阿僧祇(あそうぎ)、永遠の覚悟、
阿僧祇(あそうぎ)とは、気の遠くなるような永遠のような時の単位。
一里四方の岩盤に、100万年に一度天女が降りて来て、その衣で、岩盤を撫で、その岩盤が磨耗する年月を、仏教では、阿僧祇(あそうぎ)と云う。阿僧祇(あそうぎ)なんて、掌中のうちの気概で坐禅をしなさいと住職は云う。
坐禅は、自分の一生とかの短い単位でやるとか、チャチな気持で座ってはものにならないとおっしゃる。坐禅は永遠に続けてやる覚悟が肝要だとおっしゃる。坐禅は、覚悟。結果も何も無い。坐禅は自己放棄。そこに無限の可能性が広がっている。
生々世々(しょいうしょうせせ)、生まれ代わり、また生まれ代わり、宇宙との一体化、永遠の魂を感じられたら、刹那も永遠も一体化する。地球を座布団に、今世も来世も、ただ座る。
修行は、自己放棄の訓練、私が始めたのではない。私の親、親の親、遠い先祖から始まり、私は、バトンタッチされて修行している存在。私の身体の崩壊の後も、私の魂は修行を続ける。それが、永遠。壮大な禅の境涯に、驚嘆し、心地好い。私は、宇宙一杯に漂う。
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