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August 09, 2011

死ぬ私、死なない私の同居

人間の死とは、五感六識(顕在意識)の崩壊、即ち肉体の崩壊を云う。眼・耳・鼻・舌・身の五感と心(六識)は滅する。

しかし、人間の持つ潜在意識たる七識(執着心)、八識(太古からの印象気分の総合計)は五感六識の崩壊後もビクともしないと、住職に教えて貰った。

人は死しても、この七識、八識、を手慣づけなくては、苦しみからの解放は無い。寧ろ、執着心の果てに死ねば、制御の効かない地獄の苦しみの渦潮に撒き込まれ、宇宙に漂い、次の生命(人間とは限らない)を得て苦しみは続く。

生きている間には、意思の力で、五感六識の制御、七識八識への働きかけも出来る。それが修業の意味。生きている間こそ、人間の持つ意思力で、強力な執着心(煩悩)とも戦える。

執着(煩悩)は波。波の底には、穏かな単一の大海(自他一如)の世界がある。人は、その大海を、仏性とか、神とか、アートマンとか呼び、その存在を感じている。

肉体や心の死は部分的な死。永遠に続く第七識・第八識が、どんなものなのか、その七識・八識の視点で、自己分析をし、周りの人を見ると、新たな人間観が生まれて来る。死ぬ私と、死なない私が同居している。

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