「無常観」は、「無我」と共でなければ辛い
無常を感じることも大事だが、無常観と一緒に無我を感じる力が無ければ、修行して来たとは云えない。
こんなことを、昨日の住職は教えてくれた。
無常観だけでは辛い。仏教の無常観が、何となく暗く、嫌われる所以はそこにある。だが、無我を同時に考えられたら、無常観の暗さは一変、霧消して行く。
震災で、この世の無常を知る。哀しみの果てに、その後、誰かの為に役立ちたいと思う心が、自分を忘れさせ、無我を感じさせ始めたら、無常観は最早、哀しみではない。
「個としての貴方」ではない、「全体としての貴方」が感じられて来る。
無我がわからないと、無常観だけでは、救われない。 我を忘れるところに、仏性は宿る。
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