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October 27, 2011

勘違い、これが人生なのかも知れない

リビアのカダフィ大佐の死に方に、沢山の気づきの材料がある。

彼は、最後まで、国民に愛されていると信じていたと、側近が語っている。愛されていると思ったから、最後まで、国外退去を拒んでいたと。何たる勘違い。彼の人間としての業、あのような結末をつけねばならない因果を感じる。彼は、精神的にも、全く修行ができていない人物だったのだろう。すごい反面教師の人生。

ある人物の死を、あれだけの祝福をもって迎えられるとは、あれも彼の行って来た行為のもたらす自然な帰着なのだろうと思うと、人間の我欲のもたらす光景が哀れでならない。自然界では、結局、プラス10はマイナス10でバランスする。

自分を捨てて、自分のことを勘定に入れずに、他の為に生きるならば、どれだけ人が、その死を悼むだろう。

民衆の為に、彼が自らの命を差し出したと感じるならば、民衆はその死を悼むだろう。身内の栄華と反対派の弾圧・拷問をしながら、国民から愛されているはずと信じていた彼は、身をもって人間の我欲のもたらす帰着を想像させてくれた。勘違いなら、可愛い勘違いであって欲しい。こんな馬鹿な勘違いで、自らも国民も大きな悲劇をもたらしてしまった。

大なり小なり、それぞれの人にも、カダフィ大佐のような、自分に都合の好い勘違いをしているかも知れない。ちょっと自分の心の中の暗闇を、懐中電灯で照らしてみる必要があるかも知れない。

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