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September 15, 2011

心は、光のように、電波のように、

心は、電波のように、発信されて空気中を飛んでいると思う。光のように、一瞬のうちに世界中、何処にでも飛んで行ける。

昨日は、私の心は、アブダビに住む懐かしい、レバノン人の秘書だった女性のところに、退職まじかの、ねぎらいの言葉をかけに飛んだ。こんなに遠く離れた場所に住んでいるのだから、今生で再会することは定かではない。それでも、心の中では、実際に会って、想い出話に談笑する姿が私の脳裏に浮かんで来る。

心はすごいと思う。一度出会った体験でも、心は、鮮明に再現する力を持っている。

心は、誰かの傍にも、すぐに飛んで行ける。心は、自由に大気中を飛び交う。私の心も、まるで、すぐに会って談笑しているかのように、誰かの傍にも飛んで行く。

同じように、私が気づいても、気づかなくても、誰かの心も、私の傍に来て、語りかけてくれている。

賑やかに、賑やかに、心が飛び交う様子がわかる。そんな時は、一人でいても、寂しさなど、何処かに飛んで行って感じることはない。

心は、自由に、自由に、大空を飛んでいる。

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