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November 10, 2011

わかるが故の愛しさと、わからぬが故の愛しさ、人間どうしの距離感

先日の哲学カフェは、"人間どうしの距離感"がテーマだった。

私は発言することは無かったが、自分の頭の中では、自分なりに整理してみた。

人は、60兆もの細胞から成り、それぞれの人に、1日にも6万もの想念(思い)が浮かんで来ると云う。人間どうしが、お互いに完璧に理解し合おうと云うこと自体が、幻想に近いことであろうと思う。

だが、同じと感じることが多い時、人との距離感は縮まり、違うと感じる時、距離感は広がる。

人間どうしの距離感は、自分の五感六識がもたらす幻のようなものだと思う。そして、そのことを見ているもう一人の私が、いれば、大丈夫。距離感があっても、無くても、惑わされない。

人には、わかるが故の愛おしさと、わからぬが故の愛おしさがある。

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