寂しさの果てを描く、高島野十郎の禅の世界、
昨日、石橋美術館にあった、「野十郎からの手紙」と云う栞に、野十郎にの気持になって書かれた手紙に惹かれた。
「私は進んで、世捨て人になろうとしました。人間どうしのつき合いや世の中の常識など一切をかなぐり捨て、自然をありのままに、好きも嫌いも美も醜も一緒くたに見ようとしました。私にとって、それが絵描きである為の条件だったのです。私の絵を見て、他人はまるで写真のようだと声をあげます。けれど絵には、私の一筆、一筆が重ねられています。そして一筆一筆には、絵の具だけでなく、私の孤独もまた塗り重ねられているのです。」
そして、野十郎自身の言葉の記録には、禅の世界が、はっきりと刻まれていたことを発見した。「花ひとつを、砂ひと粒を、人間と同物に見ること、神を見ること、・・・月ではなく闇を描く、闇を描く為に月を描く、・・・・・全宇宙を一握する、これ写実、全宇宙をひと口に飲む、これ写実。」
野十郎は、絵の世界から禅の境地に入った画家であったのだ。
快晴の暑い夏の日、石橋美術館の庭園の花々の耀き、池の涼しい景観、割れんばかりのクマゼミの鳴き声、絵画の巨匠との再会の日だった。
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