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November 04, 2011

「だんだん」、「ありがとう」の響き、唯識を学ぶ扉の言葉、

昨日は、東洋大学・学園祭の歎異抄倶楽部主催の唯識講演会(横山紘一先生)を聴きに出掛けた。

「人は縁に於いて見せられたのに、私が見たと云う」

自分は単独では存在しない、「縁起の故に無我なり」

自と他が対立していると見える世界が"地獄"。生老病死の生の苦しみとは、自他が対立した苦しみ。

横山先生は、登山家・栗城史多氏の言葉(東京新聞コラム)を紹介してくれた。「八千メートル級の山は、苦しくて、登っている時、頑張るぞとか、ちくしょうとか、色んな言葉が出て来る。思うように歩けない時、「ありがとう」と云う言葉が出て来た。不思議なことに、そう思うと、体が動いたのです。」

講演の後、先生と帰り道、白山駅へ続く小路に先生が以前講義に通った当時にもあったと云う、懐かしい居酒屋"だんだん"と云う店を紹介して頂いた。 私は、店で「だんだん」って、"日暮里だんだん"のようにほのぼのとした響きですねと店の人に尋ねたら、「だんだん」とは、山陰地方の方言で「ありがとう」と云う意味だった。

先生に頂いた講義の資料には、深層心理に清浄な種子を蒔くのが、正聞薫習(しょうもんくんじゅう)。正しい師から正しい経典を学ぶこと。そして、素晴らしい言葉「ありがとう」を深層心理に薫しつけるとあった。

「ありがとう」とは、唯識の扉を開く、魔法の言葉、「開けゴマ」のような言葉だと思った。私は、「唯識を学ぶは、感謝を学ぶなり」と、確信した。


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