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October 31, 2011

埼玉県、比企郡、サイクリング

先々週、KM観光バスで、奥利根へ向かう途中、関越自動車道・武蔵嵐山付近で、ガイドさんが、この辺りは、かつて畠山重忠の館があった場所ですと教えてくれた。それで、この辺りは比企郡であることを知った。

畠山重忠は、源家の名だたる猛将で、この比企の館から、鎌倉へ向かい、二俣川付近の"万騎が原"に待ち伏せる北条側の大軍に討ち取られている。

源家との縁戚を結び、北条家と対峙する程の力のあった比企家は、北条家に滅ぼされ、鎌倉・妙本寺にその悲劇の跡が残っている。数年前、妙本寺を訪れてから、何か比企一族の悲劇が、気になるようになって、歴史を詳しく調べたりもしていた。

そんな時、久し振りのサイクリングクラブの案内が来て、その行き先が、埼玉県・比企郡の森林公園であった。今年はまだサイクリングをする機会がなく、昨日は今年、初めてのサイクリングとなった。

森林公園には広大な敷地に、森林の中にサイクリングコースがあった。子供達の遊ぶ、腕白広場には、真っ赤なサルビアの花が鮮やかに咲き誇っていた。子供達の遊ぶ声がこだまする、大きなトランポリンのあるポンポコマウンテン近くの丘には、コスモスのピンクや白の花畑が、目を和ませてくれた。

人生の日々の些細な展開さえも、私の作ったシナリオではなく、何か自然に、自然に、流れて行くように感じる。


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October 30, 2011

あらゆる矛盾は統一へ向かう、これ即ち菩提心

「宇宙は統一されている。それは菩提心。矛盾を許さない。あらゆる矛盾は統一へ向かう。」、昨日の住職の言葉に、安らぎを感じた。

全て、身の周りで生じていることごとは、菩提心の表れ、統一へ向かう宇宙の意思の表れと考えると、もう身を委ねる気持になれる。

「委ねること、即ち、これが坐禅」、「委ねないと、輪廻転生して行く」。住職の言葉は続いた。

住職は云う、光に身を委ねよと。

マザーテレサは、あらゆる出来事も、神からのメッセージとして聴いたと云う。

打撃・衝撃は、解決することではなく、学ぶもの。学ぶ私は、統一へ向かう宇宙と調和して、安らいでいる。

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October 29, 2011

琵琶湖西岸、樫田、芭蕉の落雁の句、

昨日、夕食に立ち寄った横浜のレストランで読んだ神奈川新聞の「季(とき)のうた」に、芭蕉の句が紹介されていた。

「病雁の夜さむに落ちて旅寝かな」

芭蕉は、近江八景の一つ、琵琶湖の西岸の樫田にて、雁が仲間の列から離れ、湖上に下りて、わびしく旅寝する様を歌っている。

美しい光景の中、一人、自らの旅を振り返るひととき。そんなひとときは、人生では決して悪くない。人生の旅の情景を際立たせてくれる。

私は、去年の秋に初めて訪れた琵琶湖、琵琶湖の旅愁の光景を想い出す。


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October 28, 2011

運の良さ、運の悪さが、織り成す人生の紅葉風景

先週見た、奥利根の紅葉の絶景の色を想い出す。

あのように沢山の美しい色を自然は創り出す。その年の気候や山々の場所に応じて。

人も沢山の運の良い出来事や幸せ、沢山の運の悪い出来事や不幸に、応じて、その人生の色合いを醸し出しているのだろう。紅葉は温度差が創るのだと云う。

木々が、季節がめぐり紅葉を見せるように、人も、人生を経て、それぞれの紅葉の光景を見せている。

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October 27, 2011

勘違い、これが人生なのかも知れない

リビアのカダフィ大佐の死に方に、沢山の気づきの材料がある。

彼は、最後まで、国民に愛されていると信じていたと、側近が語っている。愛されていると思ったから、最後まで、国外退去を拒んでいたと。何たる勘違い。彼の人間としての業、あのような結末をつけねばならない因果を感じる。彼は、精神的にも、全く修行ができていない人物だったのだろう。すごい反面教師の人生。

ある人物の死を、あれだけの祝福をもって迎えられるとは、あれも彼の行って来た行為のもたらす自然な帰着なのだろうと思うと、人間の我欲のもたらす光景が哀れでならない。自然界では、結局、プラス10はマイナス10でバランスする。

自分を捨てて、自分のことを勘定に入れずに、他の為に生きるならば、どれだけ人が、その死を悼むだろう。

民衆の為に、彼が自らの命を差し出したと感じるならば、民衆はその死を悼むだろう。身内の栄華と反対派の弾圧・拷問をしながら、国民から愛されているはずと信じていた彼は、身をもって人間の我欲のもたらす帰着を想像させてくれた。勘違いなら、可愛い勘違いであって欲しい。こんな馬鹿な勘違いで、自らも国民も大きな悲劇をもたらしてしまった。

大なり小なり、それぞれの人にも、カダフィ大佐のような、自分に都合の好い勘違いをしているかも知れない。ちょっと自分の心の中の暗闇を、懐中電灯で照らしてみる必要があるかも知れない。

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October 26, 2011

「イチゴ白書をもう一度」のメロデイー、そして今日の光、

昨日の朝、通勤途上、駅前の不動産屋さんの中から「イチゴ白書をもう一度」のメロデイー♪が流れて来た。

思わず、青春の情熱が蘇るようであった。

死んでもいいと思う、青春の情熱や覚悟が、キラキラ耀いて見えた。

喜びよりも、苦しみや悲しみが圧倒的に多い人生でも、神に導かれていると思えば、覚悟が決まる。覚悟が青春なのだと思う。

小学一年生のように、「ハイ」と、答えて今日も生きる。 まるでお調子者のようにも、滑稽なくらいに。

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October 25, 2011

全てが神の思し召しだった、学んで流れを変えて行けば良い、

色々な事象、出来事、私が体験して来たこと、全ては、自然な宇宙の理だったのだと思う。"宇宙の理"と云う神の思し召しだったのだと。

それは、作用と反作用のように、抗しようもない、極自然な流れだったのだ。それは、経なければならなかった、神からのメッセージだったのだと思う。

学べば良い。色んな不幸からも学べば良い。全ては、私が学ぶ為に、気づく為にあったのだと、思えば良い。

これからは、その学んだ私が、舵をきって行く。

学んで、学んで、人生の道が変わって行く。それは、光に導かれるように・・・。

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October 24, 2011

大学のクラブ大同窓会、親友の想い出、

昨日は、午前中、月例の"気功"の後、午後、渋谷で行われた、大学時代私が属した・民族舞踊研究会の大同窓会に出席した。100人以上の、殆どが後輩だらけの大同窓会。現役の大学在学生が、何だか可愛い子供達に見えた。

慶應大学・東京女子大学の現役の大学生達の、民族舞踊の実演も披露してくれた。

私も、民族衣装を着けて、あんなにして踊っていたんだと、その姿にちょっと感心した。毎回練習の例会の最後の曲に「ミザルー」と云う、哀愁に満ちた曲があった。その曲が久し振りに流れ、私も、自然に踊りの輪に入った。

踊りの輪の私の隣には、十数年前、何かの理由で失踪・消息不明になった私の親友が当時憧れていた彼女がいた。大学時代、二人で飲むと、何度も彼女の話を聴かされた。彼は、もうこの世にいないかも知れない。

何十年振りに、その彼女の隣で手を繋いで踊ると、何だか、その親友が喜んでいるように感じて、密かに感無量になった。

皆で、応援歌「若き血」も肩を組んで歌った。そう云えば、一緒に応援歌を歌った先輩や友人達の中でも、もうこの世にいない人達がいることを想い出した。私は、人生の色々な光景を見て来たことを想った。

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October 23, 2011

奥利根の紅葉絶景、KM観光バス添乗員だった大学時代、

こんな廻り合わせがあるだろうか。昨日は早朝、はとバスの日帰りツアーに乗るべく、朝06:45浜松町バスターミナルへ到着したところ、今日のバスは、KM観光バスを使用しますとの案内。私が、30年以上前、大学時代に3年間、ずーっと添乗員のアルバイトをしたKM観光バスに乗れるとは・・・・。

"KM観光バスで行く宝川温泉"こそ、私の大学時代の想い出のシーンだった。今回、何故こんな偶然の廻り合わせがあったのだろうと、胸が熱くなった。運転手さんに聞くと、当時いた運転手さんのことも最近退職されたとか、少し近況も聞くことができた。

数えきれないくらいの鮮やかな色々に染まった紅葉の絶景、当時の感動も甦った。ガイドさんが、「もみじ」の歌を歌ってくれて、「もみじ」の歌がこんなに美しい、"人生の歌"だったのかと、一緒に口ずさんだ。

近くの自然花苑・宝台樹キャンプ村の方が教えてくれた。ここらへんは雪が深く、4月中旬に蕗の薹が芽吹きます。丁度雪解けの頃、代わって、真っ白なカタクリの花が一面に咲きます。春のヒトリシズカの白い花、初夏のニコウキスゲのオレンジ色、夏は、ピンクや白のクレオメ、と、写真を見せながら話してくれた。キャンプ道具は全部現地で揃えられるから是非、一人旅でも来て下さいと薦めてくれた。

雨上がりの山々には、野焼きでもしたかの様に白い煙が立ち上って、聞くと、川の水が温度差で急激に霧となり、山に立ち上っている様であった。

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October 22, 2011

琵琶・鶴田錦史、琴・宮城道雄の世界、そして禅

昨日は、午後休暇を取り、鎌倉・腰越へ、琵琶の鶴田錦史生誕100年記念コンサートに行ってみた。琵琶の巨匠・鶴田錦史さんの弟子・禅僧・関川鶴祐さんの薩摩琵琶を堪能した。

筝曲は、沢村祐司さん、宮城道雄の曲を、初めてじっくり味わった。

琵琶の音に、諸行無常、道元の歌などの朗詠、禅を音で聴く世界でもあった。

宮城道雄作曲の水を歌った16歳の時の処女作品の詩にも酔った。

露の歌 :白玉の秋の木の葉に宿れりと見ゆるは露のはかるなりけり(後撰和歌集:よみ人しらず )

霜の歌 : 朝日射すかたへは消えて軒高き家かげに残る霜の寒けさ (六帖詠草:小沢蘆庵)

雨の歌 :今日の雨に萩も尾花もうなだれてうれひ顔なる秋の夕暮れ(六帖詠草:小沢蘆庵)

雪の歌 :更くる夜の軒の雫のたえゆくは雨もや雪に降りかはるらん(六帖詠草:小沢蘆庵)

今日は、雨の朝、移り代わる水のかたちを想う、永遠を想う。

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October 21, 2011

薩摩琵琶の音色・奥利根の紅葉へ場面は一変、

先週のアラブ要人の来日、今週は実務クラスの訪日団の来日で、この2週間ほぼ、毎日普段より2時間早く出社した。その実務クラスの訪日団も今日、離日するので、午後から休暇を取り、鎌倉へ初めて、サロン・コンサートの薩摩琵琶を聴きに行くことにした。

まさに、緊張の日々の後の、琵琶の音は素晴らしいだろうと想う。平家琵琶もいつか生で聴いてみたい。

明日の休みは思い切って、"紅葉絵巻"の宣伝に惹かれ、はとバスの日帰りツアーへ行くことにした。最初、"長瀞ライン下りと奥長瀞渓谷露天風呂"に照準を定めたが、その日は人数不足で中止になったとのこと。

次なる照準は、私が大学時代にKM観光バスの添乗のアルバイトで行き、魅惑された、群馬の秘境"宝川温泉"と奥利根の紅葉。 これは予約に成功。但し、何と、明日、浜松町に朝06:40 集合とのこと。

明日は、05:40には、家を出発か。 それでも朝型の私は大丈夫。憧れの、懐かしの、宝川温泉だから、気分は、大学時代に返るようなもの。紅葉の山中の谷間の温泉郷に、一軒しかない温泉宿。

薩摩琵琶の音色と、奥利根紅葉・宝川温泉へ出発。

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October 20, 2011

民主主義は勝ったのか?

昨日は、異業種交流で、証券会社の人の話を聴いた。その中で、大変印象に残った刺激が数ポイントある。

(1) 得してる人ほど、リスクは取らない。←人生でいちかばちかをやる人は追い込められている?

(2) 民主主義は勝ったのか?(1989年ベルリンの壁崩壊)→ 政策決定に弱い。(財政破綻だらけ)

(3) 自由貿易の流れはどう考えるか?→人口が減って行く日本vs世界は人口増えている→自由貿易が得

(4) 1億円の重さ、10kg 。 コストは20万円。

時に、別世界を見てる人との交流も面白い。

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October 19, 2011

味噌汁の凄さ、放射性物質除去、秋月辰一郎博士

先日、発酵学者・小泉武夫先生(東京農業大学名誉教授)の講演を聴いた時に、驚いた。

長崎の原爆の爆心地から、僅か1.2キロメートルで被爆した、秋月辰一郎先生と云う浦上第一病院(聖フランシスコ病院)の先生は、その後、患者さん達と食事療法を続け、89歳(1916-2005)まで病気もせず、人生を全うされたと云うエピソードを聴いた。

この驚くべき、食事療法とは、味噌汁だったとのこと。味噌汁、即ち発酵食品が、放射線除去に絶大な効果を発揮すると、その後の広島大学での臨床実験でも実証されているとのこと。

発酵食品、例えば納豆一粒にも約2000万匹の菌がいる。多くの菌は、胃酸でやられるが、残って隠れて腸まで到達した菌は、腸の中で爆発的に殖えて行く。その後、腸内で増殖する為には、色んな毒素と戦う絶大な免疫力を備えている。その絶大な免疫力を人間が腸から吸収して、人が元気に、健康になる。

腸は云わば、身体の最終処分場で、色んな悪いもの毒素も集まって来る。その毒素を除去するのが、発酵食品のの善玉菌。まさに味噌、豆腐、納豆、など大豆の発酵食品。

発酵食品の凄さ、日本の伝統食の凄さに、唖然。 益々、日々の食生活の勉強と実践の大切さを思う。


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October 18, 2011

大切な人へ云い忘れた、お礼の言葉、

先日の、元兵士の安田さん(89歳)は、一昨日の講演の中で、フィリピンのバタンガスの捕虜収容所に入り、その後米軍の将校の家で、ハウスボーイとして1年半ほど、働いた体験も話してくれた。

安田さんが、日本に帰国する時、もし日本で就職に困ったら、これ(推薦状)をもって、米国の基地に来い。100%、雇ってくれるよと、彼に暖かい手紙を手渡してくれたとのこと。

それなのに、安田さんは、日本へ帰国後、自分の若さだったのか、その将校へは一度も手紙を書くことはなかったと悔やんでおられた。 ウェストヴァージニアの住所だったと、その当時の連絡先を覚えてらっしゃった。その将校も生きてらっしゃったら、100歳以上だったろうとのこと。その後、消息を捜してみたが、ダメだったとのこと。

私は、この話を聴いた時、パーッと涙が溢れ出た。人生には、このように、大切な人へのお礼を云えなかった苦しみがある。

私の父も、中国人の袁(えん)さん?と云う行商の方に、満洲から引き揚げの時、山中で家に泊めて貰った恩義を手記に遺してている。 その後、父も、その袁(えん)さん?と交信した形跡は、私は知らない。

私は、その袁さんと云う、名もない行商の叔父さんに、息子として、お礼を云いたい。その袁さんの子孫が中国にいると思うだけで、私は、中国に感謝で、頭が上がらない気持になる。

昨日夜、アラビア語教室から帰る時、何と安田さん本人から、思いがけずに電話を頂いた。「私の話を聴いてくれてありがとう」とのことだった。

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October 17, 2011

男子の本懐、そして、「心の舟」、戦争体験を聴く会、

昨日は、所沢雑学大学で、大正12年(1923年)生まれの元兵士の方の話の数々のエピソードに、感動した。

フィリピンルソン島で抗日ゲリラに銃撃された足の傷口にたかるウジ虫でさえも食べたと云う飢餓、負傷兵が沢山横たわっていたベノンの丘の様子。

安田誠さんは、戦争体験の講演の時、自分で作られた歌を披露してくれた。

「大正生まれの俺たちは、明治の親に育てられ、忠君愛国そのままに、御國の為に戦って、皆んなの為に死んで行きゃ、日本男児の本懐と、覚悟を決めていたなーお前。」

戦後、生きぬいて来られた人生観の歌も、素晴らしかった。「世の中は、浮くも沈むも、苦も楽も、心の舟の舵の取りよう」。

安田さんとは、初めてお会いした。私は、講演の途中、じっーと、安田さんを見詰めながら、光を感じた。この方に、会うべくして、私は、この方と会ってると確信した。仏性の導きなのだと。

講演の後、私は安田さんと話がしたくて、少し話をした。安田さん自身も、私の名刺を希望された。

私は、光に導かれていると感じる一日だった。

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October 16, 2011

一元と二元を自在に見る目、

「一般の人の恐怖を取り除く為には、絶対に二元論(善悪論)、が必要」

だが、「一元論(波が大海であること)を知らずして、二元を語ると、いつも矛盾を起こし争いになる。」

これは、スワミー・ヴィヴェーカナンダ師の言葉だと云う。

神のマイナスが、慈悲。 神のプラスが、知恵。両方をもってゼロに調和する。この人格を、神仏と云う。

一元と、二元を自在に見ることの大事さを、住職は説く。


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October 15, 2011

弟への早朝の電話、いつもの弟の声、

一昨日夜の兄弟ゲンカの翌日の、昨日の朝、7時前、品川のホテルに宿泊中の、九州の弟の携帯に電話した。電話の先には、 いつもの弟の声。

私は、「よく寝たか?」と尋ねた。 「昨日、母ちゃんの夢ば見たぞ」、「気をつけて帰れ」「ありがとう」と、立てつづけに云った。

弟も、「ありがとう」と云って、お互いに、手速く、電話を切った。 お互いに、いつもの声で話していた。

「打撃・衝撃は、自己を学ぶ暗示なり」、そんな言葉を想い出す。

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捕鯨、反捕鯨、共に学びの材料

先日、TVで、和歌山県の鯨取りの村の苦悩の番組を見た。

鯨を取りに行く村人の車の前に立ちはだかって、鯨を一匹でも助けようとする自然保護団体の活動家は、時に村人を罵ったり、お金を出して鯨を逃がすように懇願したり、何かに取り付かれたように必死でもあった。

村人は、昔から伝統的に鯨を食してきた文化が故に、欧米活動家の酷い反発に困惑し、苦悩していた。生きる為に最小限の鯨を取るのが、何故これほどまでに、酷い反発を受けねばならないのか、村人の苦悩も酷かった。

私は、この対立に、共に、すごい学びが潜んでいることに気づいた。

鯨を助けようと必死な活動家に"母性の優しさ"を、鯨を堂々と捕獲する村人に"父性の現実を生きる強さ"を。

共に、いずれかに偏り過ぎてはいけない。この対立する考えを、共に、貴重な学びとして、共有する精神こそが、人間として大事なことだと、私は思った。

対立する両方の人達は、共に、苦しみながらも、仏性を現していることには違いない。

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October 14, 2011

兄弟ゲンカは母の悲しみ、

昨日はやっと仕事としての大役を果たし、平常の日に戻った気がして楽になり、終業後はアラビア語講座でも出ようかと思っていたが、終業ギリギリに、九州の弟から携帯で、出張で上京して来たので一杯飲めないか聞いてきた。

10歳も年下なのに、子供の頃から一緒によく遊んだ、大好きな弟だから、すぐ、弟と品川で飲むことにした。こんな時に、偶然、弟が上京するなんて、何と良い神様からのプレゼントの機会だと、とても嬉しかった。

ところが、経なければならない我々の業(ごう)なのか、暫く、愉しく談笑していたのに、遂に、彼の宗教観と私の禅の思想が対立して、弟は、私の云う世界がわからん、わからんと云って、怒って、席を立ってホテルへ帰ってしまった。私の思う一元の世界は、また人の神経を逆なでしてしまうのか。とても悲しかった。

横浜の自宅へ帰宅してからも、あんなに仲の良い、兄と弟なのに、母は悲しんでいる思うと泣けてきた。

昨日の夜、母の夢をみた。何をおいても、ずーっと、母の傍を離れたくないと思った。

今日、弟に電話しようと思う。弟も私に電話しようと思っていることは痛いほどわかる。弟は、母のように優しい弟だから。私は、ただ弟に伝えたい、「母ちゃんを悲しませるのはよそう」と。

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October 13, 2011

秋の早朝の光景、私が描く光景、

今回のアラブからの訪日団のメインイヴェントの日本政府主催の式典も、昨日、無事、成功裡に終え、肩の荷がやっと下りた感じだった。今日の夜、代表団は離日する。

昨日の朝も6時半頃、出勤途上、駅のそばで、朝の散歩をする元の会社の82歳のOBと、2日連続で偶然出会った。お陰で、2日連続で、軽く立ち話を楽しめた。

また、朝7時半頃、愛宕のビルの前で、黙々と道路の木の葉を掃除する森ビルの作業員の人にも、2日連続で偶然出会った。街路樹の木の葉は毎日、毎日落ちる。毎朝、黙々と掃除するその人の姿に、禅を想った。

その人は、夕方オフィスの掃除もする同じ人で、顔見知りだから、ちょっと声をかけた。「早いですね、いつも何時からですか?」と私は声をかけた。朝6時から夕方6時半までの勤務とのこと。私にも「早いですね」と答える時の、彼の笑顔が素晴らしかった。

アラブからの要人、日本政府の関係者の方々、在京大使の方々、会社トップの方々、それぞれの組織の実務スタッフの方々、そして、連日偶然出会った82歳の会社OBの人、森ビルの作業員の人、全てが、それぞれを、置かれた立場で、精一杯生きていることに於いては変わりはない。

禅の目で見ると、全てが同じに見えてくる。何故か、早朝、街路の木の葉の掃除を、黙々とする作業員の人の姿と、その笑顔が、強烈に印象に残った。彼からの無言の教えのような気づきを頂いた気がした。今回のアラブからの要人訪問の時の、私が感じた新たな学び、気づきは、秋の清々しい朝の空気のように、心地好く私の心に残った。


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October 12, 2011

アラブ訪日団第1日目無事修了、

昨日は、アラブからの訪日団のスケジュールも、何とか無難に終了したが、内心、冷や汗ものの場面も。

自分の仕事への慣れに、我ながら、ちょっと警鐘の場面もあり、色んな学びを感じた一日だった。

とにかく、訪日団の目的がスムーズに遂行されれば好い。 今日も、落ち着いて頑張らねばと思う。

今日、通勤途上、電車の中で座れたら、坐禅の真似事でもして丹田に気を落とそう。

電車の中で立っていたら、気功の真似事でもしてみようと思う。気功で左右に揺れて左右に気を流すのは、実に心地好い。電車の他の客には、目立たぬように、こっそりと、小さくやってみようと思う。

日々の行動に、住職から教わった、禅や気功の精神が活きている。


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October 11, 2011

06:30 早朝出勤の朝、

今朝は、アラブからの要人を迎えるため、早朝06:30 前に横浜の家を出発した。

駅への道で、元の会社のOB に偶然出会った。今82歳で、毎朝、6時過ぎから約1時間散歩をしているとのこと。元米国勤務歴もある会社の大先輩。 年に1回位、近所の図書館で会うくらいで、最近は、殆ど、顔を会わせることはなかった。

こんな、早朝だったからこそ、会った人。 それぞれの偶然が織りなす、人間模様。

今日の様な日に、偶然にも、会社の大先輩に会うとは、今日は、仕事頑張れよと云う、メッセージにも感じた。


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October 10, 2011

木更津・大極拳表演会、そして、横浜ジャズプロムナード、

昨日は思いがけず、午前中、横浜から出掛けて行って、木更津の「かづさアカデミアパーク」で開催された太極拳の発表会を見学した。木更津も、横浜駅東口からバスで1時間と云う近さに改めて驚いた。 一昨日、誘われて、午前中の時間だけでも、参加して、午後は横浜に帰って来れると思い、そんな一日を送ってみた。

私が禅の思想を教えて頂いている住職が、太極拳を指導されていて、関東各地の弟子の方々の太極拳クラブ(大極道交会)の会員の方々の恒例の発表会である。体育館一杯に集まった参加者の方々が全員で、最初の太極拳の表演をされるのに、私もそーっと加わってみた。中国のメロデイーが心地好く、中国の穏かな暖かさのようなものを感じた。坐禅会などで、顔見知りの方々の表演も沢山あり、またその演技のすばらしさに、改めて太極拳の魅力を感じた。

午後は、またバスで、横浜へトンボ返りして、横浜ジャズプロムナード会場へ直行した。開港記念館で山本剛トリオ、関内ホールで鬼武みゆきwith Friends、赤レンガ倉庫で大隈寿男クインテット、など会場を回った。 横浜ジャズプロムナードは、私の秋の恒例の楽しみ。ジャズには、生命の耀きを感じる。

ドラム・大隈寿男さんはアルト・サックスの息子さん大隈卓也さんとの共演が、素晴らしかった。父と子の、あの奏でるメロデイーは、天下一品だと思った。大隈寿男さんの、あの笑顔と、熱演は、・・・・、あんな素晴らしい演奏を初めて聴かせて貰った。

小さな驚きに散りばめられて、感動の一日だった。

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October 09, 2011

衰滅しないもの、それ自体で耀くもの、

昨日、久し振りに住職の話を聴けた。

インド最大の発見は、アートマン(仏性、純粋知性)。 全ての存在に潜むアートマンは、変化しない。

アートマンは個別に人の中に存在してる訳ではなく、月が、沢山の水滴の中に写るように、無数に見えているだけ。それを仏教では、「無我」、「空」と云う。

「知ると云う力」が「光」。

アートマン(仏性)とは、(1) 他の力を借りて耀くのではない、"自ら耀くもの"、(2) 変化しないもの、即ち、"衰えたり、滅したりしないもの"。

アートマンの定義を聴き、心は、幸せに酔う。

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October 08, 2011

今日から横浜ジャズ・プロムナード、2011年秋、

私が毎年楽しみにしている横浜ジャズ・プロームナードが今日と明日開催される。私は、1日4000円のところ、前売りの1日券(3600円)を買っておいた。明日、私は、最近買った5本指シューズ(忍者のようなシューズ)を履いて、横浜みなとみらい界隈のジャズ会場を歩き回るのが楽しみ。

横浜の海を見ながら、ジャズは、最高。ワインも美味しそう。軽快に、ジャズ会場を、忍者シューズで飛び回る。

毎年、色んな想い出を残して、横浜Jazz Promenade 。

今日は、久し振りに坐禅の会に参加して、断食明けの住職にお会いするのも楽しみ。

10日(月)の祭日には、東急線・自由が岡駅前でもジャズ祭りがあると云う。これも是非、覗いてみたい。

来週はアラブからの要人の来日で、仕事のプレッシャーの渦に撒き込まれそうだから、寧ろ、ジャズや坐禅で、バランスを取っておこうと思う。

ジャズは、心が叫ぶメロデイー、心の風景。 禅は、心を越えた、静寂の世界、大海の世界に抱かれる。

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October 07, 2011

調停委員だった頃、人生の造形

昨日は、仕事が立て込んでいて、終業後の、家裁・調停委員の懇親会に出れるか不安だったが、何とか、思いきって、横浜へ直行した。

懇親会自体には遅れて参加出来なかったが、二次会に残られた6名の方々と合流して、久し振りに、調停委員だった頃の世界に返れた。

仕事が忙しい時、一つのことで、頭が一杯になってる時は、別世界の刺激が好い。すっかり仕事の事を忘れて、リフレッシュできた。

調停は、人の話を聴く事が主な、硬い仕事。 調停委員どうしだからか、とてもリラックスして談笑した。

私が、歩いて来た人生に、特異な体験の調停委員だった時期が、厳然としてあったのだと、想い出す。

色々な面を現して、人生は、形作られる。自然の造形の模様のように。私の人生の造形。


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October 06, 2011

インド・ヴィヴェーカナンダ師・生誕160年の記事、禅との繋がり

インド最大の宗教思想家であったスワミ・ヴィヴェーカナンダ師の生誕160周年が再来年(2013年)の1月12日との特集記事がInternational Herald Tribune紙(10月4日)に載り、私はその切り抜きを、昨日朝、通勤途上に電車の中で読んで感動していた。

インド、ヴェーダンダ哲学を、全て体現してくれているのが禅であることを、禅の思想研究の大家・鈴木大雪師も生前に、講演などで云っておられた云う。ヴィヴェーカナンダ師は、そのヴェーダンダ哲学のわかり易い解説者であった。私が尊敬する住職は、長年禅の修行をして来て、ヴィヴェーカナンダ師の書物を見て、禅で修行したことが全部書いてあり、感動の余り心が震えたと云う。

西洋にヨーガのブームを起した人ともHerald Tribuneの見出しは書いてあった。彼の1893年9月11日のシカゴスピーチは、多くの米国人、そして世界に感動の渦を起したと云われる。

彼は、「貴方自身の中の神に気づきなさい」と、「衆生は皆仏なり」と、人々の神性・仏性に語りかける歴史に残る名スピーチを行った。

自他一如、ヨーガ、大極、中道、神性、仏性、アートマン、ブラフマン、 全ては同じようなことを、云い方を変えているだけであることを、ヴィヴェーカナンダ師の数々の書物を、住職から教わって、私は初めて知った。

住職は、最近2週間もの長い断食をされ、私が体調を心配してメールを出していたら、丁度、私が電車の中で、ヴィヴェーカナンダ師の記事を読んでる最中に、住職から、「体調は絶好調です」とのメールを頂いた。

私は、ヴィヴェーカナンダ師、住職と、心で繋がっている気がして、電車の中で、胸が熱くなった。

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October 05, 2011

強くなければ、弱くなければ、

強い家長のような父の要素、弱くても優しい母の要素、これが合わさって、共に備わってこそ、人格。

知の要素と、情の要素、共に備わってこそ、人格。 共に備わっているのが、神。

どちらか一方に偏ることを、放置してはいけない。人生が壊れて行く。

自然界はすごい。 そのバランスを取って存在している。 そのバランスを取れる生きものを生存させている。

強くなければいけない。そして同時に弱くなければいけない。強過ぎてもいけない。同時に弱過ぎてもいけない。

生きることは、芸術的なバランスの技のようにも思える。


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October 04, 2011

自然の営みの一部としての安らぎ、

今まで起こったことは、それしかなかったこと。 台風が発生して、台風のルートが通った道も、それしかなかった道。

本能寺の変も、関が原も、太平洋戦争も、それしかなかった道。色んな力が作用し合って、事象は起こるべくして起こる。

私は、その事象の目撃者。 哀しかったり、嬉しかったり。不幸の面積が、幸福より圧倒的に大きかったりもする。

それでも、私は、人生は素晴らしいと思う。自然が与えてくれた生命ととしての私。 それは、碧い海や、山々の光景、健気に生きる生きもの達の姿と同じ。

唯、私も自然界が生んだ自然の産物なのだ。 そして私は、学ぶ生きものであることを誇りに思う。

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October 03, 2011

ギタリスト・作曲家、マリオ鈴木さんの詩、

私は、南米のフォルクローレギターの哀愁ある調べに魅せられている。とりわけ、数年前に、藤沢のサロンコンサートで、マリオ鈴木さんの演奏を聴いてから、益々好きになった。彼の詩集"独り言の余韻"を昨日、再び読んでみた。

彼は生まれてすぐ、祖母に預けられ育てられたと云う。両親との生活を知らない過去が、彼の音楽、詩の至るところに顔を覗かせる。 そして、私には、彼の仏性も顔を覗かせていることがわかる。

月灯りのサムバ
月が力一杯、耀いて見せても、太陽のようには、明るくすることはできない。 それが月の宿命と云うもの。 肉親の愛を知らずに育った私には 太陽の光りは まぶし過ぎたのです。 知らず知らず、たそがれが好きになり、夜が友となり、月灯りが私の世界なのだと知った時、このサムバが生まれたのです。

神を思えば
このごろ、神の存在がものすごく近くに感じてしょうがないのです。 神は「母」なのですよ。いつも神のなせることは母のような暖かさを感じるのです。 触れもできないはずの神の肌を感じるのです。 私は真の幸福者かも知れません。 神のひざもとで、私の音楽をじっくり聴いて貰いたいと思っています。 神が私を必要とされる時、何時でも神のもとへ行ける覚悟はできています。 きっと私は 神の心を安らげるために この世で ギターを練習させられているのかも知れない。 などと思ったりします。

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October 02, 2011

特攻の詩、父親としての美学、

特攻隊に、私は学ぶものを感じるのは、何故だろうと自問してみる。

覚悟が素晴らしい。覚悟が今を耀かせる。未練たらしくない。

覚悟した後の、人生を見る優しい眼差しがよい。

己を犠牲にして、他を生かすなんて、こんな幸せな死があるだろうか。己に絶望して、己の人生に絶望して死ぬのとは、正反対。

私も、神に全てを託して、他者を生かす為に特攻するような覚悟で生きて行けたら、そんな幸せはなかろうと思う。

私が生きた後にも、桜が咲く。そこに私の魂が舞う。

そんな、"父親のような生き方"に憧れる。

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October 01, 2011

"昼間・酒屋さん"、"夜・立ち飲み屋さん"、

数日前に、某商社の友人に、紹介して貰った、神谷町の立ち飲み屋さんは、店内にビールケースを積んで、その上に板を乗せ、簡易テーブルにして、夜は、立ち飲み屋さんに変身。

会社の傍にそんなところがあるとは知らなかった。結構賑わっている。昨日、会社帰りに立ち寄ってみると、その紹介してくれた友人が、また偶然いて、お互いに大笑い。

友人は20代と思われる若手・男女商社マンを3人連れて、飲んでいた。結構、若い人も多いのには、ちょっと驚く。熱っぽく、仕事のことを語っている。

テーブルの上の小さな籠に千円札を入れて、一杯300円くらいの酒類を、色々飲んでみる。昔の日本、昭和初期のポスターなども壁に飾ってある。

家の近くのジャズ喫茶で、このことを話したら、居合せたお客さんが、「立ち飲み屋のお酒は、先ず、口をコップに近づけて飲む、それから皿にこぼれた酒を少し飲む、その後、普通に飲む」、これが立ち飲みの流儀だとか、ヘー。

坐禅の時、食物を粗末にしないように、立ち飲み屋のお酒も、一滴残らず飲む精神が共通している。変な発見。

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