2011年暮れ、光のページェント、
私は、初めて被災地・石巻・塩釜の現在の様子を見た。パソコンの会の被災地の会員の方々を応援する、2011年年納めの会が12月3日、4日、仙台で開催され、私も参加した。関東を含め約20名の人が集まった。
仙台から車で約1時間の石巻で見たものは、戦争の後の焼け野が原や、爆撃の後の光景のような破壊された工場の残骸などであった。道路脇に積みあげられた車の残骸の山、道路の真ん中に転がる大きなタンクの残骸も。
パソコンの会の会員の方の漁業関連加工食品の工場は、もう同じ場所での再建は無理だとおっしゃった。それでも、写真を撮る時、「ここまで、ひどいと、もう、笑うしかないです」と、写真に笑顔で対応されていた。
かろうじて残った料亭の家屋の2階で、やきそばを頂いた。ご主人は、今でも、まだ、災害時対策で、笛や、大切な携帯品をいつも身に付けてらっしゃるとのことだった。
仙台で海苔の製造販売をしてらっしゃった方は、船や道具を津波で全て失い、呆然とされ失意の後、今は再建へ、尽力されていた。
福島の仮設住宅から今回の行事に参加された方もいた。
それらの方々も、年納めの会では、カラオケを歌い談笑される姿に、私は勇気づけられた。仙台の定禅寺通りの光のページェントも、一緒に、散策して頂き、恐縮した。被災地の惨状と、仙台の光のページェントの光景、何故か、このコントラストが、強烈に、私の心に残った。
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