジネスマンが参列していた。

弔辞には、故人の私的な人間的な面が多く触れられ、業界で有名だった新美さんの、私的な素顔が初めてわかった気がした。お孫さんからの弔辞もあり、「じーじの教えを守って、これからの日本を支える人になりたい」との言葉が、故人の人格を物語っているような気がした。

会社終業後は、横山紘一先生の哲学カフェ(新宿)に参加した。昨日は80回記念だったとのこと。テーマは「幸せについて」。幸せは龍に似ているとの発言が印象に残った。龍と云うイメージは皆知っているが、誰も現実の龍を見たものはいない。幸せとは、時に、自分の影の先を追うように、蜃気楼のように遠ざかって行く存在にも見える。

幸せを求めることは、修行と似ている。自分の面積がどんどん、少なくなって行くことが即ち、幸せに近づくことだと、私は思う。無我に近づく、自他一如に近づく、それが幸せへの道しるべ。そんなことを内心、思いながら、新宿を後にした。

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December 13, 2011

震災遺児、海音(カノン)ちゃん、

東日本震災で親を亡くした子供達は2400人いて、その中でも両親とも亡くした子供は240人いるとのことを、最近の報道で知った。

その中の一人、小学1年生くらいの海音(カノン)ちゃんのことをTVで見た。おじいーちゃん、おばーあちゃんと一緒に暮らしている。お父さんは仕事中に、お母さんと妹は車で小学校に自分を迎えに来る途中に津波にまき込まれて亡くなった。自分は、友達のお母さんの車に乗せて貰って逃げて無事だったとのこと。

小さな子供らしく、明るくはしゃぐ海音ちゃんは、悲しみを表に出せない症状が、返って痛々しかった。

マラソン大会での作文にあったと云う。マラソンで、もう走れないと思った時、お母さんの声が聞こえて来たと、妹の声も、お父さんの声も、「頑張れ」と聞こえて来たと。

時折、おじーちゃんやおばーちゃんに言うと云う。「おじーちゃんとおばーちゃんは、いつまでそばにいてくれるの?」
海音ちゃんのランドセル姿が、泣きたくなるほど愛おしい。

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December 12, 2011

大学時代の文集発見、青春時代の"どん底"

昨日、大学の民族舞踊研究会の小さな同窓会で、当時の文集を持参してくれた人がいて、何と私の文章に出会って驚いた。

そう云えば、確かに、そのようなことを書いたのは自分だとわかり、しげしげとその文章を眺めた。"妄言集"と云う題で、幾つかのニヒルなことを書いていた。

大学時代の文集だが、私が高校時代に書いた文章も紛れ込んでいて、久し振りに、詰め襟の学生服姿の私と会えた気がした。

「僕は、後悔と絶望の中に生きていました。しかし、遂に僕は、次の瞬間を生きる力を無くしてしまいました。どうしても僕は、この17年間を正当化しなければなりませんでした。(高校2年生のどん底時代の記)」

人生の泣き笑いを思う。数日前に、新宿で終電を乗り遅れるくらい飲んだのは、新宿の居酒屋「どん底」の響きに酔ったからだと思う。私は、高校2年生の頃を「どん底」と呼んでいたことを想い出した。

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December 11, 2011

観無常、無名利、

昨日は、午後から特に、時差ボケにも似たような、寝不足のフワフワした一日だったが、何とか予定通り、坐禅の会に出席、また忘年会にも出席した。但し、昨日は、二次会なしで、早目に帰宅就寝した。実によく寝た。やはり、睡眠は大事。

昨日、住職から聴いた言葉、「観無常、無名利」は、好い響き。

無常がわかれば、名利など関心が無くなる。

無常の次に、無我まで到達しなければ、無常の素晴らしさはわからない。無常と無我が表裏一体でなければ、真に無常を知ったとは云えない。

そして、「観無常・無名利」と唱えてみる。 「よし」と、気合いが入る。


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December 10, 2011

カラオケ店で夜明かし、

昨日、新宿で盛り上がって飲んでたら、終電を過ぎてしまって、横浜への帰宅を断念、カラオケ店で4人で、朝まで過ごして、始発で帰ると云う、若者並みの芸当をしてしまった。

新宿の深夜、早朝の雑踏を、新鮮に眺めた。始発の電車の混雑にも驚いた。

快晴の冬の日の朝、オレンジ色に染まる東の空の美しさ。睡眠不足なのに、何故か新鮮で、気持好かった。

早朝に駅から自宅へ帰る気まずさ、若者らしい変わったことをした誇らしさなど、自分に苦笑しながら歩いた。

「そうだ、そうだったなー、大学時代」

何だ、この展開は? と自分の昨日の縁に頭をかしげた。 訳がわからない、新鮮な一日。

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December 09, 2011

1年を10年位に思って生きれば、人生のやり直し

いつの間にか、年齢を重ねて来たことを、不図思うこともあるが、これからの1年を、10年位に思って生きてみれば、人生が、もう一度やり直せるような気がする。

1年の長さに対する感覚は、アット云う間の1年だったり、色々なことのあった長い1年だったり、様々に違う個人の感覚。

色々なことのあった1年にすれば好い。

想い出すのが心地よい、色々なことであれば、素晴らしい。

仏性に導かれ、もったいない日々を、己に恥じない生き方をしたいと思う。

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December 08, 2011

「問答無用、気仙沼」、仙台駅・寿司屋さんのポスター

先日、仙台駅で、新幹線に乗る前に、レストラン街を歩いたら、「問答無用、気仙沼」のポスターが目に入った。気仙沼の美しい光景、そして魚が天下一品であることが書いてあった。

「問答無用」の響きが好い。

「問答無用・人生」、「問答無用・人間」、「問答無用・仏性」

「問答無用」と唱えれば、唱えるほど、自分の面積が小さく、小さくなって行く。

「問答無用」は神の声。

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December 07, 2011

恩人の死を知らなかった自分の情けなさ、満洲への旅の想い出

12月5日、東北から横浜の自宅へ帰ると、国際貿易促進協会・中田慶雄先生の息子さんから喪中の挨拶状が届いていた。5月1日、脳腫瘍で逝去されていた(享年80歳)ことを知った。

最近、ご病気されてから、私は、見舞いにも行かず、年賀状で挨拶する程度しか、近況を知らなかったことを恥じ、悔いて、情け無かった。あんなに、恩のある方だったのに、と想い出が脳裏をよぎり、自分を責める気持と、別離の悲しみがドッと湧いて来た。

先生御自身が昭和20年、終戦の年に、14歳で満洲開拓団・少年義勇隊に行かれ、満洲引き揚げの悲惨さを体験された方だったからこそ、私を、満洲に案内して下さったのだと思う。インターネットで調べたら、5月13日、人民日報も、中田先生の死を悼み、訃報を伝えたとあった。日中交流一筋50年の、信念の人、そして、父親のように優しい人だった。

頻繁に行かれる中田先生の中国への経済ミッションに、ただ満洲の父母が住んだ場所を訪ねたい私を、特別に加えて頂き、2004年に大連近くの鳳城、2007年にハルピンへ連れて行って下さった。中田先生のおかげで、私は念願の、父の住んだ鳳城を見れ、母の住んだハルピンにも行けた。

中田先生は、「瑞雪」(ずいせつ)と云う本も書かれていた。"瑞(ずい)"とは、喜びの意味とのことだった。満洲から艱難辛苦の後、引き揚げて来られた後の、日本の雪が、ただ、喜びの雪だったことだろうと、私は、人生を表す感動の言葉だと感じた。私は、この本を沢山買って、姉、妹、弟にも配った。

満洲引き揚げ者の九州の姉と、一昨日も昨日も電話で、中田先生の死を悼んだ。姉は、一度お会いしたかったと悔やんだ。人民日報も、その死を悼み、伝えるほどの大人物だった方が、私の満洲訪問を手助けして下さったのだ。人生には、うっかりしていると、きちっと、お礼の挨拶もしないまま、逝ってしまわれる恩人の方もいる。今朝もしげしげと、インターネットに出ていた中田先生の写真を見る。

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December 06, 2011

2011年暮れ、光のページェント、

私は、初めて被災地・石巻・塩釜の現在の様子を見た。パソコンの会の被災地の会員の方々を応援する、2011年年納めの会が12月3日、4日、仙台で開催され、私も参加した。関東を含め約20名の人が集まった。

仙台から車で約1時間の石巻で見たものは、戦争の後の焼け野が原や、爆撃の後の光景のような破壊された工場の残骸などであった。道路脇に積みあげられた車の残骸の山、道路の真ん中に転がる大きなタンクの残骸も。

パソコンの会の会員の方の漁業関連加工食品の工場は、もう同じ場所での再建は無理だとおっしゃった。それでも、写真を撮る時、「ここまで、ひどいと、もう、笑うしかないです」と、写真に笑顔で対応されていた。

かろうじて残った料亭の家屋の2階で、やきそばを頂いた。ご主人は、今でも、まだ、災害時対策で、笛や、大切な携帯品をいつも身に付けてらっしゃるとのことだった。

仙台で海苔の製造販売をしてらっしゃった方は、船や道具を津波で全て失い、呆然とされ失意の後、今は再建へ、尽力されていた。

福島の仮設住宅から今回の行事に参加された方もいた。

それらの方々も、年納めの会では、カラオケを歌い談笑される姿に、私は勇気づけられた。仙台の定禅寺通りの光のページェントも、一緒に、散策して頂き、恐縮した。被災地の惨状と、仙台の光のページェントの光景、何故か、このコントラストが、強烈に、私の心に残った。

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December 05, 2011

力道山の涙、

戦後の日本人をの心を鼓舞し続けたプロレスラー力道山。子供の頃、私も、金曜日夜8時からのTV・三菱ダイヤモンドアワーで、プロレスを父と興奮して、見ていた。彼は空手チョップがあり、絶対に負けないほど強かった。父は、TVの前で、座っていられず、立ち上がって見ていた。

その力道山が、昭和38年、現役時代に39歳で突然、暴漢に刺された事件で亡くなった。

最近、力道山の奥さん(田中敬子さん、70歳)が、語ったインターネット記事を読んだ。

「婚約が決まり、彼が朝鮮の出身だと初めて打ち明けられた時、主人の涙を見ました。泣いたのを見たのは、私がプロポーズを承諾した時と、2回だけです。」

何かジーンと来た。彼は、重い重い荷物を背負って生きていたのだ。

それでも、あれだけ力強く、戦後の日本全体を、元気付けてくれて、心から有難うと云いたい。

あんなに強かった力道山が、2回泣いたんだと、しみじみと、力道山の人生を想った。

(2011年12月3日AM・記載)

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December 04, 2011

100万本のバラを初めて聴いた時、1990年アブダビ、

私が、アブダビ駐在時代、1990年頃、アブダビの日本人社会では、よく、各人の家に日本人どうしが集まり談笑する、パーテイーが行われていた。

そこで、当時、単身赴任の中年商社マンの男性が歌った、「100万本のバラ」を初めて聴いて、私は痛く感動した。

その人が歌う、100万本のバラが、私は、歌手が歌うのより好きだ。

あれは、1990年8月のイラクのクウェート侵攻の前の穏かな時期の頃だった。

私が、初めてアブダビからイスタンブールへ出張する時、イスタンブールのことを細かく教えてくれたり、流石に商社マンの方だった。

もう一度、アブダビ同窓会で会えたら、是非、特別に頼んで、彼の100万本のバラを聴きたいと想う。

そんな、"100万本のバラ"の歌との出会いの想い出。(2011年12月3日、AM 記載)

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December 03, 2011

仙台・石巻・塩釜へ、

今日から、パソコンの会(全国組織)で仙台・石巻・塩釜に行く催しに参加することにした。パソコンの会所属のメンバーの方々の仙台・石巻・塩釜の会社の復興支援行事として企画されていたので、年内に被災地へ是非行ってみたいと云う私の気持ちが、年末ギリギリでかなえることとなった。

多くの人々の人生と、人生観を変えた、2011年3月11日。

私も、この目で、同じ2011年中に訪問出来て、何故か、胸につかえていたものが、解放される気がする。

明後日、5日(月)に帰って来る時は、違った私で帰ってきたい。

知ることは、見ることは、人生を変える。そして、学び続けて行きたい。

マハトマ・ガンジーの言葉にあると云う、「明日、死ぬつもりで生きなさい。そして、永遠に生きるつもりで学びなさい。」 と。 私は、その言葉を噛み締めて、生きる。

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December 02, 2011

妹が、私の娘にエステ実現、

昨日、私の娘が無事、会社の残業もなく、夜7時から、妹達が参加する横浜みなとみらいのエステの会に出席した。

私の妹が、私の娘にエステをする機会に、立ち合って、ただ嬉しかった。私も、化粧品の話に聴き入った。

296メートルのランドマークタワーの、ロイヤルパークホテルの、66階のスイートルームを借り切ってのエステは、ミキの代理店さん達有志の毎年恒例の行事。その夜景も素晴らしかった。

娘は、エステのあと、ドレスを借りて、記念写真。私も、その写真におさまった。私は、将来、時折、この写真を感慨深く、眺めることだろう。

帰りに、娘と、みなとみらいのクイーンズスクウェアーのレストラン「Kihachi」に二人入って夕食した。娘と、みなとみらいの、小さなデートであった。

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December 01, 2011

娘の化粧品名

今日はミキプルーンの関係の女性代理店有志の方々のエステの会が、みなとみらいのロイヤルパークホテル・スイートルームを使って開催される。

私の娘も、会社終業後、この催しに初めて参加する予定になっていて、無事、残業にならずに参加してくれればと願う。 小田原の妹も、エステをする方として参加する。私も、以前から、写真班でこの催しを見に行ったことが何度もある。私も、今日は、終業後、みなとみらいに直行する予定。妹も久し振りに、私の娘と会えれば好いなーと思う。

今回初めて、娘がエステをして貰うに際して、娘が普段、使っている化粧品名を、数日前に妹から電話で質問され、娘に聞いた。"ソニアリキエル"と"デイオール"とのことだった。

"ソニアリキエル"、そんな名前の化粧品があるんだと、書き留めた。

初めて聴く名前だったが、娘が使っている化粧品名を知って、何だかウキウキして、嬉しくなった。

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