高校時代、私の部屋に飾った山村暮鳥の詩、
高校時代、私は、九州の実家の裏の小屋を改造して貰って、自分の部屋を作った。そこに、当時、雑誌で見付けた明治・大正の詩人・山村暮鳥の詩、「人間の勝利」のポスターを壁に飾っていた。
「人間はみな苦しんでいる。何がそんなに君たちを苦しめるのか。しっかりしろ。人間の強さにあれ。人間の強さに生きろ。苦しいか。苦しめ。それが、我々を立派にする。見ろ、山頂の松の古木を。その梢が烈風を切っているところを。その音の痛々しさ。その音が人間を力づける。人間の肉に食い入るその音のいみじさ。何が君たちを苦しめるのか。自分もこうして苦しんでいるのだ。苦しみを喜べ。人間の強さに立て。恥辱を知れ。そして、倒れる時が来たならば、微笑んで倒れろ。一切をありのままに、じっと見詰めて、大木の様に倒れろ。これでもか、これでもかと。重い苦しみ、重いのが何であるか。息絶えてるとも否と云え。頑固であれ。それでこそ人間だ。」
私が、大学に進学して、もぬけの空となった私の部屋に、母は時々入って、壁に飾ってあった詩を見ていたと云う。この詩をいたく気に入って、巣立った私を懐かしんでいたと云う。大学時代、東京から九州の実家へ帰省した時、母はこの詩が大好きで時折見ていると云った。
運命に翻弄されたような、苦難の人生を経て来た母には、この詩を好きな息子に、一人涙しただろうと、今、その気持がわかる。その詩を昨日やっと、インターネットで捜し出した。母との再会、"16歳の私"との再会であった。