ギタリスト・作曲家、マリオ鈴木さんの詩、
私は、南米のフォルクローレギターの哀愁ある調べに魅せられている。とりわけ、数年前に、藤沢のサロンコンサートで、マリオ鈴木さんの演奏を聴いてから、益々好きになった。彼の詩集"独り言の余韻"を昨日、再び読んでみた。
彼は生まれてすぐ、祖母に預けられ育てられたと云う。両親との生活を知らない過去が、彼の音楽、詩の至るところに顔を覗かせる。 そして、私には、彼の仏性も顔を覗かせていることがわかる。
月灯りのサムバ
月が力一杯、耀いて見せても、太陽のようには、明るくすることはできない。 それが月の宿命と云うもの。 肉親の愛を知らずに育った私には 太陽の光りは まぶし過ぎたのです。 知らず知らず、たそがれが好きになり、夜が友となり、月灯りが私の世界なのだと知った時、このサムバが生まれたのです。
神を思えば
このごろ、神の存在がものすごく近くに感じてしょうがないのです。 神は「母」なのですよ。いつも神のなせることは母のような暖かさを感じるのです。 触れもできないはずの神の肌を感じるのです。 私は真の幸福者かも知れません。 神のひざもとで、私の音楽をじっくり聴いて貰いたいと思っています。 神が私を必要とされる時、何時でも神のもとへ行ける覚悟はできています。 きっと私は 神の心を安らげるために この世で ギターを練習させられているのかも知れない。 などと思ったりします。
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