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October 15, 2011

捕鯨、反捕鯨、共に学びの材料

先日、TVで、和歌山県の鯨取りの村の苦悩の番組を見た。

鯨を取りに行く村人の車の前に立ちはだかって、鯨を一匹でも助けようとする自然保護団体の活動家は、時に村人を罵ったり、お金を出して鯨を逃がすように懇願したり、何かに取り付かれたように必死でもあった。

村人は、昔から伝統的に鯨を食してきた文化が故に、欧米活動家の酷い反発に困惑し、苦悩していた。生きる為に最小限の鯨を取るのが、何故これほどまでに、酷い反発を受けねばならないのか、村人の苦悩も酷かった。

私は、この対立に、共に、すごい学びが潜んでいることに気づいた。

鯨を助けようと必死な活動家に"母性の優しさ"を、鯨を堂々と捕獲する村人に"父性の現実を生きる強さ"を。

共に、いずれかに偏り過ぎてはいけない。この対立する考えを、共に、貴重な学びとして、共有する精神こそが、人間として大事なことだと、私は思った。

対立する両方の人達は、共に、苦しみながらも、仏性を現していることには違いない。

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